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[時代小説]天治の剣


 
「若僧!きさま、俺をみて笑ったな!」
夜の闇に怒声が轟いた。
慶長4年11月、江戸の場末の酒場も閉まりかける、四ツ頃(午後十時ごろ)である。
一人の侍を三人の浪人が取り囲んだ。
「まことに、まことに。不愉快なことでござる」
浪人たちは酒に酔っている風である。
「笑った覚えはござらん。先を急ぎます故、ご免」
侍は軽く会釈して通り過ぎようとした。
「待てぃ!愚弄されたままでこのまま通すわけにはいかん」
「愚弄などと。誤解でござる。通してくだされ」
「ふふふ。通してほしくば、少しおいて行け。その懐の財布ごとな」
別の浪人が言った。
「最初からそれが目的か。おろかな。怪我をせぬうちにひかれい」
取り囲まれた侍は静かに答えた。
「なにっ、生意気な!なます切りにしてから有り金頂いてやる」
無頼の浪人たちは、一斉に切りかかった。
侍は3人の間を縫うように、通りすぎた。いや通り過ぎたようにみえた。
やがて3人は静かに動かなくなった。そして崩れるように倒れていった。
流れるような剣さばきであった。三人は胴を寸断されていた。
侍は無言で刀を鞘におさめ、立ち去ろうとした。
「またれい」
後ろから声がした。声の主は頭陀袋を掛け、網代笠を被っている。
「見事な腕じゃ。じゃが、なぜ無益な殺生をする。貴公の腕なら食い詰め浪人三人ごとき、切らずとも懲らしめることもできたはずじゃ」
「あのような者ども、生かしておいても世の中のためになるまい。貴殿は何者だ」
「わしか。わしは名もなき修業僧じゃ。三界無住の乞食僧でござる。じゃが、わしにはわかる。その剣では天下を治めることはできまい。『凡夫の剣』では天下を治めることを出来ませぬぞ」
「修業僧とな。ならば、聞こう。何故わしの剣を『凡夫の剣』と言われる」
「貴公の剣は血の匂いがする。いわゆる人切りの剣じゃ」
「剣は強くなければ、いや、勝たなければ意味はあるまい。弱い剣など意味なきこと。みな強さを求めて修業をしておる」
「ほほう。それが貴公の言われる剣の極意か」
「そうじゃ。強い剣、相手に勝つ剣こそ、その極意だ」
「見られい!」
声と共に侍は跳躍した。瞬間、刃が月影に光った。少し間があった後、そばにあった松の木の、三メートルの大枝がどどうっと落ちてきたのだ。
「これが柳生新陰流『天狗昇飛切りの極意』でござる」
「なるほど、凄い技じゃ。しかし、単に高い処へ飛び上がるのならば、小さな鳥でも出来ますぞ。剣の極意がそのような鳥の真似であるならば笑止千万。また、松の枝を切り落とすくらいならば、きこりは毎日やっている。剣の極意は他にあるのではないかな。又右衛門どの・・・」
修業僧は再び網代笠をかぶり、この場を立ちった。
「あの坊主、なぜ私の名を・・・」
侍は茫然として修行僧を後ろ姿を見送った。
 

