井の中の蛙もそれはそれで幸せなんじゃね? カナダ留学日記 10/8(Tue)バンクーバー生活残り35日

ここ1年間、ほんとに「幸せ」って何なんだろって考える時間が多いんだけど、今日もそんな話です。

「井の中の蛙大海を知らず」
ということわざがある。
これはどちらかといえばネガティブな文脈で使われる場合が多い。

意味を調べてみると、
狭い見識にとらわれて、他に広い世界があることを知らないで、自分の住んでいるところがすべてだと思い込んでいる人のことをいう。
小さな井戸の中に住む蛙は、大きな海があることを知らないという意から、物の見方や考えが狭いことを批判する場合に多く使われる。
とある。

僕は自分が幸せならそれだけで十分素晴らしい人生を送れるというように考えているので、いかにして自分を幸せにするか?ということが思考の出発点である。

自分を幸せにするために、自分と関わる人全てを幸せにしたいし、
自分を幸せにするために、周囲から言われたこと・期待されていることよりも、自分が心からやりたいと思うことを優先したい。

全ては自分の幸せのためである。

そんな幸せに関して、僕は2つの考え方の軸を持っていて、それが、全体の体積とその密度である。

どういうことか。

これはイメージを使わないと伝わる気がしないんだけど、まずは何かしらの球体をイメージしてほしい。
その球体には水を注ぐことができる。

僕の考える幸せの2つの軸は、この球体の大きさと球体の中に入っている水の量で表される。

球体が小さければ、すぐに水を満杯にすることができるが、球体が大きければ、水を満杯にすることは難しくなる。

多くの幸せを感じられない人は、あまりにも大きい球体に水を注ごうとしている。
球体(理想)が大きければ大きいほど、必要な水の量(幸せを感じられる出来事)はたくさん必要になる。
よくいる、周りから見れば十分に素晴らしい能力を持っているにも関わらず、自己肯定感が低く幸せじゃない人がこのパターンである。

井の中の蛙とは、この逆のパターンではないだろうか。
そもそもの球体(理想)が小さいため、少しの量の水(幸せを感じられる出来事)で球体を満たすことができる。
客観的にみれば、所得も低くて社会的地位も低いような人でもとても幸せそうに暮らしてる人がいる。そんな人はこのようなタイプである。

あなたはどっちを目指したいだろうか?

これは完全に個人の好みなんだけど、僕はもっと多くの人が井の中の蛙を目指してもいいと思う。
まずは井の中の蛙になったうえで、もっと上を目指したくなったときに井戸から飛び出せばいい。

その順序が逆になると、いつまでたっても理想に現実が追いつかずに、幸せを感じることが難しくなる。

現実的な話として、日本という国は今後先進国ではなくなる。

そんな中でいつまでたっても高い目標ばかりをみていたら、この国に希望を持つ人はいなくなる。

そうではなくて、いかにして日々の生活のささいなこと(3食食べれること、自分を必要としてくれる人がいること等)に喜びを感じることができるかにフォーカスするべきだ。

高い目標を目指すのは、まずは小さくてもいいから自分の心の中の球体を満たしてあげることができてからだ。
そうすることで、もっと多くの人が生きてることそれ自体に感謝して幸せに生きれるんじゃないかな。

今日はこんな感じ。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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