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【井口 晃 起業物語2007年 Vol.2】


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自転車操業的経営・・・
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とりあえず英語の加速学習法のセミナーをやっていれば、
食うのに困ることはないだろうと考え、
毎月1回セミナーを開催することにした。

開催地が多ければ集客も楽になるだろうと、
毎月、東京と大阪で開催することにした。

”成功するまでは大阪に帰らないぜ!”
と思っていたが、
この際そんなことは言ってられない。

3人の息子を育て、
家も建て、真面目に勤め上げ、
無事に定年退職した
父親のことはものスゴく尊敬している。

父親はとにかくやたら真面目で、
その変に生真面目なところだけは、
父親から受け継いだのにちがいない。

ただ、父親は僕と違い40年間、
ずっと同じ会社でサラリーマンをしていたので、
駆け出しとはいえ起業家マインドの僕とは
全く話が合わなかった。

2人とも大人なので、
喧嘩になることはなかったが、
ある意味、放任のようで正直寂しい気持ちはあった。

その関係も1年後には劇的に
改善されていくのだが。
(詳しくは、拙著「パワートーク」にその物語の結末がある
 興味がある方は是非。)

母親はいつでも心配していたが、
持ち前の明るさと、
クリスチャンで信仰心が厚いので、
全ては最終的にはうまくいくと信じていた。

僕も基本的なポジティブ思考はや
最終的にはうまくいくように
導かれてると信じる思考は
母親から受け継いだのだろう。

ともかくこれで月に1回は大阪に帰れ、
しかも売上を増やすことができる。

ただ、すでに両親とも働いておらず、
年金生活なため、
起業でもし失敗たら、親のスネを
かじるのは不可能だとはわかっていた。
当時、好きだった言葉に
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「Every problem is a gift. Everything happens for a reason and it serves us.
(全ての問題はギフトである。全ての出来事には意味があり、それらは全て自分の役に立つ。)」
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という言葉があった。
起業当時にはトラブルや問題が
つきものなので、
何かが起きるために、うろたえていたが、
全てはギフトだと捉えると
幾分か気持ちが楽になった。

自分ができることは一所懸命やろう、
セミナーも集客も、
文章を書くのもへたくそだけど、
とにかくできることはどんなに大変でも全部やろう。
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そして、あとは何とかなる、
そう自分に言い聞かせていた。

ただ毎月1回東京と大阪でセミナーを
やるのは集客の面で本当に大変だった、
お金が入ったと思ったら、
それを次のセミナーの広告費に
使うので、まさに自転車操業だった。

ただ、いかにお金を毎月工面するか、
それまで経験したこともない、
胸のあたりがキューっと締め付けられるような感覚だった。

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セミナー参加者0人という悪夢・・・
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とにかくセミナーの集客には苦労した、
他の人のセミナーに行って営業したり、必死に紹介を頼んだり、FacebookもYoutubeやブログもビジネスには使えなかった時代。
さらに、マーケティングの考え方がわかっていなかったので、そもそも見込み客って何だ?メルマガって何だ?という状態。
毎月、毎月、参加者は5人、4人と減っていく。。このままだと確実にヤバいと日々焦っていた。
そして、ついにセミナー参加者が0という事態が起きた。
このとき心に誓った。
「どうせ失敗するなら、好きなことやって失敗したほうがマシだ。」
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英語を教え始めたのは、
もともとそこまで情熱があったわけではなく、
これなら大丈夫だろうという
言わば消去法のような形で決めていたので、
やめることに抵抗はなかった。

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運命のパートナーとの出逢い・・・
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私はここで開き直った。
「マーケティングができないなら、集客できる人を探せばいい。」
振り返れば当時は、
情報起業のバブル時代で
多くの情報起業家がブイブイ言わせていた。

