価値観の違いをどう扱えば良いのか

授業中に寝ている生徒がいます。授業がつまらないからだろう、と言われるとそれまでですが、読解活動をしているわずか5分足らずの間に寝られては読解力などつけられるわけもないのです。ということで、寝られるような授業が悪い、という批判はひとまず置いておきます。

複数回の授業で同様の行動を取り、再三の注意にも関わらず改善の兆しがみられません。最初は「寝ないでね」で済ませていましたが、こりゃあかんな、ということで少し真剣に話しました。

端的に自分に都合のいいようにまとめると、「授業を通して英語力をつけるのがわたしの仕事。一方通行の講義ではないため、君の取り組み方ではわたしの仕事が全うできない。」という私の言に対して、
「僕が勉強しなくても先生には迷惑をかけていません。僕の成績が下がるだけです」とのこと。
「うん。結果的に君の成績が下がってもわたしには何の迷惑もない。だけど、それは結果であって過程ではない。その過程として、私の仕事つまり授業がある。そしてわたしはそれなりに誠意を持って授業をしているつもりだ。何らかの問題があり改善を望むならそのように言ってくれ。」
「何も望んでないです。」
「ふむ。であれば、こちらからも多くは望まない。授業への積極的参加などしなくて結構だが、寝るという行為はやめていただきたい。非常に不愉快である。君だって、一生懸命準備した発表で教師が聞いてなかったらイラつくだろ?」
「いや、別に。」

!?え、いらつかないの??
お前が出した課題だし、勤務時間くらいちゃんとしろよ、とか思わないの?

もう衝撃。そりゃその価値観なら他人の努力や誠意なんてどこ吹く風で自己中心的になりますわ。彼の話には彼自身しか登場しないのです。
僕が勉強しない。僕の成績が下がる。僕の問題だ。僕も努力している。ぜんぶ、僕だけ。

ふーむ。中学生ってこんなもんなのか?

あまりの価値観の違いに、「あ、これは絶対分かり合えないやつだね。オッケー!それならさ、お互いなるべく不愉快にさせあわないようにしようよ。わたしにこんな話されるのも決して楽しくないだろうし、今後はこういう場を設けなくて済むように、まーったく理解しなくても授業受けてるフリだけしてくれれば何も言わないよ。学ぶかどうかはもちろんの君の権利だからね。でも、寝ることによって私を不快にさせ時には傷つけていることは認識して。納得はできなくても理解はできるだろうし、反省なんてしなくていいから態度というか行動だけは変えて欲しいな。」と笑いながら伝えてしまいました。

かなり不満げだったのできっと今後も大して変わらないんでしょう。価値観は人間性やアイデンティティや根本の問題も多く含んでいるだろうから、無理に変えるべきことでもないようにも思います。

そんな生徒が1人ではなく、各クラスに2.3名います。明確に「嫌いだ」と私に伝える生徒もいます。こちらも好きではないし、個人的感情なので、それはいいんですが、「課題未提出を指導されたから嫌い」って言われたので、「うーむ、そんなら指導されないように(スルーされるように)適当に仕上げて出せばいいのにその労力は(その指導後も)払わないんだよなぁ…。結局、自分の耳触りのいい言葉以外は不快なのかなあ」とこれまた都合よく考えてしまいます。

長々とただの愚痴です。
さすがにもんもんとしてしまって。
大多数の真面目に取り組んでいる生徒に目を向けるべきなのですが、なかなかどうにも感情のコントロールがまだまだ苦手なのですね。反省しつつ、少しだけ生徒のせいにして心のデトックスをしないと明日が乗り越えられない。

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