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【井口 晃 起業物語 2008年編 Vol.3】

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日本一のセールスマンを目指す。
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シンガポールの本番のセミナーまで、あと1ヶ月半、
週に2回は渋谷のセミナー会場で
説明会を行っていた、
とにかく1日でも時間が惜しかった。

当時26歳の僕は、
セールスを学ぶ過程で大きなことを学べた、
それはセールスとは押し売りではないという事。

今まで僕はセールスに対して、
よいイメージを持っていなかったが、
様々な本で学び、実践するうちにあることにきづいた。

それは・・・、

”セールス=お客さんの悩みの解決”

ということだ。

セールスとは相手の悩みを聞き、
共感し、それに対して、
最適な解決策を提供すること、
つまり人を救うこと。
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それはわかった時、
ブレークスルーが起き始めた。
お客さんとの会話で、
お客さん「いやー、海外まではちょっと・・・」
僕「確かに海外は遠いですよね。でも、もしこのセミナーであなたのお金のメンタルブロックが
完全になくなるとしたら、どれくらいの価値があると思いますか?」
お客さん「確かに・・・。」
こんな風に相手の悩みの意味づけを変えたり、
自分がどう思われようと、
この人のためになろうと思って、
1人1人のお客さんにフォーカスするようになった。

その前はどれだけ
売上を上げるかしか
正直、考えていなかった。
それから全てが変わった。
1回のセミナーで1人も売れなかったのが、
1回に5人も申し込んでくれたり、

「行く気がなかったけど、井口さんの
熱意で行こうと思えるようになったよ。」

そんな風に言ってもらえたのは、
生きてて初めてだった。

そうこうしている間に、
セールスが楽しくなり、
もっと多くの人を救いたいと
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心の底から思えるようになった。
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生きているという実感・・・
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そのお客さんとのやり取りは起業直後の僕に、
やる気を与え、その後現在まで
数々の試練を乗り越えさせてくれた。

そして、
自分一人がこうやって多くの人に
影響を与えられるんだという現実を
実感した瞬間でもあった。

そこからは快進撃が続いた。
今までの苦労が実ったのか、
セミナーの神様は僕を見捨てなかった。

セミナーの2週間前ギリギリまで、
説明会を続け、なんとか47名もの
参加者をシンガポールに連れて行くことができた。
初めての小さな成功経験を積めた、
パートナーのK氏と2人で飲み、
お互いの苦労をねぎらった。

その日の夜、わずか数十万円だが
黒字が出たことを知らされた。

ちょうど貯金残高もまもなく0円に
なるところで、
カードのリボ払いも使えなくなるところだった。

ギリギリまで追い詰められたが、
なんとか踏みとどまり、
金銭的にも精神的にもわずかの余裕が出た。

家に帰って、
安堵感とあまりの嬉しさで、
一人で男泣きをしていた。

自分でも本気で何かに打ち込めば
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やれるんだと、
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実感した瞬間だった。
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実際のシンガポールでのセミナーでは、
同時通訳、現地での案内、
カスタマーサポートと全てをやり、
かなり大変だったが、
参加者の方にも満足してもらい、一安心だった。

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新しい旅立ち。
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年が明け、2008年を迎えた、
パートナーのK氏とはひとまずプロジェクトを終了し、
何か僕の方も新しいことに取り組もうと思っていた。

正直まだ金銭的には怖い部分はあったが、
このまま他の人をプロモートし続けるより、
自分がスピーカーとしてのキャリアを積みたい、
その思いが日ごとに強くなる一方だった。

ただ今のままだと3ヶ月でお金は底をつく、
そうなると何もできなくなる、
内心はヒヤヒヤだったが、
とにかく前に進むしかない。もはや後戻りはできない。

経営とは立ち止まったら、
そこで終わりだと思う、
進化も止まるし、
世の中は動き続ける、
起業家はとにかく前のめりにでも倒れるしかない。
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そんな風に覚悟を決めて
何か新しいことに挑戦しようと
思っていた時期だった。

