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The Wisely Brothers 「YAK」について

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The Wisely Brothers の1stアルバム「YAK」がリリースされた。全11曲中、9曲をプロデュースし、昨年12月にマスタリングを終えて以来、僕はこの作品を一度も聴き返していない。はっきりいって聴くのが恐いのだ。

とにかくそのメロディーと言葉、奏でられたフレーズが頭から離れない。年が明けて作曲をしようとするたびに、ワイズリーの曲が脳内をぐるぐるとまわり手が止まる。そんな濃厚すぎたレコーディングのフラッシュバックともいえる日々と「YAK」の呪縛から、2ヶ月以上たってようやく解放されかけたところでリリース日を迎えてしまった。

僕はともかく皆さんは、CDはもちろん、YouTubeで公開されているアルバム・ダイジェストや各種の音楽配信で、ぜひ「YAK」の全曲にふれてみてもらいたい。きっと少なからず虜になる人がいるはずだから。

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僕の場合プロデューサーとしての関わり方は、そのミュージシャンごとにまったく違う。The Wisely Brothers「YAK」制作時は、たまたま2ヶ月間集中してこの仕事だけに取り組めるスケジュールが取れ、曲作りの初期段階から連日一緒に練りあげることができた。

彼女たちのデモテープはかなり特殊な部類だと思う。ベースとギターのコードがぶつかり、不協和音だらけ、構成も決まっておらず、リズムは試行錯誤を繰り返すなか、ただキャッチーな歌メロだけが朗々と鳴り響く。

上條雄次(今作に参加したエンジニア。フジファブリックをプロデュースしたスタジオでアシスタントとして知り合った長年の友人。最近ではドミコの素晴らしいアルバムを手がけている)が「ワイズリーのデモってどんな感じなんですか?」と聞くので、帰りの車中で聴かせたのだが、彼は「ヤバいですね。。。次の仕事はこれですと、このデモが届いたら動揺するなぁ…」と言ったきり言葉を失ってしまった。

しかし彼女たちはこのデモを曲の「かけら」と呼び、そのアバンギャルドな突き抜け具合を気にするそぶりも見せない。

The Wisely Brothersとは昨年の「HEMMING EP」以来のつきあいだが、それらのデモを聴いた時、なぜか僕には彼女たちがどこにたどり着きたいのか、瞬時にわかるような気がした。細部は不明瞭ながらも頭の中に最終形のアレンジが一瞬で鳴ることも多く、我ながら驚きだった。

といってもこれは自分の色に染めあげるという意味ではない、むしろその逆で、すべてのフレーズは彼女たちの試行錯誤から生まれたものばかりだ。僕の仕事は不協和音の中、突如聴こえてくる輝ける瞬間をすかさずキャッチし、どこにフォーカスし、どう仕上げていけば良いのか、進むべき最短距離を示すだけであり、その後は黙っていても真の意味でオルタナティヴな音楽ができあがる。

それはセルフ・プロデュースの素敵な2曲「MOUNTAINS」「マーメイド」を聴いてもわかるだろう。ただ完成型にたどり着くまで、かなり時間を必要とするため、僕はそれを効率よくブーストさせる役割を担ったのだと思っている。

もちろん、ときおり僕が提案する音楽的アイデアもあったが、もしそれが彼女たちの持つイメージと違えば、3人の表情は一瞬で曇ってしまう。そんな時は迷わず撤回して、別の道を探すだけだ。彼女たちの音に、いまだ開かれたことのない己の音楽脳を刺激される時間は、とてもとても楽しかった。

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そして共に過ごす時間が長くなるにつれ、このバンドは整えようとすればするほど、その輝きを失ってしまいかねない脆さを持っていると僕は思い知った。

実は今回、録音初日からスタジオのデジタル・レコーディング・システムがダウンしてしまうトラブルに見舞われたのだが、途方に暮れる中、スタジオの片隅に眠るアナログ・テープ・レコーダーを見た瞬間「!」と閃き、急遽トラックをすべてアナログ・テープで録音する方針に切り替えたのだ。これが実に彼女たちの演奏と相性が良かったのである。

この手法はデジタルと違い、細かい修正が後から難しくなるのだが、もともとクリックを聞いて一定のテンポで録音することを嫌い、曲中で自由に速くなったり遅くなったり、そのときどきの気持ちに合わせて演奏し、時にはミステイクですら楽しみたい欲求が強い彼女たちにとって、なんら障害とはならなかった。むしろひとつひとつの音色が、より太く暖かな音で録音できた喜びも大きかったようだ。