じゃあその中でも実力のある人と
組めばいいと考え、
当時セミナーズが開催していた、
日本インターネットビジネスサミットのような
セミナーに参加した。

そこでは、たくさんの情報起業家が
「今月は月収500万円」とか
「アフィリエイトで月収300万円」など
景気のいい話をしていた。

内心、
「ふざけんなよこいつら、
俺と大して年が変わないくせに。
絶対何か詐欺的なことしてるに違いない。

俺は絶対情報起業家にはならない・・・」

とかなり心の中でやっかんでいた、
内心はかなり羨ましかったのだが。。。

そこの懇親会で現在でも仲の良い、
川島 和正さんに出会ったり、
多くの当時の有名な情報起業家に出会った。

多くは現在ではいなくなってしまったが、
実力はあったのに、
時代の変化についていけなかったのかもしれない。

ビジネスで大事なのは、
もちろんトレンドに乗ることだが、
うまくいっている時こそ、
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慎重かつ大胆に攻めなければいけない。
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外車やキャバクラに興味が
なかったのが僕が今も
ビジネスをうまくやり続けられている秘訣かもしれない。

その代わりに稼いだお金は全て、
セミナーや教材、コーチングにつぎ込んでいた。

そこでの一番の収穫は
自分の強運に感謝したい、
最初のビジネスパートナーでもあるK氏とそこで出会えたことだ。

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暗闇の中に微かな希望が見えた・・・
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K氏は確か僕と同い年だったが、起業歴は長く渋谷にオフィスがあり、社員も7人くらいいた。

彼はビジネスの秘訣は”集客”と”販売”にあると教えてくれた、今考えるとまさにその通りで、その2つは決定的に当時の自分に欠けていた。

なぜか意気投合し、次の日から彼のオフィスを又借りしそこで仕事をすることになった。

何はともあれ、
新しい環境に行けば何か変わるかもしれないという淡い希望を抱いていた。

「ビジネスとは結果が全て。結果を出さなければ何も変わらない。」^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
まさに自分に一番足りなかったもの、結果に対してのこだわりだ。
「何か一緒にビジネスをやりましょう。」彼も僕に何かを感じてくれたのかもしれないが、そう言ってくれた。
それは数ヶ月のうちに思わぬ展開を招いた。
僕が学生時代から仲良くしていた、
アジアでNo.1のセミナープロモート会社のリチャード・タンから連絡があった。

「アキラ、今度シンガポールに
ハーブ・エッカーというスピーカーがくるが日本から参加者を連れてこれないか?」

「うーん、、わざわざ海外までセミナー受けに行く人はあんまりいないかも。」
「そんなことないよ、今セミナー業界はものすごく盛り上がってくるから、
きっとその波は日本にもくるんじゃないか?」
その言葉を何の根拠もなく信じた。そこに人生を100%賭けようと決めた。一切疑うことなく。
その後すぐにK氏と連絡を取り、「一緒に海外セミナーに参加者を連れて行きましょう。」
と連絡を取ると、彼も「いいですね、やりましょう」と即決断をしてくれた。

成功者はさすが決断が早い。そしてその決断をすぐに変えない。その時の貯金はほぼゼロに近かった。

そして、セミナーまではわずか2ヶ月。
決めてからのスピードは速く、

1.メルマガ広告の出稿先
2.説明会の会場
3.説明会のためのセールスレター
4.セミナーの内容のパワーポイント

を一緒に、怒涛の勢いで作った。
こんなスピードで進めるのか?と思うくらい猛スピードだった。広告費に数百万円を使っていたが、「もし赤字が出たら、井口さんにもかぶってもらいますから。」
と平然と言われた時は、さすがに焦ってさらに本気になった。

ただ、そうは言っても、説明会で何かを売るなんて初めての経験。最初は散々だった。

このままだと何百万円の借金を背負うことになる・・・そう考えると夜眠れなかった。その日から毎日セールスのCDを聞き、セールスの本を読み漁った。売るために何でもやろう。

「ビジネスとは結果が全て。結果にこだわらなければいけない。」

この言葉が自分に痛いくらい響いていた。

セミナーまではわずか1ヶ月半、
そこからセミナーの神様が微笑み始めた。少しづつ運を味方につけることができたのだ。

その時の経験が今もビジネスの核になっている、その経験とは・・・

井口 

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