丁度、その頃、
学生時代にセミナーで出会った、
堀江 信宏さんから一本の電話が入った。

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本格的なコーチングとの出逢い。
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堀江さんが、
アメリカからプロコーチを招いて、
コーチング認定講座を開催しているらしく、
そのセミナーで通訳が必要とのこと。

何かのきっかけになるかもしれないと
自分が主役になれないことに
多少の迷いはあったが、これも成長になるだろうとYESと答え、
早速セミナーで通訳をすることになった。

余談になるが、
そこで本を出す前の井上 裕之さんと
フォレスト出版のエース編集長であった
長倉 顕太氏にはこの時に初めて出会っていた、
当時は面白いくらい相手にされなかったが。

ただ、人生どこでどう転がるか、
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どんな出会いがあるかわからない。動き続ければ何かが起こる。
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そのセミナーで初めて本格的なコーチングに出逢った。

マイケル・ボルダックという
アンソニー・ロビンズの代理店の副社長というキャリアを持ち、
彼のコーチングの技術と理論は応用しやすかった。

僕はコーチングも取り入れ、
セミナー&コーチングの2本柱で行こうと決意をした。

またマイケルとは意気投合し、
来日の度に、
六本木でクラブに行ったり、
食事をしたり、
一緒にフィジーでセミナーに行ったりと、
一時は兄弟のような仲にまでなれた。

貯金がそんなになかったが、
とにかく自分の可能性に賭けてみるしかないと
彼の3ヶ月30万円というコーチングセッションを申し込んだ。
その日から徹底的なコーチング修行が始まった。

毎日メールや電話で10人以上の人に連絡し、
月に1回はセミナーを開き、
毎日最低1人とは体験コーチングセッションを行った。

3ヶ月でおそらく100人以上の人のセッションをやった、
途中で口論になったり自分のスキルもまだまだ未熟だった、
セッションをしても何の変化も感じられないと嫌味も言われた、
あなたはコーチにはまだ若すぎるんじゃないとも言われた、
でも全ては自分を成長させるための糧だと信じ、
とにかくやり続けた。絶対に自分だけには負けない、そう心に誓っていた。
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ただ、それだけ数をこなせば、
自然とスキルも上達し、
説明会セミナーで磨いたセールススキルと、
学生時代にボランティアしながらセミナーで学び続けた成功哲学が相乗効果を発揮し、
3ヶ月経つ頃にはで30万円のコーチング契約してくれる
クライアントが13人にまで増えていた。
徐々にではあるが、 確実に小さな成功の手応えが掴めつつあった。

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全財産を投げ打っての大勝負。
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2008年の夏は仕事だけに打ち込んでいた、
mixiで募集してアンヘル白石という
変な男を初めての従業員として雇い、
2人で試行錯誤しながらセミナーとコーチングを軸に
経営を進めていった。

コーチング契約してくれる人は多かったが、
ほとんどのクライアントが分割で、
結構な数のクライアントが途中でお金を払わない
という事態も起こり、経営とは売上ではない、
入金が大事なのだと実感した。

また、貯金額が100万円にやっと届いた時、
以前からの憧れだった、
白金高輪駅に直結した白金タワーに
引っ越した、
家賃が18万円だったため、敷金などで
ほとんどの貯金を使った。

親や周りは本当に家賃が払えるのかと、
心配しており、
保証人にもなってくれなかったが、
この時は以前のパートナーのK氏が
なぜか保証人になってくれた、
彼には本当に今でも感謝している、
おそらく本人もなぜ保証人になったかは覚えていないはずだ。

ただ、自分の中では勝算があり、
タワーマンションのラウンジなどで、
コーチングセッションをすれば、
もっとクライアントが獲得できるはずと予測し、
その予測は見事的中し、結果的に2ヶ月で
新たに14人ほどの新規クライアントを獲得でき、
また100万円の投資を回収できた。