ギター、ベース、ドラム、それぞれのトラックを単独で聴くと、どれもびっくりするくらいに荒く不安定だったりするのだが、それが合わさると気にならなくなるどころか、ありえないカッコ良さへと化け、ゾクゾクさせられるのがThe Wisely Brothersの醍醐味だ。

アナログ録音により互いの音が絡みながら融けあい、ミスや揺れすらも魅力的なテイクには興奮させられた。

というわけで僕がプロデュースした9曲中、先行で夏に録音しトータスのジョン・マッケンタイアと共にMIXを仕上げた「The Letter」を除く8曲はボーカル以外のすべてをアナログ・レコーディング、歌も細かい修正はいっさい施さず、それまでの作品以上に生々しい仕上がりとなっている。

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The Wisely Brothersの魅力をどう伝えたらよいのだろう。「インディー・ポップ」「いちど聴いたら忘れられない歌声」「楽しそうに演奏する姿」といった言葉はよく見かけるが、それだけではどうにも表現しきれないように思えて、なんとももどかしい。

メイン・ソングライターである真舘晴子は、音楽に精通したデザイナーの父親から受け継いだセンスあふれる才人で、作曲はもちろん、歌詞の作り方も面白い。基本的に曲先で、作曲時はデタラメな英語風言語がついているのだが、これは自分とまったく同じ手法で驚かされた。この時に歌った母音や子音の響きにはこだわりがあり、それをできるだけ壊さず最終的に日本語へと置き換えることで、英語の語感と親和性の高いメロディーでも違和感なく仕上げられるのだ。

自分以外にこうしたやり方で歌詞を書いているミュージシャンと仕事をしたのは、GREAT3「カリギュラ」で共作したときのChara以来だった。

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歌詞についてディスカッションする中で、彼女が何度も口にした「濃くなってきたので、すこし意味を薄くします」という言葉が印象深く残っている。この御時世、リスナーの共感を求めて意味をわかりやすく、時にはどぎつく、濃く表現する人も少なくない。こんなことを言うソングライターは初めてだった。

真舘晴子の歌詞はとても謎めいている。僕はレコーディング中にその真意を知りたくて何度も聞いたのだが、つねに彼女は答えをはぐらかし、その意味を聞かれるのを嫌がっているように思えた。

これは僕の推測でしかないが、彼女の中心にはとても悲しい何かが存在していて、それが創作や感性の源泉にもなっている。しかしそれを赤裸々に歌おうとはせず、ただそのままに抱え、それでも世界を美しく明るいものとして受け取りたいがために、ありとあらゆる想像力を駆使して現実を違った角度から見ようとしているように感じられた。きっと彼女は永遠に心の内を明かさないだろうから、謎は謎のままだけれど。

アルバム冒頭の「グレン」で「開発中の坂をのぼり 陽の傾いた声をきいて 開発中の坂をのぼり あの子は岩をみてる」と彼女が歌い出すとき、僕の心はうわっっとなるほど一気に拡張され、いろんな想いとそれにともなう映像が押し寄せてきて、胸がいっぱいになってしまう。

この抽象的でありながら、心惹かれてやまない言葉の才能を、どう聴き手に伝えたら良いのか。僕は悩んだ末にひとつ頼みごとをした。好きが高じて休みの日には映画館で働いてしまうくらい映画狂いの彼女に、もし1曲ごとに見える映像や色があるとしたら、それは何なのか?ヴィジュアルとして脳内に浮かんでいる景色を言葉にして教えてもらえないかと頼んだのだ。

そして届いた長いメール。許可を得ずに転載はできないが、それによって謎がさらに深まったとだけは言っておきたい。これを受けて僕とエンジニアの上條は、それらの風景や色、感情を音で表現しようとMIX作業に挑んだ。それによって真舘晴子の言葉が、聴き手のイマジネーションをより刺激すると期待して。果たして効果がどう出たのかは神のみぞ知るだが、メンバーはその仕上がりに満足してくれたようだった。

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とにもかくにも、The Wisely Brothersは知るほどに複雑で奥が深いバンドだった。それがいわゆるアーティスト然とした人間からではなく、あの仲が良く、キュートでいつも明るい、善のかたまりのような3人からなっていることが、また僕を混乱させるのである。歌詞の話が長くなってしまったので、ここから先は駆け足で進めるが、もちろん残る2人も強烈な才能とキャラクターの持ち主だ。

