ヒトとコンピューター4(エクリから)

第1回記事:ヒトとコンピューター1(エクリから)
第2回記事:ヒトとコンピューター2(エクリから)
第3回記事:ヒトとコンピューター3(エクリから)

第4回目となる今回も引き続きÉKRITS<エクリ>に掲載中である水野勝仁氏による「インターフェースを読む」という連載を元に、そのモデルスケッチの清書と自身の考察を書いていきたいと思う。

今回は、第4回の「インターフェイスからサーフェイスへ — スキューモーフィズム再考」の記事である。第4回目の記事は、以前一気読みした時に正直言って一番印象が薄い記事だった。というのも、タイトルにもあるインターフェイスからサーフェイスへというパラダイムシフト(トーマス・クーン的な意味で)の重要性を明確に理解できていなかったからだ。清書を完成させてから、いつも一緒に週末にカフェで勉強をする友人に水野氏の記事に対する自分の解釈を一度説明したものの、内容の落とし所を簡潔に言葉にすることができなかった。

自宅に帰り、しばらく時間がたった後に自分のスライドを見返した見ると今回の記事の内容をより咀嚼可能な形にするには、1つのスライドをいくつにも分解していく必要性が見えた。結果的に少し長いスライドデッキになったものの、自分の解釈のメンタルモデルを正確に記録できるに越したことはない。ということで今回も前回記事のモデルの1つから始めていく。

イメージとシンボルが折り重なるGUI

前回記事のメインのポイントは、マウス・カーソルを用いたインタラクションによって重ねられた現実世界と情報世界間での合成的行為、そしてGUIにおける「重なるウィンドウ」によって齎されたイメージとシンボルの表裏一体構造であった。


透き間を実体化するデスクトップメタファー

ヒトは、マウスと連動するカーソルに自分自身を投影させながら、この「重なるウィンドウ」上にあるイメージ(シンボル)を能動的に操作することが可能になった。ウィンドウの重なりを明確にするために、実際には存在したい隙間にピクセルからなる「影」を与え、そのフィクショナルな存在を強調した。水野氏は記事内においてこのフィクショナルな空間を「透き間」と呼称した。

この「透き間」は、その不安定さゆえにその存在を固定してくれる他の存在を必要とした。ここで用いられたのがデクストップメタファーである。

デクストップメタファーは、ヒトが物理世界で慣れ親しんだ感覚を視覚的に再現するためにこの「重なるウィンドウ」が生み出す「透き間」と共に情報空間の中に持ち込まれた。ヒトが物理世界の中で行為を行う際に、行為をする対象を認知したり、触れたりすることでその行為のプロセスを確定する。

コンピューターが映しだす情報空間上において、ヒトの五感の代わりとなる存在がカーソルである。カーソルは、物理空間上に存在するヒトが操るマウスの動きと連動してデクストップメタファーに触れる。つまり、この異なる2つの世界を繋ぐ特異点として存在する。ヒトは、行為の特定をデクストップメタファーに触れることによってコンピューターのアルゴリズムに指示を出すことができる。

ヒトが慣れ親しんだ感覚を、デクストップメタファーによって再現した事に加え、ヒトの五感の代わりを為すカーソルが可能にしたインタラクションは、XYグリッドが示す情報空間をヒトが入り込み、認知可能をすることができる探索空間・平面へと実体化させた。


表皮としてのスキューモーフィズム

ところが、タッチ型インターフェースを採用したiPhoneによってヒトはこの探索空間・平面から締め出される事になる。マウスとデクストップメタファーを介したインタラクションでは、ヒトはカーソルと一体化して探索空間・平面上を自由に侵入し、移動することが可能だった。しかしながら、タッチ型インターフェースにおいては、ヒトはデバイスのハードウェアが持つガラスに触れる(タッチする)ことのみしか許されない。つまり、探索空間・平面の外からのみのインタラクションとなる。

水野氏は、このタッチ型インターフェースにおいて、ヒトの手や指はマウスと同じ役割を果たしていると渡邊恵太氏の「融けるデザイン」引用に基づいて主張する。直感的な感覚で言えば、ヒトの手や指は、指し示すという行為において、マウスにとってのカーソルと同等の役割を担いそうな印象を受ける。それが違うとすると、タッチ型インターフェースのカーソルは何にあたるのだろうか。

物理空間上に存在するヒトの手・指(マウス)と連動して動作するものは何なのだろうかと考えると渡邊氏の主張に基づいた水野氏の説明は納得できる。それは、タッチ型インターフェースを持つデバイスの画面全体である。ヒトは、XYグリッドの高画質画面に直接触れることでそこに映し出される世界に干渉することができるようになった。

ここで重要になってくるのがスキューモーフィズム(skeuomorphism)である。Wikipediaによれば、スキューモーフィズムとは、

他の物質に似せるために行うデザインや装飾のこと

とある。

マウスとカーソルを介したインタラクションでは、ヒトはコンピューターが映しだす情報空間上の「透き間」やデクストップメタファーが実体化したフィクショナルな探索空間・平面上で合成的行為を行なっていた。しかしながら、タッチ型インターフェースは、ヒトをこの探索空間から締め出し、高画質画面に映し出される世界を自らの手や指で直接指し示し、操作することを可能にした。スキューモーフィズムは、このインタラクションのパラダイムシフトを象徴するデザインのアプローチであった。つまり、この高画質な画面に、物理世界をそっくりそのまま映し出そうとしたのである。水野氏は、これを「ごつい世界」の構築という言葉でまとめている。


