私の研究者・Makerとしての半生

私はよく、「何が専門分野かわからない」と言われるのですが、自分でも不思議といえば不思議です。あるとき、自分の今に至る経緯をまとめる機会があって、自分なりに過去から現在をふりかえって、一応整理はついたので、まとめておきます。(ふだん考えていること、やっていることは、Twitter: akita11 でよく書いています)

私の父はエンジニアでした。仕事なのか趣味なのかはわかりませんが、家に工具やら、雑多なネジがころがっている風景で育ちました。そんな父は、これも仕事なのか趣味なのかわかりませんが、ときどき電子部品を買ってきました。これは小学校3年生くらいのころでした。学研の図鑑で見たことのあるトランジスターや抵抗器、コンデンサーなどがいっぱい入っていました。そして父は、半田ごてを使ってなにやら作りはじめました。私は横で、何をしているんだろう?と不思議に見ていました。その頃は、泉先生のトランジスタ工作集、みたいな本が家にあって、キッチンタイマーとかLED点滅器とかを、ラグ板にトランジスタなどを半田づけして作っていたんだろうと思います。
部品を買いに行くのに連れて行ってくれたこともあります。これと、これと、と、欲しい部品だけを選んで取り皿にとっていきました。そしてレジのところで勘定をすませると、お店のおじさんは、選んだ部品だけを小さな袋につめてくれました。なんだか、お菓子屋さんで、自分の大好きなお菓子だけを選んで、つめてもらった袋のように、宝物が詰まった魔法の袋に見えました。

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小学校4年生くらいからは、私にもやらせてくれました。(ただ、ラジオを作った記憶はありません)そんなわけで、「半田の煙で育った」わけで、小学校6年生ぐらいのときには、一人でバスでパーツ屋に行って、なんか買ってきたものです。ちなみに一度、ケーブル切り売り屋さんで、切ってもらったあとで手持ちが足りないことに気づき、おっちゃんから「どうするんやワレ」と怒られた記憶があります。あと名古屋には科学館があって、そこの友の会(?)で電子工作をすることもありましたが、科学館はけっこうよく行っていて、科学に親しんだ場のような気がします。

ところで中学校のころは、いわゆるパソコンが世に出始めた時代でもあります。新しいもの好きの父は中古でパソコン(MZ-1200)を買ってきて、それを私が使わせてもらっていました。最初はよくある、雑誌(ベーシックマガジンとか)に載っているゲームのプログラムを入力して遊ぶ、のから入って、プログラムを書くようになっていきました。その当時はBASICとアセンブラ(Z80)がほとんどです。(アセンブラといっても、もっぱら手動アセンブラ(アセンブリ言語のプログラムを表を見ながらマシン語に変換する)で、にそのおかげか、いまでもZ80のマシン語(アセンブリ言語ではない)は、だいぶ喋れます。また、パソコンにジョイスティックをつけたりといった改造もよくやっていました。(その頃には雑誌にもそういう記事がよく載っていた)

その後、高校生のころに、一時期、化学に強い興味をもったりしました(そのおかげか、いまでも半導体などの物性とか材料は少しわかりますし、元素周期表マグカップはいまでも愛用しています)。また、数学かぶれの時期もありました(そのおかげか、マンデルブロ集合はいまでもうっとり眺めますし、リーマンのζ関数をみると妙に胸が高ぶりますし、素数も好きですが、それより、これは後述するように、結果として大きな影響がありました)。

それでも、結果として、「三つ子の魂、百まで」ということだと思うのですが、その影響を強く受け、大学では工学部の電子工学科に進学しました。電子工学科の在学中、趣味や学園祭でロボットなどを作る活動をしていましたが、そのようないわゆる「ものづくり」の世界と、大学で学ぶ授業やそこで学ぶ同級生との意識の違いを感じていました。その違いとは、例えば実際に秋葉原に電子部品を買いに行ったことがある同級生がおらず、また大学の授業も理論や整備された環境での実験が大半で、私が慣れ親しんでいる「ものづくり」の世界との距離でした。もちろん工学部ですから、純粋理論ばかりを学ぶわけではないわけですが、学ぶことと実際に「動くものつくる」こととの埋めがたい隙間を意識するようになり、漠然と「ものづくりに根差した教育研究」に興味を持つようになりました。

その後、小学生の頃に初めて触れ、魔法の箱のような機能の詰まった憧れであった集積回路を研究対象に選びました。幅広い理論と技術の集積である集積回路は、研究対象としては非常に魅力的なものでしたが、周りをみても、自分で設計して試作した集積回路を、システムに組み込んで実際に活用する例は皆無で、またその集積回路が現場でどう使われるかということには経験も関心もない研究者が多いように感じることも多く、このような、工学における集積回路研究に対する違和感を持つうになり、研究対象としての集積回路に興味が薄れた時期もありました。話を聞くと、昔は秋葉原に通っていた、という研究者は、そこそこいるのですが、最近は全く、という人がほとんどです。

