上條英治追悼LIVE~エイジforever~4/11@渋谷ラママに向けて
エイジへ
上條英治(以下愛称のエイジと表記します)と出逢ったのはいつ頃だっただろう…確か、彼がまだ東放学園専門学校の学生で学園祭に呼んでくれた立正大学のマリエと軽音楽部からなるバンド【ブルドック】と【スケアクロウ】まだ当時はサークルの外でやるオリジナルをやるバンドのことを「外バン」って言っていた。エイジはブルドックのことをとても気に入り
ボーカル大久保ノブオに心酔していた。
打ち上げでも音楽話やバカ話で(内容は覚えていない)盛り上がり、盛り上がりすぎて…同じ東放学園の学生、久保トップが救急車で運ばれて俺も付き添ってTシャツを貸した…なんて事件もあった。そんなこんなでブルドックが渋谷ラママを拠点にしてライブをやるたんびにエイジと一緒になった。
俺たちは完全にブルドックの追っかけだったわけだ。渋谷の居酒屋打ち上げにもついて行き、バンドマンの打ち上げの仕方・対バンとのコミュニケーションの取り方・ファンとの接し方など見よう見まねで学んだ…と言っても過言ではない。
当時、スケアクロウSCARECROW(かかしという意味)というバンドをギターの相馬圭二とやっていた。マリエのドラムの三好貴宏(ex.ザ・ツイスターズ 現)がメンバーにもいたが、ベースが固定せず三代目のベースがエージだった。彼はまだ18くらい。昔から人懐っこく笑顔溢れる気さくなんだけど生意気な所も茶目っ気もあるやつで「俺、バンドならドアーズが好きです」と山手線で言ってたことを覚えている。新宿ACBのライブを最後にスケアクロウは解散、またそれぞれの道を歩むことになる。
その当時、ブルドックはメンバーチェンジが激しくなりバンドがあるメンバーでピークを迎えると誰かが抜けるって言うことを繰り返していた。そんな中、自分もスケアクロウが解散してしばらくバンドがなかったしマリエではベースも弾いていたのでノブオン(俺だけがこう呼んでるかも…当時シオンさんがデビューしたあとくらいでノブオ先輩に「ノブオンって呼べ!」っ言われた気がする。ちなみにバタヤンはノブオ先輩の命名)に「バタヤン!ブルドックのベース弾け!って」デモテープを渡された。ちなみにその話をこの間したら覚えて無いらしい…くわばらぐわばら…まあ、結局は自分は歌を選んでタマ伸也(玉井)と相馬のやっていたボストンクラブから派生したザ・コブラツイスターズ(今は時代が混乱するのでツイスターズと呼んでいる…が)でバンドをやることになるのだかここのところも書くと長くなるので別の機会に。
いつの間にかエイジがブルドックのベースになりエレキギターガンガンのトガッたブルドックから(RCサクセション・ストリートスライダースみたいな…)スマイルが合うハッピーなバンドカラーに移行していたと思う。フォークブルドックの時代もありました。
その当時は今みたいに手帳にメモらないので時代とか記憶が曖昧なんだけど…ノブオンはブルドックからパクチクパクチカなどを経て
「ロックより笑いだ!ワハハの方がロックだ!」と言うノブオ節を残して劇団ワハハ本舗に入った
アマチュア時代のツイスターズ(ザ・コブラツイスターズ)も結構、音楽性も固まってきて和風ロックなんて呼ばれてきた。
その当時、エイジは久保トップやオバQなんかとグランジ・オルタナ系の音楽をやっていた。下北沢ガレージなんかが拠点だったので良くライブに顔を出していた。飛び入りしたり 久保トップがいたのが LARD FLOWER でその後がラジカルハイカラ だったな。
smashing pumpkins に影響受けて
エイジもファズベースを弾いてたっけ(今、聴くとLo-Fiなんだけど
ニューエストモデルっぽくもある よく聴いたなあ)
そして玉井がザ・コブラツイスターズを脱退しノブオ先輩と冗談音楽
「ポカスカジャン」を結成して…ポカスカジャンとしてデビューした後に残された相馬と川畑は頑張ってザ・コブラツイスターズでメジャーデビューって…この辺りの話も無茶苦茶面白いんだけど 今日はエイジの話なんでまた別の機会に
ザ・コブラツイスターズとしてデビューした後もエイジはイベント会社に就職してコブツイにもポカスカジャンにも声かけてイベントに呼んでもらったり…人と人との繋がりを【縁を大事にする】律儀な人間だった。
もっともエイジらしいと感動したのは去年の夏の渋谷ラママでの
【ブルドック復活祭】新型コロナの影響で見に行けなかったんだけど、配信ライブもあって配信で見ました。
昔の仲間とコメントのやりとりも楽しかったなぁ
その辺の所はアキラブログにも
書いてあります。
エイジは愛したブルドックの再結成で安心したのかなぁ 新しいイベント会社の社長として 頑張りすぎたのかなぁ エイジはまだバリバリ若いのに俺たちより先に旅立ってしまった。その訃報を久米島でノブオ先輩から聞いた時は「なんで?なんで?」と信じられず記憶がなくなるまでお酒を呑んでしまったよ(気持ちがついて行かなかった・・・)
告別式の日に東京にちょうど行けるタイミングだったんで行ったらブルドックのメンバーもタマ伸也も相馬もいてね。昔飲んだ渋谷の山家で呑んでるうちに誰からともなく「エージの追悼ライブやろう!ラママでやろう!」って話になり今回の企画に至っています。
仲間を愛したエージ
喜んでいるのかな…
エイジの魂はラママに
きてくれるのかな…
音楽を愛し・プロレスを愛し・笑いを愛し
イベントを愛し・人を愛した
エイジに恩返し 音返し
する素晴らしい機会だと思います。
追悼とはいえ
悲しみにくれたライブにするつもりはありません。
そしたらエイジに笑われちゃうからね。
悲しみをぶっ飛ばすような
ニューオリンズの葬式みたいな
そんなライブにしたいと思います。
最後にブルドックの
「ニューオリンズの空から」の
歌詞を添付して
締めたいと思います。
「ニューオリンズの空から」
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