見出し画像

Music as a language (言語としての音楽) 記事拙訳 & 角野隼斗, Bruce Liu and A. Gadjiev

最近、音楽と言語の関係についてシンクロニシティがあったので、2021年10月から11月半ば頃にかけて書いていたnoteを加筆修正して公開することにした(ヘッダーは、札幌のKitaraホールの隣にある国指定重要文化財「豊平館」の内部、カバーが掛かったピアノは現役)。

第18回ショパコン期間(2021年10月)中に発行されていたChopin Courier No.16のp.7で見つけた記事「Music as a language(言語としての音楽)」(フリデリック・ショパン博物館のSeweryn Kuter氏が執筆)の内容は、角野さん(8月1日)がインスタライブやショパコンの予選の演奏後のインタビュー、ブルース・リウが来日時(2021年11月)のインタビュー等で話していたことに通じる内容だったので、拙いながら訳出を試みた。以下敬称略。

記事拙訳の紹介の前に、角野とブルースのインタビュー内容を簡単に振り返っておきたい。

角野のInsta Liveとマズルカに関する文献

2021年7月下旬の予備予選を終え帰国した角野が隔離期間中に行ったインスタライブでは以下のような内容の話をしていたと記憶している。

しばらくポーランドに滞在していたら、ポーランド語(の発音やアクセント)がマズルカ(のリズムや装飾音)の音楽のように聞こえてくるようになった
出典: 角野のインスタライブ(2021.8.1)

インスタライブの最後に、何か文献などがあれば、DMなどで教えてほしいと話していたため、ライブ直後、7月の予備予選中に見つけた日本語の論文のリンクと該当箇所の説明を送った。私は予備予選中、色々なマズルカを聴いているうちに、自分自身もマズルカへの関心が強まり、パデレフスキ版の楽譜を購入したり和文英文の文献を読み漁っていたのだ。

角野にシェアさせて頂いた論文タイトルは「ショパンのマズルカについて」(立川 暢巳著, 1981年)で、ポーランド語とマズルカについて、p.128, 130, 131辺りで少し触れられており、p.146では装飾音について触れられている。該当箇所付近だけでも一読をお勧めしたい。

角野の予選3次直後のインタビュー (2021.10.15)

以下は以前書いたマズルカに関するnoteから部分的に抜粋している。

ポーランドのTV番組(TVP VOD)
ショパコン特集の角野が弾いたセッションに埋め込まれていた角野のインタビューのなかでマズルカに関するインタビューを紹介する(本放送はポーランド語で4人の有識者が出場者の演奏を観ながら振り返る内容で、角野のインタビューは英語で行われ、ポーランド語に通訳されていた)。

以下の内容(マズルカ(のリズム)とポーランド語の発音の類似性)は、角野が自身のYouTube配信(ラボ配信、有料のメンバーシップ)で話していたことでもあった。

※ 英語は角野のほぼ発言のママ(一部、ポーランド語通訳が被って英語を聞き取れず);拙訳では意味を変えない範囲で()内の言葉を補っている。

(2'17"-) 
In a various kind of approach, I try to understand (the) dance itself, of course, and (the) polish language, somehow related to Mazurka. For me, pronunciation XXX, YYY (...聞き取れず). I try to learn polish language very very little. In practice, I try to improvise Mazurka, improvisation something.

(以下は拙訳)
あらゆる種類のアプローチで、僕は舞踊(ダンス)を理解しようとしています。勿論、マズルカに関係するポーランド語も、です。僕にとっては(ポーランド語の)発音のXXX, YYY(などがマズルカに似ていると感じます)。僕は、ほんの少しずつポーランド語を学ぼうとしています。(ピアノの)練習では、マズルカを即興的に演奏しようとしています、何らかの即興演奏(です)。

ショパコン覇者 Bruce Liuのインタビュー(2021.11.14)

ポーランドのメディアで「Czasami jestem ROMANTYKIEM (Google翻訳:  Sometimes I am a ROMANTIC)」というインタビュー記事(2021.11.14)の英訳を紹介している記事をFacebookで見つけた。本記事のインタビューアはJacek Marczyński氏で、記事の前置き部分の英訳(Google翻訳)は以下。

Music is an international language that we can communicate with everywhere. I am Chinese of origin, I was born in Paris and I live in Canada, it all influenced what I am. Thanks to this, I am open to various stimuli and I can understand music coming from different cultures.

