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'95 till Infinity 043

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【 第1章: 2nd Summer of Love of Our Own 035 】


 そのミックスマグに頻繁に現れる言葉があった。

 『デファイニングモーメント』

 ミックスマグの記事の中でこのデファイニングモーメントという言葉との付き合いが長くなれば長くなるほど、俺にとってのこの言葉の意味は辞書通りの「その後を決定づける、決定的な瞬間」から『自分が存在する世界の全てがデファイン(意味づけ)される瞬間』という風に変わっていった。

 1m先も見えないような濃い靄の中歩く細長い現実という林道。

 深く生い茂った両脇の森の枝は歩幅に合わせて俺の肩を撫でる。頭上を覆う木々の枝や葉や絡みついた蔦は光を完全にシャットアウトしている。

 その道が突然開け、目の前に広がるのは腰までもない雑草の草原。雲の間を縫うように通り抜けた柔らかい光は靄の粒子単位の隙間を流れる。

 数秒前の靄の中、自分自身の輪郭すら掴めないような状態から突然全てがクリアでリアルに感じられる『瞬間』。足元の手のひら大の葉っぱは淡い緑で、葉っぱにのった露の水滴はいとおしいくらいにまん丸で透明だ。

 俺にとってのデファイニングモーメントは自分を中心とした個人的世界の全ての存在意義を魂の一番深いところで感じる「あの」瞬間。

 もちろん、一度や二度は俺の人生が決定的に変わったこともあったろうけど、MDMAに導かれたこの瞬間は俺の2年ちょっとのエクスタシーランドでの冒険の中で少なくとも両手で数えきれないほどあった。

 それこそ、その場の雰囲気や、直径1cmもない錠剤のコンマ何ミリグラム単位のMDMAの含有量やその時々の自分の調子次第だけれど、公平に言ってそれが毎回俺の人生を変えるような経験だったとは言えない。

 大体、そんなに毎回毎回が俺の人生のターニングポイントだったとしたら、俺の人生ってものは博物館のホルマリン漬けの寄生虫の標本みたいに曲がりくねって最終的には元の場所に戻ってくるようなものになっていただろう。そんな人生は俺だってお断り願いたい。

 それでも、照明がぐるぐる回り、汗でぐっしょり濡れたシャツがベースに震えるダンスフロアや、車座に座り地球を抱きしめるように仲間をハグしたチルアウトルームで体験したあの瞬間は間違いなく特別なものだったし、その瞬間俺にとってはそこ以外の世界なんて存在しなかった。

 あの瞬間感じていたものは - それが善いことのか悪いことは別として - 俺の人格の奥にある、ささやかだけれど、本当に本当に大事でプライベートな場所を今でも確かに占めている。

noteも含めた"アウトプット"に生きる本や音楽、DVD等に使います。海外移住時に銀行とケンカして使える日本の口座がないんで、次回帰国時に口座開設 or 使ってない口座を復活するまで貯めに貯めてAmazonで買わせてもらいます。