8月の最終週になろうかという時期に、
ひょんなことからセミナーズという会社で
働いていた営業の小谷川さんという人から連絡があった。

彼には以前、海外セミナーの時に、
号外広告を出す手配をつけてもらったりと
お世話になっていた。
「井口さん、今セミナーズで大キャンペーン中で、LPとメルマガ広告パックで100万円です!」
どういう意味かというと、
メルマガ読者を集めるためのページ作成(50万円)
セミナーズと他のメルマガ広告に合わせて50万円分
出さないかという提案であった。

今考えれば、LPに50万円は完全にぼったくりなのだが、
何か新しいことをやらなければ、
コーチングを毎月やるだけで、
満足してしまうなと思ったので、
しばらく考えた末、決断した。

これを実行すれば、またしても貯金は0になる、
翌月の家賃も払えるかわからない、
コーチングクライアントもそろそろ
頭打ちになるかもしれないと感じていた。

毎日コンビニで水を買っていたのだが、
「もし食えなくなったら、
ここのコンビニでバイトさせてもらおう。
毎日働ければ、そうすれば家賃くらいは払えるだろう。」
本気でそんなバカなことを考えていた。

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業界のスタンダードを作る
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今では当たり前なのだが、当時は、
「メルマガ広告→セールスレター」
という流れで売れていたのでわざわざメルマガ読者を集める人は少数だった。
ただ、何となく見込み客を集めないとビジネスは頭打ちになると感じていたので、
「メルマガ広告→ LPでプレゼント&メルマガ読者の獲得→教育→オファー」
とそれ以降の業界のスタンダードになるような仕組みを築いた。

こちらが資金を投資して、
沖縄の安い会社を探し、さらに交渉して、破格でCDを500枚程作り、
無料でCDをプレゼントし、
メルマガで価値を与え、
その後に50人くらいの規模で
セミナーができればいいな、
そんな風に考えていた。

とにかくやれることはすべてやった。
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そしていよいよ、出稿の日当日、
何と朝9:30時頃に小谷川さんからの電話で起こされた、
どうも様子がおかしくて、興奮している。

「井口さん、大変です!登録がすでに500を超えました!
至急、CD配送をお願いします!!登録したばかりだが、
早く聴きたいと弊社に電話まで来ています。 」

と慌てて電話してきたのだ。
思わず耳を疑った、こんなに反響があったのか、どういうことだ?

早速、新たに500枚発注の注文を出した、
そこからたまたま最後にK氏と開催したセミナーでも、
バックエンドセールスをし200万円の入金が
あったがそれらをまたすべて、CDの発注と広告に投入した。

そして、いよいよその年の12月には、
初の自己啓発のデビューセミナーである、
ミリオンダラーシークレット2日間の告知をした。

何と、告知初日から申し込みが止まらなかった、
1日目で70人、2日目で30人と伸び、
最終的には何と120名もの参加者になった。

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ガクガクと大緊張しながらの快進撃。
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初めての自己啓発セミナーは
自分自身が世界のメンター達から
学んだことの集大成というコンセプトにした。

その前日は緊張のあまり、
全く寝付けなかったが、
初日、2日目とも大盛況で、
緊張しながらも全力を出し切った。

最終日のセミナー後には
泣いて感動して、感謝をしてくれる人もいた、
多くの人が満足してくれた。
結果的には、半年間の50万円の講座が21人にも売れ、
1000万円を超える売上になった。自分でも信じられなかった。

その頃、社員にも、言われたのだが、

「井口さん、セールスの時の目がちょっと怖いですよ。」

そんなアドバイスをされるくらいだったから、よっぽど重圧を感じていたのだろう。
しかし、そうでもして自分を鼓舞し、
やる気を出させなければプレッシャーに
押しつぶされそうだった。
少々無理しても、その重圧に自分が勝てばいい、
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そうすれば自分も成長していける。そう信じていた。
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ただ、この時はさらなる重圧が翌年待ち構えているとは
当時有頂天な自分は全く気づかなかった・・。

2009年編に続く。

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