 
柳生石舟斎宗厳の五男、柳生又右衛門宗頼は、のちの柳生但馬守宗矩となり、徳川幕府の剣客、政治家として活躍した。しかし、すぐに家康の剣術指南役になれたわけではなかった。様々な苦難、葛藤を乗り越えて大成していったのである。
又右エ門は、日々、道場での厳しい稽古にあけくれていた。
バキーン。弟子の木村が又右エ門の突きに跳ね飛ばされ、道場の壁に激突した。
「つぎっ 次はいないのか!」
先夜のできごとが影響してか、彼はことのほか機嫌が悪かった。
「若先生、今日は荒れてるな。何かあったのか」
「今朝からあんな感じだ。夕べ出かけておられたときに何かあったに相違ない」
「うむ、今日はおとなしくしているに限る」
又右衛門は、しゃべっている弟子をじろりとにらんで言った。
「次は貴様だ、来い!」
「ひえ~ 先生、今日は腹具合が悪くて、ご勘弁を」
「ええい、情けない。今日はこれまでじゃ」
又右衛門は憮然として道場から出ていった。
「わしの剣のどこが「凡夫の剣」なのだ。わからぬ・・・」
又右エ門は苦悶していた。
又右衛門は下がる途中の廊下で、父の柳生石舟斎宗厳にあった。
石舟斎には五男六女という子供がいた。しかし、諸事情ゆえ、自身の後継者は五男、又右衛門しかいなかっのである。又右衛門は剣においては、卓越した才能を持っていたが、精神的にはまだ未熟であった。
「又右衛門、ちょうどいいところであった。お主に合わせたい者がいる。  
こちらへまいれ」
「は・・?」
又右衛門が石舟斎の後をついて別室へ入ると、昨夜の修行僧が座していた。
「御坊は!」
「また、お会いできましたな、又右衛門殿」
「知っておるのか?この方は但馬の出で、沢庵禅師殿だ。今日から当家の客人だ」
「は。昨夜、みような出会い方を致しました」
「さようか。わしは外出する故、沢庵殿のお相手をたのむ」
かくして又右衛門と沢庵、座して向かい合うことになった。
「柳生又右衛門宗頼でござる」
「沢庵でござる」
沢庵は微笑みながら尋ねる。
「貴殿は剣術の名人を一人あげるとすれば、誰じゃ」
「それは上州の上泉伊勢守秀綱殿をおいてござらん」
「新陰流開祖秀綱殿か。もっともな答えじゃ。じゃが、その理由はなんじゃ」
「それは私と父上が柳生の里に滞在した時のこと。私は、上泉伊勢守秀綱殿がどれほどの剣豪か確かめようとおもったのでござる。ある夜、私は秀綱殿の寝所に忍び込み、太刀を持って寝ている秀綱殿に打ち込みもうした。しかし、秀綱殿はひらりと体をかわし、逆に私を抑え込んでしまわれた。寝ている秀綱殿に、私はまるで歯が立たなかったのでござる」
「なるほど。しかし深夜寝込みを襲われて、討たれるようでは名人とはいえまい。その程度は、単に武士の平常心の心掛けに過ぎないではないかな。はっはっは」
又右衛門は憮然とするが黙って聞いていた。
「又右衛門殿、この句の意味がわかるか。『子も踏まず枕も踏まずほととぎす』
「・・わからぬ。どういう意味でござる」
「ほととぎすが一声鳴いた。ふと目を覚ました。はっと床を起き上がり、枕も踏み付けずに出て来た。これは一体誰が起きて、誰が出て来たのか?わかるかな」
「なんだ、それは。そんなことになんの意味があるというのでござろう」
「我々の修行では、これがわかれば『悟り』じゃ。剣の世界に例えれば『極意』じゃ」
「剣術はそんな分けの解らぬ戯言ではござらん。どこまでも剣は剣の技でござる」。
「又右衛門殿貴殿は『天治の剣』を目指すのか、それとも『凡夫の剣』を修行なさるのか。苦心惨憺、命賭けで修行するのは、己の心を鍛える為だ。それ以外には何もない。剣術にも『悟り』と言う極意が必要じゃ。『悟り』なき剣は全て『凡夫の剣』技だけではだめじゃ。『凡夫の剣』はいずれ『凡夫の剣』に負ける。よく考えられよ」
沢庵は立ち上がって席を立った。
「むむむ・・・わからぬ。私が負けるだと。『天治の剣』とはなんだ。
 

 
又右衛門は沢庵のいうことが理解できぬまま、悶々と川岸を歩いていた。
時刻は四ツ半、通りは全ての明かりが消え、寝静まるころであった。
そのとき突然、又右衛門の前に三人の浪人侍が現れた。
「まっていたぞ。ここで待っていれば会えると思っていた。仲間がやられてこのまま引き下がるわけにはいかん。抜け!」
「貴様ら・・・無頼の徒め。まだ懲りないのか」
又右衛門が刀の柄に手をかけようとしたとき、別の声がした。
「まてまて。貴様らがかなう相手ではない。おれがやろう」
「おおっ 九鬼一刀斎!頼むぞ」
「貴殿、柳生又右衛門宗頼・・・柳生石舟斎の五男坊らしいな」
「なにっ 柳生だと!」
「さよう、こやつはそうだ。一度見たことがある。柳生を切れば、俺たちの名もあがるというものだ。ふふふ・・・」
「下郎どもめ、ゆるさん」
「いくぞ・・・」 
二人は五間の間合いで対峙した。
間合いをつめるうち、九鬼一刀斎の剣先がゆれだした。
五間の間合いがつまり始めた。
九鬼の剣先は月光に反射し、光る棒のように見える。
それがゆらゆら揺れるのである。
「こやつ・・・妖剣!いかん」
「どうした・・・ふふふ」
剣の戦において、相手の太刀筋を読むことは重要である。
相手の太刀筋を読むには、剣先を見なければならない。
しかし、刀を見ていると相手の身体の動きを読むことが出来ない。
又右衛門は相手の術中にはまったのを感じた。
「いかん、このままでは切られる・・・」
又右衛門のわきの下を冷たい汗が流れた。
その時だった。
「おおい、切り合いをしてるぞ!役人を呼んで来い!」
どこからか大声がした。
「ちっ、邪魔が入った。勝負はあずけるぞ。ひけ!」
九鬼は舌打ちをした。浪人たちは闇夜に姿を消した。
暗闇からゆっくり沢庵が姿を現した。
「沢庵殿か・・・」
「月がきれいなので、ぶらりと出かけてみたのだ。そうしたら切り合いに出会うたのだ」
「あの者、恐るべき妖剣・・・あのままだと私は切られていた・・・」
「あの剣法は目くらましじゃ。恐れるに足らぬ」
「どうすれば勝てまする」
「勝つことばかり考えるから駄目じゃ。何度も言うておる。心の目で見ることじゃ。さすれば相手の剣の本性も見えてくる」
「しかし・・・」
「心の修行をすることじゃ」
 

