数年前人様にお渡ししたものです。

＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿

　サンザカという花がある。サザンカと似た名前だが種別はどうやら違うらしい。

　サンザカという名前はその花の奇妙な性質から来るそうだ。サンザカはあるときの日の出とともに花を咲かせ、三十と三日の後、日の入りと共にその首を落とすという。

　私がその花を手に入れたのは、友人の形見分けとしてであった。

「それでそれはどんな花を咲かすんだい」

「さぁなア。それを知りたくって育てようと思ったのさ」

「花を育てるなんて柄にもネエ。どうせ咲かす前に枯らすがオチさ」

「言ったな？　手前にはどんなに綺麗だろうが見せちゃアやんねぇ」

「へん。見たけりゃ自分で咲かすさ」

「よく言うぜ。お前こそ三日と世話出来ねェだろうよ。よし分かった。見せちゃアやらんが、種をくれてやる」

「種？」

「おうさ。サンザカの種さ。まだ残っているんだ。何、そうすぐ悪くはならん。俺が花を咲かしたら貴様に種をくれてやる。そんときならどんな花かも分かっているからな」

「別の花にとっかえは出来んということか。ヘッ。いいさ、手前が花を咲かすなんざ出来ると思わネェからな」

　そんな会話を交わしたのが奴との最後だった。だから奴が死んで葬式に赴いた時、彼の両親にふとサンザカの事を尋ねた。家を出て久しい奴だったから、息子を亡くしたにしては両親は冷静なもので、よかったらと彼の机の引き出しにしまわれていた種をくれたのだ。

　植物の育て方なんぞ知らないから畑の土を適当に置いた小さな鉢に種を蒔き、気まぐれに水をやった。種を蒔いて一週間ほどで芽が出た。時々水をやるのも忘れたが、丈夫な種であったのか、一月もすれば幾つか葉を伸ばし、その背を日に近くしていた。

　幾つか種を蒔いたのに、育ったのは一本だけだった。

　奴が死んで、サンザカを植えてからもうすぐ二月というころ、ぷっくりとした蕾がいつの間にか一番上にできていた。赤い萼から逃れるように伸びる花弁の色は白だった。花の色は白か、と思った。

「どうだい、俺にだって花ぐらい咲かせられるさ」

　けれど答え合わせの相手は居ない。ああ、と気づく。奴は死んだのだ。

　死んだものが行く末を己は知らない。地獄かはたまた極楽かとは言えど、その景色を知るものはこの世にない。白い蕾を指でなぞる。あるいはこの花は答えを知るのだろうか。

　蕾はゆっくりと膨らいだ。今までは水をやるときに少し見る程度だったのに、目をやる頻度が増した。花をみたいと思った。

　在る朝目が覚めた。まだ薄暗い時間だった。誰に呼ばれるともなく身を起こした。顔を洗うこともなく縁側を降りた。

　サンザカが咲いていた。

　昨日まではまだしっかりと閉じていたはずの花弁がいっぱいに伸びていた。細い花弁が光のように八方に伸び、その中に幾重にも大きな花弁が重なっていた。人の頭ほどの大きな花だった。中心の蕊もふっくらとした花弁も、全てが一点の曇もない白である。まだ薄暗い朝焼けの中で、輝くように眩しく美しく、私は阿呆のように立ち尽くした。

　なんと美しい花だろうかと思った。

　すっかり明るくなるまでそうしていた。仕事に出ねばならぬ時刻になっても離れがたく、それ程に美しいものだった。

　その日から私は家にいるときはその花の側にいるようになった。十日を過ぎた頃には遅刻ばかりになり上司に叱責を受けた。同僚が心配げに声を掛けた。顔色が悪いという。一緒に医者に行こうかという友も居た。煩わしくてならなかった。

　二十日を過ぎて仕事をやめた。飽きもせずにサンザカを眺めていた。私はこの花を心から愛していた。

　花が咲いて三十日が過ぎた。私は思い出した。サンザカは三十日と三日でその首を落とす。

　私は絶望した。なぜ今まで忘れていたのかと悔いた。なんとしても繋ぎとめようと寝食さえなげうって花を支えて水をやり、時から逃れようと日から隠した。サンザカは昼夜問わず花を広げていた。残り三日。けれどサンザカは日を追うてますます美しくなった。ともにある闇の中でさえ確かに輝いていた。日増しその輝きは強く怪しく美しくなった。

　花が咲いてから三十三日めの日が沈もうとしていることを、ゆっくり濃くなる闇で知った。私はサンザカを抱きしめた。愛しているから死なないでおくれと囁いて口づけをした。

　サンザカは、応えるように首を傾けた。

　ぽたりと音がした。

　私は絶叫した。サンザカが、私の愛した花が落ちていた。無残に花弁を散らし、輝きを失って闇に紛れていた。どこにもあのまばゆいほどの美しさはない。泥土に帰るだけの物となり果てた。

　私の愛した女が死んだ。

　狂乱のまま茎を掴んだ。いつの間にかそれは私の背丈ほどとなっていた。いくら辿ろうとその先は途切れたままである。

　私は根から茎を切り抜いた。茎を両手で握る。

　そのまま私は茎で首を閉めた。食いつくように茎は喉に周り千切れる素振りもなかった。闇が濃くなるのが夜が深くなるためか意識が沈むためか分からなかった。けれど遠くにあのサンザカの光が在るようにみえ、それに手を伸ばした。一層首がしまる。光が近づく。

　友は首を吊って死んだのに、どこにも縄が無いのだと、彼の両親が言っていた事を思い出した。