見出し画像

『朝彦と夜彦1987』2024年公演/千穐楽おめでとうございます。

一公演も欠けることなく全公演無事千穐楽を迎えられて、それは2020年前にはわからなかった大きな幸い。
大きな未来でした。
千穐楽おめでとうございます。

今回初めて観てくださった方も多いと思うので、改めてわたしの話をします。
わたしは二十年程前に、上演予定でこの戯曲を書きました。その上演は叶いませんでした。
作家であり、劇作家を名乗っているけど、演劇人なのかどうかは自信のなさがあり、一方で責任を持つという覚悟はあります。
自信がないのは単純に、演劇人といえるほど現場を踏んでいないからです。でもコロナ禍が始まった時劇場の扉が次々と閉まり、演劇人が叩かれた時にすごく痛かったので演劇人です。

物語を書くのが仕事なので、この戯曲に限らずだけれど、
「これは誰にどういうことが起きて、それでこうなってああなる話」
と、内容については三行くらいで説明できます。それはわたしが物語を書く時のいつものこと。少なくとも二つの受け取り方は、前提として戯曲の中に書きました。

でも2015年の初演から「受け取り方」について一切口出ししないし、今後も絶対にしない。稽古場には強い意志で入らない。
船頭多くして船山に上る、だし。
ものすごく僭越だけどわかりやすいたとえだと思うので、たとえます。
2024年に観た「リア王」が素晴らしかった時に、シェイクスピアについて言及する人は少ない。現代の「リア王」の公演が素晴らしかったなら、それは演出家と俳優たちの力です。

シェイクスピア気取りか。
でもそうなんです。
シェイクスピアの綴った言葉は素晴らしい。その前提ごとシェイクスピア気取りで、わたしはこの公演は演出家のものだと思ってる。

つけ加えるなら、演出は「現場にいったら演出家がいなかった」という理由で二回したことがあるけどトラウマです。
わたしは演出は本当にしたくないし、誰のためにも絶対にしない方がいい。
書いている時は、脳内に完全正解が存在します。
そのトラウマ演出がどんなだったかというと、俳優が演じて、
「どうですか?」
「(わたしの脳内のイメージと)全然違います」
という。
今なら訴えられてもおかしくない。
最悪の演出だった。
俳優たちにも叱られた。
力のある俳優たちだったので形になったけど、随分前のことなのに今思い出してもこの瞬間に泣いた。本当に本当に申し訳なかった。

演出家の仕事はそういうものではないです。
わたしにはまったくできない仕事だと、二度やったことで思い知りました。

四回目の公演にして、自分の立場を明文化したかった。
それはわたしの、中屋敷法仁への尊敬と尊重と敬愛からです。
どの演出家にもわたしが書いた言葉を完全に委ねられると思っていないということも、明文化したかった。

ここまで十五組のペアすべて観ることができて、それはただ嬉しい。
公演中は「劇作家の先生」という立場なので、そんないきものが劇場をふらふらしていて申し訳ない。

それから、俳優たちがそれぞれの答えを探しているように見える場面がたまにあるので、
「わたしはその答えを持っていない」
ということも明文化したかった。

中屋敷法仁と一緒にあなたたちが出した答えが、答えです。

そして観客のみなさんが受け取った答えが答えです。

これは、小説でも同じだった。そうだった。

わたしの小説も読んでください。
そういう小説を書いています。

シェイクスピアの派手な潤色を取り締まる「シェイクスピア警察」と、潤色を地下上演するシェイクスピアテロリストたちの闘いを描いた、
『シェイクスピア警察 マクベスは世界の王になれるか』(集英社オレンジ文庫)

『朝彦と夜彦1987』を書いてから十二年上演されずに戯曲が寝ていたので、同じテーマで小説も書きました。これを書いている頃に初演が決まって、不思議な気持ちになった。同じテーマの小説です。
『僕は穴の空いた服を着て。』(河出書房新社)

演劇も小説も、最後は観た人、読んだ人のものだ。

写真は千穐楽の夜の月。
誰の上にも千穐楽。おめでとうございます。

サポートありがとうございます。 サポートいただいた分は、『あしなが育英会』に全額寄付させていただきます。 もし『あしなが育英会』にまっすぐと思われたら、そちらに是非よろしくお願いします。