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バカ

とある方の愛する猫がトラックに轢かれて亡くなられたそうです。
おれはその飼い主さんもその猫も、見た事もなければ、もちろんあった事もありません。

その方がおっしゃっていました。

「助けてあげられなくてごめんね」

なぜ謝るのでしょうか。
何をどうすればその猫が幸せだったと言えるのでしょうか。

おれには全くもって理解できません。
何もかも理解できないのに、なぜなのでしょうか。
おれも愛する犬が死んだ時に

「ごめんね」

以外の言葉が出てきませんでした。

もう少し言えば、あんな事やこんな事、もっともっといろんな事をしてあげられたはずなのに、振り返ってみれば何もしてあげられなかった…そういう思いだったのかもしれません。

おれには子供もいなければ、結婚もしていません。
が、親はいます。

両親はいつも「親らしい事をしてあげられなくてごめんね」と言います。
それでもせめてもの両親への恩返しに、と何かをするたびに「ありがとう」と言ってくれます。

いつの日にか、おれにも子供が出来た時には「ごめんね」と言う親になるのでしょうか。「ありがとう」と言える親になれるのでしょうか。

「親バカ」

になれるのでしょうか。

ジャイアント馬場と言う人がいます。
もう少し言えばいました。

「騙すより騙される人でありたい」

と言った人です。

例え正直者がバカを見る世の中であっても、バカと後指を指される正直者でありたいと言った人です。

おれは正直者なんかではありません。
が、嘘をつけるほど頭が良いわけでもありません。

バレる嘘をつくバカと、騙されても正直であり続けるバカ…

いづれにせよバカなのであれば、正直者でありたい。

そんな正直者にもなれないただのバカだけど、それでもそんなおれの事を大切に思ってくれる人がいます。
おれの人生がより良くなるよう願ってくれる人がいます。
その為にお世話をしてくれる人がいます。

愛する猫がトラックに轢かれた時に、「ごめんね」と言える人をバカだとは思いません。
いつも誰かの為に生きている人。
「誰の為に、何ができるのだろうか」と考えている人。
その「小さな親切」が「大きなお世話」になるかもしれないのに、そんな事たくさんあるのに、それでも親切であり続けたいと願い、行動し続ける人たちをおれはバカだとは思いません。

そして、
どうしても、

「ごめんね」

の気持ちが間違っているとも思えません。

「かしこくなれ」なんて言われたりもしますが、「はい」と言えるほどかしこくありません。

バカにはバカなりの生き方があり、そこに誇りを持って生きていきたい。

そう思う今日この頃です。

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