インターフェイスからサーフェイスへ

これは大林寛氏によって提唱された、インターフェースモデルの変遷をまとめたダイアグラムである。水野氏は、このインターフェースからサーフェイスへのセクションをこのモデルの特に最後のファザードモデルをベースに考察を進めていった。このモデルによれば、インターフェースは、2つの異なる存在の間に位置するものではなく、それぞれのオブジェクトにまるで表皮のように張り付いたものとして認識することができる。

このファザードモデルを自分のモデルにあてはめると、

「物理世界上において、それぞれに表皮(ファザード)を所有するオブジェクトとなるヒトとコンピューター」というようにまとまることができる。このモデルが示すのは、ヒトもコンピューターも同じ世界に等しく存在するオブジェクトと捉えられるということである。そして、それらのオブジェクト同士は、互いの表皮(ファザード)を通してインタラクションを行う。

大林寛氏のファザードモデルは、これからの議論においてその重要度をさらに増してくる。それぞれに表皮(ファザード)を持つオブジェクトは、それらの表皮を含む表面(サーフェイス)より深い階層への他者から侵入を拒絶する。ヒトが、タッチ型インターフェースの登場によって探索空間・平面から締め出される事になったのはこの為である。これは見方を変えれば、オブジェクトの存在を定義する境界としての表面(サーフェイス)と捉えることができる。

物理世界の中で、ヒトとコンピューターが同等のオブジェクト同士として認識することが可能になった理由として、デクストップメタファーによって実体化されてきた「透き間」の拡大が挙げられる。これはタッチ型インターフェースがマウス・カーソルの存在を、ヒトの手・指と物理世界を真似た「ごつい世界」を映しだす高画質画面へと置き換えたことと関係がある。

タッチ型インターフェース以前までは、フィクショナルな探索空間・平面のみに存在した情報空間(ソフトウェア)上の「透き間」が、ヒト(カーソル)をその空間から締め出すことで、ヒトが直接干渉できる物理空間(ハードウェア)まで染み出し、拡大してきた。そして、スキューモーフィズムによって、物理空間の表皮をそっくりそのまま「ごつい世界」としてこの高画質画面へと移植することで、物理世界と仮想(情報)世界を重ねあげた。この2つの世界が重なった「透き間」では、ヒトとコンピューターは単なるオブジェクトとなる。

そして、それぞれのオブジェクトは、他者の侵入を拒絶する表面(サーフェイス)の一部である表皮(ファザード)を介して、最小化した行為を実行する。ここに、時々オブジェクト同士のインターフェースと変化する表面(サーフェイス)が誕生する。


インタラクションからリフレクション(反射)へ

長くなったが、デザイナーとしてはここからが一番面白い。

前述したように、オブジェクトの存在を定義する表面(サーフェイス)は、他のオブジェクトの侵入を拒絶する。つまり、2つの異なるオブジェクト間で発生するインタラクションは、光が物体にぶつかるように「反射」する。この「反射」の軌跡は、オブジェクト特有のものであり、その特性を明瞭にする。

最小化された行為は、行為のパターンが簡素に限定化されているために、コンピュータがこの「反射」を計算し、数値化するのに最適であった。

ヒトとコンピューターとの間で発生する「反射」の他に、コンピューターはハードウェアとソフトウェアが表裏一体化した二層構造において、オブジェクト同士で起こる「反射」とは異なる軌跡を生み出していく。このヒトの行為を起点として発生する新しい「反射」の研究を推し進めたものが、フラットデザインとマテリアルデザインである(第5回本記事内容)。

物理空間に存在するオブジェクトは、ヒトとコンピューターのみではない、他にも無数のオブジェクトが存在し、それぞれにおける行為が乱反射している。今の自分たちは、この行為のリフレクション(反射)を設計する必要がある。


まとめ

文中では「行為のリフレクション(反射)」の設計に関する記述は、フラットデザインとマテリアルデザインよりも先にあったが、自分の考察においては1番最後に持ってくることにした。

水野氏は、

私たちはヒトとコンピュータとのあいだでのインタラクションではなく、物理世界に遍在するサーフェイスで乱反射する光を整えるように「行為のリフレクション(反射)」を設計しなければならないのである。

と述べている。

自分の個人的な解釈はおそらく、水野氏がこの一文をもって意図したことと異なっているかもしれない。しかしながら、自分としてはヒトとコンピューターとの関係・ハードウェアとソフトウェアの関係が、タッチ型インターフェース(サーフェイス)によって、大きく変化したデザインに焦点を当てた解釈が一番しっくりきた。

つまり、デザインのパラダイムとしては、単なるオブジェクトの形体デザインから1つのオブジェクトのインタラクションシステムのデザインへ、そしてそれぞれに異なるシステムを有するオブジェクト同士をシームレスに繋ぎ、循環するシステムを設計するシステムズデザインへと変遷したことをまとめたものという解釈である。

このポイントは、思い返してみると第5回目の連載記事とも深くつながってくるように感じた。

これまでの記事を振り返って、これまで歴史上で台頭した分野をまとめると
1. Programmer-Machine Interaction
2. Human-Computer Interaction
3. Human-Centered Design
4. Interaction Design
となり、おそらく最後は
5. Systems Design?
という感じになるのだろうと思っている。

という感じで、今回はここまで。


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Thanks for reading:)
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akiramotomura

ヒトとコンピューター(エクリより)

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