 
「又右衛門の様子はどうじゃ」
石舟斎が心配そうに聞いた。
「あれからだいぶ落ち込んでおりますな」
「奴は、新陰流の跡目を継ぐことは出来ようか」
「それは問題ないでしょう。又右衛門殿は、技においては天賦の才がござる。あとは心の問題でございます」
「やはりそうか・・・奴は強さを求めるあまり、容赦せぬところがある。弟子たちも怖がっておる。それゆえ負けることは屈辱。そして負けることへの恐怖。奴は勝つことが必定なのだ」
「心配ございません。すぐに立ち直ります。出会ったことのない、目くらまし剣法に驚いただけでございます。又右衛門殿は、これからも様々な剣法と対峙していかねばならぬ。いちいち驚いていたらきりがない。心の修行さえ積めば克服できましょう。それよりも、殿。このようなものを作ってみたのじゃが。食してみてくだされ。大根を干して糠につけたものじゃ」
沢庵は漬物を一皿さしだした。
「ほほう、どれどれ。うむ、コリコリしてうまい。酒にもあうな」
「拙僧の名をとって、沢庵漬けと名付けてみたのじゃが」
「なるほど、それはいい。沢庵殿は食い物にも『悟り』がござるな。はっはっはっ・・・」
       

 
ある日、又右衛門は一人道場で木刀をふっていた。
「たあっ とうっ」
「やっておるな、又右衛門殿」
「沢庵殿か・・・」
「どうじゃ、わしと一手、試合うてみるか」
「何と、沢庵殿とか。怪我をしても知らぬぞ」
「かまわん、かまわん。打ち込んで来なされ」
又右衛門は沢庵の打ち込む。が、全てかわされてしまった。
「いかがかな。但馬で少しは剣もかじったので、簡単には打たれもうさんぞ」
「沢庵殿、貴殿はどうして私の太刀をかわせるのだ」
「そのようにいらいらとし、焦っていれば、次にどこに打ち込まれるかはすぐにわかる」
「む・・・」
「剣客は闘いのとき、相手の顏と刀の切っ先から目を離すことが出来ない。
この前の目くらまし剣法は、切っ先を絶えず動かして視線を誘うのじゃ。それに惑わされ太刀筋を読むことができなくなる。それが奴の狙いじゃ」
「教えて下され。『悟り』とは何じゃ。『天治の剣』とは・・・」
「『凡夫の剣』とは、いたずらに戦いを好み、他人に勝つ事だけを目的にする低き剣の事。『天治の剣』は、剣の儀法(ぎほう)を極め尽くして天下を治める剣。
又右衛門殿はいずれ柳生の総帥となる方。『天治の剣』を目指すことこそ使命なり。あの妖剣に勝つには躱す(かわす)ことを覚えるのじゃ。すべておのれの心の中にある」
「おのれのこころ・・・」
 

 
「まっていたぞ、柳生又右衛門宗頼。いつかここを通ると思っていたわ。
決着をつけようぞ」
物陰から九鬼一刀斎が現れた。
「まて、無益な闘いはせぬ」
「ふふふ。臆したか。問答無用、いくぞ!」
「・・・やむをえん、お相手致す」
二人は再び対峙した。弦月は空に輝いている。時折耳元に強い風が吹いた。
九鬼の妖剣が揺れだした。二人の間合いがつまった。又右衛門の心はこの間と違い、無であった。そして、静かに目を閉じた。
間合い三間、二人からほとばしるような気合と共に、剣が走った。
「ええいっ」
「きぇー」
一閃であった。
二人は暫く身動きしなかった。
やがて九鬼が天の月を仰ぐように身をおこし、そして静かに倒れた。
沢庵が静かに現れた。
「見事」
「沢庵殿・・・わたしは何も考えなかった。自然に体が動いた」
「『悟り』を開いたようじゃの。それが「極意」じゃ」
 
―――勇士を以て鋒(きっさき)とし、
清廉(せいれん)の士を以て刃(やいば)とし、
賢明の士を以て脊(むね)とし、
忠義の士を以て鍔(つば)とし、
無双の豪傑(ごうけつ)を以て鞘(さや)となす。
この剣を抜けば、前に敵なく、後ろに敵なく、
前後左右に敵無し。
これ天に則って日月星の三光に従い、
地に則って春夏秋冬の四時に順(したが)う。
この剣は、ひとたび抜けば雷電(らいでん)の如くに将卒は死を恐れず、
君命に抗(さから)わず。
これ即ち「諸侯の剣」なり―――
 
『諸侯の剣』『天治の剣』あわせて『活人剣』を成す。
貴殿はやがて、天下に轟く剣の師となろう。―――沢庵
 
柳生又右衛門宗頼、後の柳生但馬守宗矩。やがて柳生新陰流総帥となる。
その陰に沢庵禅師の教えがあったことを忘れてはなるまい。
 
       了

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