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「最も正しい者が狂って見えるのは、古からフィクションの世界だけなんじゃないかな?」

時々考えるんだけどねこれ。
講義録の中に出てくる某元参議院議員が声を上げ出した時福島県民のわたしは、
「この人が『20世紀少年』の主人公みたいな人だったらどうしよう……」
と怖かった。
「20世紀少年」や、たとえば「ターミネーター」のリンダ・ハミルトン。
こないだ久しぶりに「ターミネーター2」を観て、
「最も正しい者が狂って見える世界というフィクションは多いな」
と、あれこれ思った。
本当はフィクションじゃないと思うのね。実のところ。
あるミュージカル俳優の言い分を読んで、またこのことを思った。
言ってることは、わたしは「正しい」とは思う。
でも、その「正しさ」の手前に経済なんかがあって、要は満席にならんと興行は回らない。
でも目的が「満席にする」になると、「演劇や表現」が疎かになって耐えられないのはすごくよくわかる。
わかるんだけど、多分そのジレンマってたくさんの当事者が抱えてて、「興行」と「表現」を一致させるためにもしかしたらあんまりしたくないかもしれない地道な努力をしてる人たちもきっとたくさんいる。
わたしの担当さんが言った、
「30年前は看過されたほもおだほもおが、30年後の今は許されない」
みたいな。
段階的なやり方を踏んでいかないと、世界はやさしく美しい方に変わりにくいんじゃないかと思う。わたしの棲む世界も、あなたの棲む世界も。
その礎になるために頑張ってる人たちはいる。
じゃあその大声を上げたミュージカル俳優を否定するのかというと、時々そういうカンフル剤を打つみたいなことがないと、物事はよどんで停滞しちゃうと思う。
だけど彼はいなくなったりしない? 大丈夫? カンフル剤になった人。
賢くないかもしれないけど、わたしは敬意を払いたいよ。でもいなくなったらなんもできないじゃない。
穿った見方をするとね。自分の視界に頷いてくれる人しか見えないと、「自分だけが正しい」と信じて叫んでしまうのかもしれない。それで消えたら幸せだとは思えないので、ちゃんといさめたり否定したりしてくれる人が見えなくなったらヤバイよ。裸の王様になっちゃう。
わたしも気をつけるね。いさめたり否定したりちゃんとしてくれる人がいるうちに、耳を傾けて聴く。
消えたくないもん。

某元参議院議員は、もしかしたら消えるカンフル剤には終わらないのかもと最近思う。
かなり優秀なブレーンに囲まれてる気がしてる。一人で考えられることじゃないし一人でできることじゃない。その人たちの声をしっかり聴いてる気がしてる。いつのまにか、とりあえず裸の王様ではなくなったのかもしれない。
彼が政権を取ることは現実的ではないけど、消えないカンフル剤として、よくない方向に落ちていく物事を少しは止めるかもしれない。
無理矢理中央に行こうとして消えられるより、生き残って抑止になってほしい。
これは勝手なわたしの言い分だ。
声を上げたミュージカル俳優も、いなくならないでほしいな。いい役者だよ。
あなたの姿が見えなくなったらもうその声は聞こえない。
賢いやり方というのではなく。
ゆっくりと、でもよりよい方向に物事を変える現実的なやり方があるように思い始めてる。
震災があったので、わたしはそれを初めて考えるようになった。
理想主義、机上の空論。
よく聞いた言葉。
それも悪くないと思う。理想は必要だよ。
でもわたしには震災以来目の前に「そこにある危機」があって、具体的に成果がなければそれは誰かの命や生活に関わる。
誰かは、わたしの可愛い甥姪だったりする。
時々叫びたくもなるけど、消えるわけにいかない。
男の子は我慢できずに叫んじゃう子が多いなって思う。
わかるけど。
消えたらなんにもできなくなるのを、叫ぶ前に思い出してほしいな。

日本には抑止が足りないとは思ってる、いま。
だからこそどの世界からも消えずにいてほしいよ。


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