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震災から10年目

最近は新型コロナウィルスが世間をさわがせ、私のまわりではFukushima 50が話題になり、心がざわついている今日この頃です。震災前は東電も地域住民も原発に“絶対安全”を追求し、震災後は日本中・世界中の人が放射線リスクゼロを求め(て福島を忌避し)、新型コロナウィルスでは絶対に感染しないよう狂乱している。SNSはもちろん、テレビでも連日情報が氾濫し、何が正解かも分からない。震災の時と同じような感覚になります。大事なことは、どこにも存在しないゼロリスクを求めないこと、落ち着いて理解に努め、自分で判断して楽観視せず正しく恐れることだと思います。 

この前、アルツ磐梯スキー場に行ってきました。僕にとってそこは2011年3月11日14時46分にいた場所。当時、大学を卒業して、就職したベンチャーを3ヶ月で辞めて、大学院進学を決めて、怒涛の23歳ライフを送っていた自分は、束の間の楽しみということでスキー場でアルバイトしながら、滑り放題を満喫していました。3月11日は仕事が休みだったので1日滑り、そろそろ上がろうかなぁと思っていた時に震災が発生しました。スキーを履いていて雪上にいたので実はそこまで揺れを実感できず、自分の世界を一変する出来事になるとは思いもよりませんでした。
その後、大学院に進学して東京の企業に就職したので、アルツスキー場はなかなか行ける場所ではなく、今年になってようやく9年ぶりに行ってきました。滑りに行くというよりも、震災当時にいた場所に立ったら自分は何を感じるのかなということに興味があったからです。

約9年ぶりにその場所に立って思ったことは、「9年間に色々あったなぁ。僕の“震災後”は終わったなぁ。」でした。

先日投稿したように、もともと「いつかは福島に帰ろう」と思っていたのが、「可能な限り早く福島に帰ろう」になったのが東日本大震災でした。2011年、2012年の大学院生時代は同級生と震災復興支援活動に取り組み、企業に就職してからは企業の復興支援活動に関わったり、福島に関する人達とシェアハウスをしたり。様々なかたちで福島に関わり、たくさんの人と出会いながらUターンするきっかけを探していました。一番のきっかけは結婚でしたけど笑

昨年福島に戻ってきて、福島の魅力を発掘して発信することを仕事にしながら、夫婦で福島らしい場所づくりに取り組み始めました。そんな状況であらためて震災発生時に居た場所に行ったことで、自分の中で次の段階に移ったことを自覚できました。これからは”震災・原発事故のあった福島”の復興活動ではなく、新しくワクワクする福島を創る活動をしていきます(伝わるかなぁ)。そして、しばらくしたら再びアルツスキー場のその場所に立ってみようと思います。

写真は2011年2月16日にアルツスキー場から撮影した磐梯山と猪苗代湖です。美しい。



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