ところで私は高校時代には数学にも興味があり、当時現れてきた新しい数学であるカオスとフラクタルに没頭していました。PC-8801で一晩かけてジュリア集合やマンデルブロ集合を描いていた、たぶん当時はそれなりにいた高校生でした。(ちなみに部活としては物理部で、水ロケットもよく飛ばしていた)そんな私を見た当時の数学の担任教諭から、全国の数理科学好きが集まるセミナーである「数理の翼夏季セミナー」への参加を勧められ、参加しました。そのセミナーで、全国に数多くいる数理科学が大好きな高校生に触発されることになりました。このセミナーは、数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞した広中平祐先生が財団をつくって開催していた(当時)セミナーでした。何より刺激的だったのは、似たような高校生(むしろもっとすごいやつ)が日本中にごろごろいることを知ったことで、自分は井の中の蛙だな、と思うとともに、仲間がたくさんいることを知れたこと、つまり、今の自分は間違ってないんだ、ということを自覚できたのは大きな影響だったと思います。ちなみに母によると、セミナーから帰ってきて1週間ほど、もぬけの殻のように、何を聞いても生返事、という状態だったそうです。おそらく強すぎる刺激を受けて、自分の中で、自分を再構成していたんでしょうね。

大学進学後はそのセミナーや、勉強会などの活動が活発な同窓会(湧源クラブ)の運営にも関わり、大学での勉学とは異質の刺激を受け、人脈を形成することができました。その後、この活動と人脈の縁からだと思うのですが、まだ博士課程の学生だった平成7年に、平成12年に函館で開学予定の大学(その後の公立はこだて未来大学)の中身を考える計画策定委員に声をかけていただく機会を得ました(たまたま帰省していて実家で夕食中に、広中先生から電話がかかってきた)。その時点では「函館に公立の情報系の大学をつくる」ことしか決まっていなかったのですが、この計画策定委員会での議論の過程で、「コンピュータをどう使うか、ではなくて、何に使うか」と目標に設定し、「コンピュータを何に使うか」を考える学生を育てる教育研究のために必要な計算機科学だけではなく情報デザインや認知科学、ロボティクスなどの幅広い分野にまたがるカリキュラムの策定にかかわる経験をしました。その中で、理論だけではなくて実践を通して学ぶ、いわゆるプロジェクト学習(PBL)の重要性にも早い段階から着目し、その設計の過程で、これこそが私が大学在学中に感じていた「ものづくり」の理論と実践の隙間を埋めるものであることを確信しました。この経緯から、平成12年の開学にあわせて、公立はこだて未来大学に勤務しましたが、そこでは情報デザインやロボティクス、認知科学などの幅広い教員との教育研究を行う経験をすることができました。ピーク時には学内で21のプロジェクトを掛け持ちしていて、いま思えばよくやったな、と思うのですが(開学当初で授業が少ない時期だったのもあると思いますが)、幅広い研究分野に触れ、それを咀嚼するよい機会でした。それによって、それまでは集積回路自体を研究対象ととらえていた私の研究に対する視野を、その集積回路をどのように使うことができるか、どのようなニーズがあるのか、という視点で大きく広げることとなりました。特に人間とコンピュータとの接点であるユーザインタフェースは、ハードウエア技術の寄与する余地が多くあり、私の中では研究分野の柱の一つとなりました。またそこでのプロジェクト学習の実践の経験も、理論と実践をつなぐことの重要性と難しさの貴重な経験となりました。
また未来大学の策定委員としての5年間と、未来大学の教員としての4年間は、情報デザイン、アクティブラーニング、環境と人間の行動(未来大学の建物そのもの)、など考え方、知識に触れられた場でもあり、それらはいまにつながっている大切な資産です。

その後、縁があって4年間で公立はこだて未来大学を離れましたが、金沢大学に勤務してからも、未来大学での教育研究の理念の実践を続ける目標をもち続けてきました。その中で、研究テーマとしては、集積回路自体のテーマと、ヒューマンインタフェースなどの集積回路を使うテーマとが交わらずに並行していたのですが、平成25年ごろから、集積回路技術を、ヒューマンインタフェースなどの幅広い応用分野で有用に活用するための枠組みが世の中に欠けていることとその重要性を認識するようになり、これも研究テーマの柱の一つとなっています。これについては、近年の「ものづくり」の新たな潮流であるMakerムーブメントとも深く関連し、MakerFaireなどへの出展参加やFabLabなどのコミュニティへのもよく顔を出していますが、好きなんだから続くんでしょうね(コースターとか売ったりマグカップとか売ったり、もこの流れ)。もちろん、MakerFaire的なイベントをやりたくて始めたNT金沢の中の人をやっているのも、この流れです。

これらの活動は、研究の世の中で位置づけや、それがどのように関わるかを常に意識することになり、私の積年の疑問である、研究と社会の関わり、さらにはそれを教育として実践する方法、として一つの解となっていると思います。そんな考えでの実践の一例が、チップをあぶる、という話でもあります。
そんなわけで、「集積回路って道具だから何につかってもいいはずじゃん(でもいまそうなってないから、そうなるようにしよう)」というメッセージを、こちらの動画に込めています。

もともとは集積回路の研究者でしたが、そんな経緯もあって、一時期は、集積回路の研究から足を洗おうと思ったこともあります。しかし、枯れた技術とはいえKinectがあれだけ世の中を変えたのを目の当たりにして、「Kinectを生み出しうる」集積回路というものを、研究の道具として持っておくことは、とても貴重であり、言い換えれば研究者の強みにもなりえると考えるようになりました。もちろん集積回路自体の研究としては、明らかに本流からははずれているので、そういう筋の研究者として生きていくことは無理ですし本望でもないのですが、「集積回路の使い方、作り方」の観点自体は、学術的にも産業的にも、あまり注目されることがないもの、ムーアの法則が飽和しつつあり、またAI/IoT時代の今だからこそ、これが研究として成り立ち、またそれができるのは、半田の煙で育った半導体研究者の私の仕事なんだろうな、と思います。

・・・オチがない・・・

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