(以下は拙訳)
音楽は私たちがどこにいてもコミュニケーションできる国際的な言語です。私は中国出身で、パリで生まれ、カナダに住んでいます。それはすべて私がどんな人物であるかに影響を与えました。そのおかげで、さまざまな刺激を受け、異文化の音楽を理解することができます

角野のインスタライブや10月の予選期間中に話していたマズルカとポーランド語の関係の話と若干視点は異なるが、ブルースはさまざまな場所で異なる文化から影響を受け、仏英中の3カ国語を操る。彼にとっては、ピアノを演奏することも一種の言語表現なのではないかと思う。

実際に3ヶ国語を操る場面も画面越しに見た。ショパコン最中の演奏直後のインタビューでは英語で話し、1年ほど前のChina Global Television Networkでのインタビュー動画を見ると、フランス語を流暢に話している。さらにショパコンのファイナル結果待ちのトークの際には17歳のHao Rao(ファイナリスト)のために、英語⇄中国語の通訳もやっていた。国連公用語を3つも操れる、外交官並みの語学力を持つピアニストである。ヨーロッパで生まれ育ったピアニストは母国語、英語に加え、隣国の言語など、平均数ヶ国語を操れそうだが、その中に中国語が含まれるのは珍しいのではないか(全くの私見)。

記事拙訳 "Music as a language"

角野やブルースの話を念頭におきつつ、記事の拙訳を以下に載せたい。文章中の太字は私の心に響いた部分で、原文は太字になっていない。()内に英語を残しているのは英語のニュアンスのまま内容を理解したい方々向けである。

【拙訳】
音楽は作曲家の気分(moods)や感情(emotions)の記録と見なすことができると一般に認識されている。間違いなく、音楽はそれ自体が一種の言語であり、その表現とジェスチャーは、スピーチに似た方法で感情と経験を伝える。音楽のこの側面は音楽を記号論的関係(semiotic relationships)のシステムと見なし、高く評価されているイタリアの芸術家、マリアテレサ・サルトリ(Mariateresa Sartori)によって探求されている。

フリデリック・ショパン博物館が、サルトリの2011年のビデオインスタレーション(以下筆者=私の注を参照ロマン・オパルカ (Roman Opałka, 画家)に捧げられた"Studio n. 10 in Si minore op. 25. Omaggio a Chopin [練習曲ロ短調 Op.25-10 ショパンへのオマージュ]''に関して、期間限定の展示を行っている。スクリーンの両側には、男性と女性の2人の顔が映し出され、臨場感溢れ(lively)、感情豊かな(emotional)対話が行われている。しかし、言葉は音楽に置き換えられ、2人の口の動きと表情はショパンの作品の強さ(intensity)とダイナミクスを反映している。彼らの音楽的な会話は非常に刺激的(evocative)であり、その効果はコントラストの感覚によってさらに高められている - インスタレーションの2人は受動的で(passive)表現的な(expressive)モードで交代で示される。(続きは、注)の後)

-----------
筆者=私の注)

Googleで検索したところ、上述したサルトリの2020年版のビデオを見つけられた。"百聞は一見にしかず"と思い、そのリンクを貼っておくので、ぜひご覧頂きたい。
その後、Op.25-10を、角野のショパコン予選1次(8’34”から)、ガジェヴの予選1次の動画で聴くのもお勧めしたい。
----------- 以下は記事の続き -----------

