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“九州の食”を様々な切り口から発信Tabennetフードアナリスト、田部ひとみさん

「食べるの大好きたべちゃん」として親しまれ、講師や企業アドバイザーなど様々なジャンルで活躍されるTabennetフードアナリストの田部ひとみさんにお話しをうかがいました。

プロフィール
出身地:宮崎県
活動地域:福岡、及び九州全域
経歴:フードアナリスト兼フードアナリスト講師資格を取得。
現職前は保育士・幼稚園教諭を目指し進学するも病にかかり体調を考慮し道を諦める。その後、広告代理店などを経て、2016年3月までFMラジオ局スタッフとして福岡市天神のコミュニティラジオ局に務め、同年4月にフードアナリストとして独立。すぐに食の親善大使など選出され、その後「宮崎ブランドアンバサダー」や「松浦市のシティプロモーション委員」としても任命される。
現在の職業および活動:
Tabennetフードアナリスト

九州の食にドキドキとワクワクを。
ヒト・コト・モノのストーリーに愛を。

Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?

田部さん(以下田部、敬称略):正直言って、今夢はほわんとしています(笑)
自分と関わった人たちの夢を叶えるお手伝いができて、叶うその瞬間をみれたら幸せだな~って。応援したい相手の向こう側に見える夢の景色を一緒にみたいんです。
新しい地域にもどんどん出ていき、全く違うカテゴリーと食をかけ合わせていけたら面白いと思っています。醤油とみりんは和食ですけど、例えば醤油とケチャップのように和と洋のかけ算のような違うジャンル同士のかけ算の切り口で食の面白さを発見できたらいいですね。

以前は保育士を目指していましたが、突然発症した持病で諦めた経験があります。でも、子育てに携われるのは保育士だけじゃないと思うんです。
こどもは大人の背中を見て育ちます。だからその大人にワクワク・ドキドキするきっかけを作るチャンスをつくりたい。「食」が「ヒト」を作り、その「ヒト」が「まち」を作ります。
こどもたちが大きくなって大人になったときに自分の地域の食やまちを語っていてほしい。私がおばあちゃんになったときにそのこどもたちが街づくりの第一人者になっているから。私が食、まちのストーリーを伝えて、大人が頑張る姿を応援していけば、大人が夢を本気で叶える姿やワクワクドキドキしている姿をこどもたちがみて、ビジョンが持てます。

私も19歳の時に「この人すごい」と思う大人に出会いました。アルバイト先のお客さんだったのですが、私が初めて夢を語って、この人が私の夢を叶えてくれたんです。
同じように、私がその人がやりたいと思うことを、叶えるお手伝いができたら嬉しいです。

記者:こどもたちのためにも、大人がキラキラすることって大切ですね。

Q.ビジョンを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?

田部:地域の人と街の人をつなげる機会を増やしていけたらいいなと思っています。
田舎のおじいちゃんおばあちゃんは本当にいいものをつくっても、販路が分からなかったり、みせ方もあまり得意ではない人が多いから、商売が上手なところに負けてしまいます。しっかりその商品のストーリーを伝えてあげることで、ストーリーに感動して手に取ってくださる方が増えたり、お客様層の幅が広がります。そういう意味でこの人とあの人を結びつけたら面白いかも、人も食べ物も、これとこれを掛けたら面白いかも、というような何か化学反応が起きるんじゃないかな、などのアイデアを考えるのが好きです。
アイデアや妄想は昔からバーっと出てくるタイプで、小学生のときにひとつの苗からカレーの具材が全部成ったらいいのになとか、ドライブしているときに見えた景色がもし料理ならと妄想してこの道がお皿なら、この木はパセリなのかなー?海はスープなのかなー?とか。なので小学生のときに親に「ひとみの想像はたまにわからない」って言われたくらいです(笑)

記者:本当に食が好きな小学生だったんですね(笑)

Q.その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような活動をされていますか?

田部:人ときちんと話すことを大切にしています。
しっかり話さないとその人のうまみってわからないですから。人っていい人だけじゃなくて、合わない人も勿論います。合わない人でも別の目線でみたら面白い。自分にない考えや視点をもっているんだなと思って見ます。
いやなことをされたら二度と一緒に仕事をしたくないって気持ちになってしまうこともあるけれど(笑)、最初から苦手っていうフィルターでみないように、その人のストーリーを聴くようにしています。
人からの噂や印象についても、その情報だけで人を最初からみないようにしますね。むしろこっちから心をひらいて、その人のことをきっと好きだって思いながら話すようにして、好きになる努力をするよう心掛けています。

記者:まずは自分から心をひらくっていうのが大事ですね。

Q.そもそも、その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?