僕はドラムの渡辺朱音が叩くビートをThe Wisely Brothersの中心に置き、つねにその音色、響きを決めるところからサウンド全体の色づけを考えている。彼女のシンプルでありながらグルーヴィーなビートは、録りながら「なんだこれ!」と笑ってしまうほどのかっこよさだ。思わず「サンプリングさせてくれないかな?」と言いたくなる瞬間がなんどあったか。

そして前作「HEMMING EP」のリード・トラック「サウザンド・ビネガー」のソングライターでもあることからわかるように、メロディー・メーカーとしても特筆すべき才能があり、それは「YAK」のコーラス・ワークでも大いに発揮されている。

そしてベースの和久利泉。彼女が思いつく超個性的なベースラインやコーラスは、凡庸な音楽理論とはまったく別次元から生まれてきて、それがThe Wisely Brothersを他のどのバンドとも違うレベルへと押し上げている。

トーキング・ヘッズでもザ・フーでも、彼女が気に入った音楽は、たちどころに独自のフィルターを通して消化され、まったく別物として提示される。それがまたヘンで、そしてこれまた最高にかっこいいのだ。僕は彼女のアイデアをキャッチーなフックとしてサウンドに取り入れようと、つねにその機会を狙っていた。

3人がライヴで演奏する姿も実に興味深い。飄々と楽しそうにプレイする朱音が叩き出す、ブレイクビーツのようにシンプルで強靱なビートを頂点に、可憐な見た目から一転、ときおり鬼神のように険しい表情で小さな身体から信じられないほどの大きな声で歌い、ゴールドのLes Paul Signatureを弾く晴子。同じ曲を演奏しているとは思えないほど対照的に、すべてを優しく包み込むように柔らかな表情でベースを弾く泉。このふたりが三角形を描く。

その上空を舞う個性的な晴子の歌声。それと抜群のコントラストを描く泉と朱音の美しく透明なハーモニー。なんとも言いようのない不思議なバランスなのだ。そして演奏が終わるやいなや、ゆるく、とぼけた脱力トークが続く。

そのすべてが、まったく作為なく、自然に成り立っているのだが、いたってヘンで、どうにも既成の言葉では表現しきれない。誰かこの天才3人組に、うまい形容詞を考えてはくれないだろうか。

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彼女たちはよく自分たちの音楽は「日常」を表現したものだと語り、リスナーの「日常」に寄り添い、それを彩れたら嬉しいとも語っている。そして僕はいつも心のなかで「日常!?こんなサイケデリックな表現が!?」とひそかに思っていた。でもよくよく考えてみたら、その日常こそが「すべてはどこかおかしい」のだ。

ただ惰性的な反応を自分の思考による選択だと思い込み、機械のように生きる人生ではなく、真舘晴子の描く歌詞のように、ありふれた日常を違った角度から見つめ、そこに美しさと気づきを探しながら生きる人生を選ぶならば、その人にとってThe Wisely Brothersの音楽こそが最良のサウンドトラックになり得るといまは思う。

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僕は昨年秋の2ヶ月間、この作品に持てるすべてを捧げた。レコーディング終盤には入れこみすぎて、ちょっとおかしくなってしまった気がしたぐらいだ。

そして完成後は近所の二子玉川でXmasに行われたフリー・ライブをチラッとのぞいただけで、彼女たちに逢うこともなかった。

今朝インターホンが鳴って、サンプルCDが家に届いた。まだ封も切っていない。初めに書いたようにいちども聴き返さなかったし、「庭をでて」のMVも音を消して観たくらいだ。

でもきっとこれは名盤だ。僕には確信がある。だからこそ恐くて聴けないのだ。一日も早くこれに負けない音楽を自分でも作り、フラットな気持ちで楽しめるようになりたい。そしてこの無駄に長い文章を書き、いまやっと「YAK」との濃厚な日々を手放せたような気がする。

僕はThe Wisely Brothersの音楽が大好きだ。彼女たちの前途が輝やくように心から祈っている。

そしてこんな自分の妄言とはなんの関係もなく、ひとりでも多くの人が「YAK」の、そしてThe Wisely Brothersの魅力に気づいて欲しいと願うばかりだ。

2018年2月21日
片寄明人 GREAT3、Chocolat & Akito


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