「私は少女の頃から、ショパンの特定の作品は人々の間の対話であるという強い感覚(sensation)を抱いていた: 模倣されていない、或いは、そうであるように見えた。この作品はその感覚を視覚的に表現したものである。音楽と言語の関係は、コミュニケーションの感情的で普遍的に共有されている価値を浮き彫りにする一方で、特定のコンテンツがそれ(価値)を隠してもいる。開始と同時に終了する音楽の抜粋の循環性は、どこにも行かない無限のメリーゴーランドでの人々の間のコミュニケーションを示唆している」とマリアテレサ・サルトリは書いている。

お断り: 原文の意味を変えないように和訳を試みたが、ところどころ日本語として意味が通じにくい箇所があること、ご容赦願いたい。意訳しすぎると意味が変わるため、慎重に訳出した。英語にアレルギーがない方は冒頭のリンクより原文(ポーランド語か英語)にあたって頂きたい)。

まとめられないので雑感・・・

2022年2月12日、ノヴェレッテさんのツイートでガジェヴのインタビューを読み、本noteに書いたことを思い出した。ガジェヴの話は、ショパコンの記事、角野、ブルースのインタビューとのシンクロニシティがあった。例えば、以下の部分は角野がポーランド語(のアクセント)がマズルカに聞こえると言ってた話に繋がった。音楽は言語の影響を受けているんだと素人の私も改めて思えた。

たとえばヤナーチェクはいつもチェコ語からインスピレーションを受けて作曲していた。伊語、露語、独語、仏語、それぞれ特有のフレージングがあり、間違いなく音楽は言葉の影響を受けている。
ノヴェレッテ/  ガジェヴのインタビューより

2022年1月から2月上旬にかけて開催された角野の全国ツアー2022 "Chopin, Gershwin and ..."の8つのソロ公演中、私はとりわけ思い入れのある土地で開催された3公演に行った。公演中、角野の紡ぎ出す音楽から受け取った感動(あらゆるメッセージ)の言語化を試みる中で、聴衆の立場から音楽と言語(人の感情や思い)の関係について改めて考える機会を得た(ご関心あれば&お時間あれば、言語化を試みた感想文は、大阪編沼津編札幌編を参照願いたい。ガジェヴの9月のコンサートの感想文はこちら)。

角野は「情熱大陸」の番組の予告で、「叫ぶ代わりに(ピアノを)弾く」と言ったり、自らがパーソナリティを務めるMBSラジオの番組では、「僕は話す代わりにピアノを弾く」と発言し、何かを弾いたりするが、これがいつもすごい。どれだけのことを実際に考えているんだろうか。脳の中にはどれだけの引き出しがあるんだろうか。
昨年9月のガジェヴのコンサートでの自作曲の演奏も素晴らしかった。これらに関係するかな?と思うことを、ガジェヴが以下のように上手く表現している。

いろいろな感情とか言葉が、音楽の形~音楽的なモチーフ、テーマ、和声のつながりに関連していた。無意識における深いつながりを発見するのは本当に素晴らしい
ノヴェレッテ/  ガジェヴのインタビューより

角野がソロ公演で披露した複数の自作曲も、何らかの感情や言葉が先にあって、音楽的なモチーフが作られ、曲が完成されていくプロセスの中で、新たな感情や言語が、新たな音楽的なモチーフに昇華し、音、和声に変換されて行ったんだろう。時に無意識のうちに(本能で?)音になった瞬間もあったかもしれないが、言葉と音楽は有機的に繋がっているんだろう。

ツアーが終わったら、自作曲がどういう感情や言葉を表したかったのか、聴いてみたくなった。私自身、3公演で3回ずつ聴いたが、毎回違うメッセージを受け取った。

私は言語学、音楽の専門家ではなく、語彙力に限界もあり、気の利いたまとめ方ができないため、思ったことをつれづれなるままに書いた。何がピンと来たら、加筆(修正)していくことにしたい。

(終わり)

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?