田部:もともと母が料理の仕事をしていて、家族・親族も食に関わる人や食が好きな人が多かったので、その影響が大きいです。
私が高校2~3年のとき、標準体型以下ではあったものの太っているといじられて、無理なダイエットをしてしまい結果、拒食症になってしまいました。
「太らないからいいや」くらいの軽い気持ちでいたんです。
私が拒食症になったこともあって、母がマクロビを勉強し始め、たくさん支えてくれていろいろ試したものの当時試したマクロビや漢方では、あれはよくない、これもだめという制限も多いもので精神的にきつくなりました。
昔のように心から食が楽しめないそんな中、福岡に行きたい私の思いを両親が断腸の思いで許してくれて故郷宮崎から北九州にて短大生になりました。
今まで制限が多すぎた反動に加えて、なかなか食べる機会がなかったジャンクフードをめちゃくちゃ食べるようになったんです。
食べることが楽しくなり始めた中、書道の師範試験を受けるため練習をしていると腱鞘炎と思っていたのですが祖父の隔世遺伝でリウマチになってしまいました。
その後リウマチが悪化してリウマチの痛みが一番でる朝方、学校に行きたくても行けない程痛みも出て、顔は薬の副作用でパンパンにむくむし、自分にも自信がどんどんなくなって。メイクも濃くなりギャル風になりました(笑)おまけに周囲からは、ずる休みしているんじゃないかって言われている気がして、学校に行かず痛みが引く時間くらいから色々なアルバイトをするようになりました。
こどもを抱きかかえたりなどが出来ない体調でもあったので、保育士や幼稚園教諭を諦めようとか考えたり、どこに就職しようか悩んでいましたね。
そんなとき、小学生のときに埋めたタイムカプセルを掘り出して、そこには「ラジオDJになっていますか?」と書かれていました。
小さいころ祖父の家にいく車の中で父と、また当時の小学生のころの近所のお姉ちゃんとラジオごっこをしたり、地域の行事の司会や放送委員会に入っていたので、そういえば私、ラジオやマイクが好きだったなって思い出したんです。でも容姿に自信がなく、学校もまともに行けてないのに、そんな私を誰が応援してくれるのかって思ってました。
そういう夢の話を初めてしたアルバイト先のお客さんから「(地域でFMの)ラジオ番組をしようと思っていて、保育士目指しながらがんばって戦っている子として一番最初のゲスト出てみないか」とお誘いを受けたので夢が実現したんです。
ラジオ局スタッフから広告代理店を紹介され、その縁でその後つくる側の仕事を経験させてもらいました。表に出るのも楽しかったけど、それ以上に作品をつくり上げる裏方の面白さを知りました。
一つのお仕事をつくるのにたくさんの人が動いていてたくさんの知らない世界があって衝撃を受けました。とある仕事で長崎県にいき棚田のキャンドルナイトを見ました。初めてみる棚田、海に沈む夕日をバックに地域の人たちが一丸となって棚田のキャンドルナイトを作る姿をみたときに、とてもドキドキワクワクしました。
色々な縁で仕事をする中で、もっと色々な地域にいって新しい世界を感じたい!という思いが強くなり、ストーリーを伝えられるフードアナリストの資格を母のきっかけで親子で取ったんです。
やっと食の奥深さ楽しさを知りたいと思うまでに私はたくさん遠回りをして失敗があったからこそ、思い悩む時間が多いこどもたちや学生たちにもリアルな目線で話すことができます。
地域の人との出会いや、まだ見ぬ世界をたくさん見て、より多くの人に食の楽しさを伝えていきたいです。

記者:縁を大切にされている田部さんの姿勢が伝わります。

Q.その中でも「食」を選択された背景には何があったのですか?

田部:母の影響がやっぱり大きいと思います。
小さい頃から、いつも話題は食のことばかり。母は家で台所に100%いるようなイメージでしたね。
食事で冷凍の物を出すことはなかったし、同じ料理が出てきたことはほぼ全くないのです。深夜にも突然研究したい料理があれば作るし、創作のお料理、創造性豊かなお料理も多いため一般的な「おふくろの味、母の味」といって思い浮かぶ料理がないかもしれません。お料理教室やったり、クラス全員分のパンやお菓子をつくってきたり、食べ物といえば「たべちゃん」と言われることも多かったです。それで友達が喜ぶ姿をみると嬉しくて。「食」って凄いんだな、幸せにするんだなって自然と身についていました。
母は、食べてみんなが喜んでいる姿を見るのが好きで、母から料理を習いたいと近所の人が寄ってきたりしていました。見せ方はプロのシェフのようではないかもしれないけど、がある。愛が遺伝的に私にあったから「食」にまつわるフードアナリストとして道を歩んでいるのかなと思っています。その愛を様々な形で伝えていきたいです!

記者:田部さんの人のためになりたいという思いはお母さん似ですね。

Q.最後に読者の方にメッセージをお願いします。

田部:ダイヤモンドって綺麗ですけど、実は無数の傷がついています。
その無数の傷と傷が反射し合ってあんなにキラキラと輝いている。
失敗は光るための材料だから、失敗すればするほど輝きます。
早く失敗したもん勝ちなのかな。話しきれないほど失敗はありますが、そのときに周りにいたヒト・コト・モノに本当に感謝しています。
誰だって失敗はきっとあるから、大丈夫。
失敗はもっと素敵に輝くきっかけを作るかもしれませんよ。

記者:たくさんの色々な経験を乗り越えられた田部さんだからこそ、言葉の重みもありますね。本日は貴重なお話しありがとうございました!

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田部ひとみさんの活動、連絡については、こちらから

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【編集後記】
記者を担当した荒牧(写真右)と岡山(写真左)です。
いつも明るく、周囲を照らして笑顔にさせるたべちゃんの笑顔の背景には、数々の困難を乗り越えられた涙があったことを深く感じました。
これから益々のご活躍とご健勝をお祈りいたします。

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この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。

「1日でも1秒でも早く日本のロックダウンを要求する1000万人の署名を求めます!!」に賛同いただきました。


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