余裕を持つこと カナダ留学日記 10/7(Mon)バンクーバー生活残り36日

人生を幸せに生きれる人とそうでない人の違いは何だろうか。
その答えの1つが「余裕」があるかどうかである。
ここでいう余裕とは、物質・精神どちらの面にも適応される。

僕は今年の2月に人生初のヒッチハイクを行った。
そのときに車に乗せてくれた人々はどの人も生きていること自体に幸せを感じていた。
そんな人達に共通していたことが、余裕があるということである。

そもそもヒッチハイカーを自分の車に乗せるという行為自体が余裕がなければできない行為である。
物質的なことを考えると、そもそも車に人を乗せるスペースが必要だし、時間に追われていてもそんな選択肢は取ることができない。
また、精神的な面を考えても、見ず知らずの他人を自分の車に乗せるなんて行為は「普通」の人はしない。「もし乗せたやつが変なやつや犯罪者だったら、、、」そう考えるのが普通の思考である。

そんな中、僕を車に乗せるという行為を選んでくれた人たちである。
当然、広い心を持っているし、その人たちが歩んできた人生も今まで聞いたことのないような話ばかりだった。

「余裕のある人間になりたい」
このとき僕は強くそう思った。

日本では、数分の電車やバスの乱れに苦情が殺到し、飲食店ではお客様は神様という完璧な接客が求められ、お客さんはそれが当然だと考えている。

果たして彼らに「余裕」はあるだろうか??

「そもそも物質的な余裕(所得など)がなければ、余裕なんて持てない。余裕を持って生活できるのは一部の成功者だけである」

こんなことを考える人もいるだろう。

でも僕はそれは考え方が逆だと思う。

物質的な豊かさは精神的な豊かさを左右する1つの要素であることは間違いないけど、それが全てではない。
むしろ、物質的な豊かさがなくても精神的に満たされている人がこの世界には数多くいる。

数年前に世界一幸せな国としてブームになったブータンという国は、経済的な豊かさで考えると日本を遥かに下回る。
でも彼らは生きることに幸せを感じている。
この違いは何だろうか。

それが精神的な豊かさ、言いかえればいかに日頃の生活に感謝して、余裕を持って生活できているか、であると考える。

余裕を持つこと

この考えを日本人がもう少し強く意識できれば、日本はもう少しみんなが生きやすい社会になる。

今日はこんな感じ。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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