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ソヴィエト聯邦はジュール・ベルヌの夢を見たのか?

【旧ソ連が開発した地底戦闘艇】

 この文章は、英文翻訳したものを独自アレンジして書き上げたものになります。最後まで読む事の出来る投げ銭形式のnoteとしますので、気に入った場合はお代を払ってくださいますようよろしくお願いします。

 旧ソヴィエト聯邦が原子力動力の地底戦闘艇などというものを開発し、あまつさえ実用実験を行っていたのはニキータ・フルシチョフ書記長時代、東西冷戦華やかなりし頃でありました。
 艇体は円筒形で直径3.8メートル、長さは35メートル、進行方向の先端にはチタン合金製のスピンドラー(ドリル)が配置されておりました。
 艇体の上下左右には、スピンドラーの回転トルクを打ち消し、艇体の進行を補助するための3組構成のクローラーが配置されていました。
 また艇体後部には、後進用の四脚の補助脚が配置され、掘削した穴からバックで這い出す時などに利用されました。
 乗員は5名ですが、その他に15名の特殊工作員を搭乗させる事が可能。また、そのスペースに1トンの爆薬を積載することも可能でした。掘削進行速度は、人間の歩く速さ程度だったようです。
 なお武装は、スピンドラーに二基装着されている核弾頭地中魚雷で、これを地中から敵要塞に放って逃走する計画だったようです。地中魚雷は3種類のものが考案されていました。

【そもそもなんでこんな物が出来上がったのか】

 時代は1934年に遡ります。第一次世界大戦当時、ドイツの天才リッターが地底戦闘車を考案したのが、そもそもの始まりと言われています。
 リッターは、地底からフランス軍のマジノ戦要塞を奇襲し、地中から爆破することを夢想していたようです。
 さらにV.フォン=ヴァーンという人物が地中を時速7キロで掘り進み、300キロの積載物を運搬する地中艇の特許を取っています。ですが、第二次世界大戦の開始前に、計画は実現せずに終了しています。
 もっとも、第二次世界大戦中にもミッドガルド・シュランゲと呼ばれる特殊戦闘装甲列車が計画され、地底を掘削潜行する計画であったとも言われていますので、リッターやヴァーンの計画案がナチスドイツに取り上げられていても何の不思議もありません。
 そして第二次世界大戦終結時に、こういったアイデアはドイツからソ聯やアメリカへと流れていきました。まあ、これを実現させるほどソ聯の方がおかしかったわけです。

【開発と挫折】

 開発した地底戦闘艇の実用実験を、フルシチョフはウラル山脈で行っています。1回目の試験には成功したようですが、2回目の試験で艇体が爆発。破損してしまったようです。つまり、哀れな乗員5名の遺体と地底戦闘艇の残骸は、今もウラル山脈の地下に眠っているワケですね。
 そして、ソ聯のトップがブレジネフ書記長に代わった時点で計画は破棄されました。
 東西冷戦時代が如何に狂っていたかの、象徴的なお話ですね。

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