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5.想い出の宿(第4章.旅先で触れた想い出の宿)

 南フランスのアルル。15:30頃の列車で到着すると、駅に併設されているインフォメーション・オフィスに入った。フランスはどんなに小さな街でも必ずインフォメーション・オフィスがあるので旅人にとって本当にありがたい。しかも、当時私は22歳。初めての海外。このような人間にとって、インフォメーション・オフィスはオアシスのような存在だ。

 オフィスに入ったのは今晩泊まる宿を紹介してもらうためだ。私が今晩から3泊したいということ、それから場所は駅の近く、そして希望の金額を伝えると、スタッフの女性は分かりやすい英語で丁寧に教えてくれた。彼女は「ホテル・ミラドーというホテルです。電話しておきましたよ」と笑顔で言いながら地図を渡してくれた。

 閑散とした駅前広場(ヨーロッパの駅は街の中心でないことが多い)を抜け、城壁をくぐってすぐの所にホテル・ミラドーはあった。さっそく中へ入ると、20歳位だろか、若い女性が「インフォメーション・オフィスから聞いています」と言いながら笑顔で出迎えてくれた。彼女はホテルについて色々説明してくれた。初めこそ笑顔だった彼女は、こちらが言葉がなかなか通じないことに業を煮やし、次第に少し苛立った表情を見せ始めた。そんな彼女の表情を見る度、自分が不甲斐なく、情けないような、悔しいような…相手が自分と同年代の若い女性だから余計にそう感じたのだ。私が「お支払いは?」と聞くと「今、私の両親は出掛けています。両親が戻って来てからで結構です」と彼女は言った。そうか、この小さなホテルは彼女の両親が経営していて、恐らく彼女は学生で、春休み中、両親の仕事を手伝っているのだろう…と私は想像した。とにもかくにも、少し心細い気持ちを抱えながら、このホテルに3泊することになったのである。

 荷物を解き、街へ出掛けた。そして夕食を済ませてホテルに戻った。すると先程の彼女の両親が外出から戻ってきていて、私に色々説明してくれた。彼らはとても穏やかな人達で、少し心細くなっていた私も何だかとても安心出来る心持ちになった。

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 彼らは普段からとても愛想が良く、宿に滞在した3日間、私の姿を見掛ける度に、終始とびきりの笑顔で声を掛けてくれた。

 出発の前日、私は宿の主人に、明日の朝早く出たい旨を告げた。「明朝、6:27の列車に乗りたいので、6:00頃出発したいのです」と。すると彼は「普段は6:30頃ドアを開けるけど…」と言いつつ、私にドアの鍵の開け方を教えてくれた。「6:00じゃあ我々はまだ寝ているから、自分でドアを開けて出ていけばいい」ということになった。

 翌朝、いよいよ出発の時である。宿の人達には「お世話になりました」と心の中で唱えつつ、自分で勝手に出ていけばいい。こんな出発の朝も悪くない。そう思いながら私は6:00頃、まだ薄暗い1階のロビーへ下りていった。すると、何と宿の奥さんが私を見送りに(もしかしたら私がきちんと鍵を開けられるか不安だったのかもしれないが…)ロビーまで出て来てくれていたのである。しかもパジャマ姿で(起きたばかりだったのだろう)。私は彼女に何度も「Mérci !(ありがとう)」と言った。

 今思えば、初めての海外体験でこのような家族経営の小さな宿に泊まることが出来て、本当に良かったと思う。恐らく、これが大きなホテル(しかもチェーン展開しているような)だったら、マニュアル通りで、このような訳にはいかなかったかもしれない。このホテル・ミラドーでのささやかな出来事があったから、私は海外一人旅が止められなくなったのである。

 ドア越しに、宿の奥さんに「Au revoir(さようなら)」と手を振りながら、私は駅へ向かって歩き出した。大きなバックパックを背負っているが、何故か軽く感じた。そして辺りはまだ暗い。しかし出発の朝にふさわしい空気が感じられた。そんなことを思いながら城壁を抜け、私は駅へと向かっていったのである。

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これで「第4章.旅先で触れた想い出の宿」は終わりです。

次回から「第5章.旅先で考えた乗り物のこと」が始まります。

内容は以下の通りです。

1.飛行機での出来事

2.コンパートメント車両の楽しみ

3.タイのおおらかな乗り物

4.ベトナムで感じた公共交通機関のありがたさ

5.鉄道大国スイス

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