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第255回: にしさんのこと(出合い編)

≡ はじめに

ASTERのお知らせに「2023年10月18日、ASTER設立時より17年の長きにわたり理事長を務めた西康晴氏が、急逝されました。」とあるとおり、にしさんが52歳の若さでお亡くなりました。
そして、それから二十日余りが経ちました。急性心筋梗塞で、倒れたその日のうちに逝ってしまわれたと伺っています。

2023年10月11日に、にしさんから「ちょっと先週から少しドクターストップで仕事をミニマムにしてます」とツイートがあり、少し心配していたのですが、お亡くなりになる前日の17日には4つもツイートされていたので、そのようなツイートがあったことすら忘れていました。
なので、連絡を受けたときには心臓がバクバクして指が勝手に動いて、「うそでしょ?」とツイートしてしまいました。
これは憶測を生むことになってしまったかもしれません。本当にごめんなさい。

色々な人の弔文を読みました。どれも泣けました。にしさんとの思い出話をできる人たちと集まって献杯しました。みんなのスマホに残された昔の動画や写真を見て泣きました。(たぶん、バレていないと思うけど)

私も、感謝の言葉を書き留めておかなくてはと思いつつ、今書いたらぐしゃぐしゃなものになってしまうという確信があり、何も書けずにいました。

ところで、10年も経てば、「にしさんっていう凄い人がいてJaSSTやJSTQBを立ち上げたんだって」、「ふーん、で、何をしたの?」って会話が交わされるに決まってます。
だから、良いこと悪いこと、解釈は読む人に任せて、そのままを書き留めておきたいと思いました。


先日(2023/11/2)、JaSST '23 Kyushuに参加しました。
本会のなかでは、不自然なくらい「にしさんの「に」の字」もでなかったのですが、それはきっと空の上のにしさんに“安心してもらおう”、“成長した姿を褒めてもらおう”という思いがそうさせたのだと思います。

そんな姿をみて、私も前に進まないと叱られちゃうなと思いました。

……以下に思い出話をつらつら書いていたら、とても長くなってしまったので、今回は出会いまでにします。



≡ ルーツ

にしさんは、東京生まれで東京育ちです。東京にあるスイーツのお店はほとんど行かれたのではないかと思います。

にしさんが運転する車に同乗したことがあるのですが、東京の道路について、どこをどう走ればよいか、プロのタクシードライバーのように詳しかったです。

また、私が入院中に、にしさんから『何か欲しいお土産はありますか?』というDMが届いたので、遠慮なく『シュークリーム』と答えたら超美味しいのを持ってきてくれました。


というように、にしさんが東京に詳しいことは知っていたので、『さてはチャキチャキの江戸っ子だな』と思っていたのですが、あるとき、横浜にある「久保山」の話をされていたのです。

そこで、「ひょっとして、ご先祖様は横浜に住んでいらっしゃいましたか?」と聞いたところ、私の母方の祖父母が住んでいた中区の中心街あたりに、にしさんの祖父母もお住まいだったそうです。
「おじいちゃん・おばあちゃん同士が明治に知り合いのご縁があったら面白いね」、「引き合わせてくれたのかな」なんてオカルトな話をしました。



≡ マイヤーズの呪縛

まずは、こちらのスライドをご覧ください。

第1回JaSST(2003年)のにしさんの発表資料

これは確かな筋からの伝聞なのですが、大学生の頃のにしさんは、スターマリオの無敵状態だったそうです。

そこで、指導教官の飯塚悦功先生(東京大学教授(当時))は、「こいつの鼻ッぱしらを折ってやらなくては」と思い、一計を案じました。

ある日のこと、にしさんを研究室に呼んだ飯塚先生はこんなふうに言ったそうです。

「西くん、ソフトウェアテストの世界には『一般に ,プログラムのすべてのエラーをみつけることは,非現実的でも あり,しばしば不可能でもある.』というMyersの原則があるそうなんだが、君ならこんな呪縛、易々と打ち破れるよねぇ。」

と。

このように【研究テーマ】を与えられたのたそうです。

Myersの呪縛とは「この原則が真ならばテストの質を向上してもムダなのではないか」と、テストに対する気概が損なわれること。

簡単そうで奥が深いテーマです。
にしさんが、ソフトウェアテストに(文字通り)半生を捧げるようになったきっかけです。


以下は、ついでの気付きです。上記プレゼンの次のページです。

第1回JaSSTのにしさんの発表資料

日本でAll-pair法を紹介されたのは、2005年のJaSST Osakaの「組み合わせ試験の最前線「直交表 VS ALL-pair法」」とばかり思っていたので、意外でした。

にしさんがバイザー本を片手にコンサルティングをされていたことがあると聞いたことがあります。にしさんは、テスト技法のスペシャリストでもありました。




≡ TEF

TEFてふ(Testing Engineer's Forum)とは、「テスト技術者交流会」というメーリングリストのことです。大学院生だったにしさんが1998年9月に作成しました。

以下は参加人数と投稿数の推移です。

TEFの内部ページより


TEFの内部ページより


私がTEFに入会したのは2000/5/30のことです。

いやはや。一通目で「直行表」って2回も書いているし、品質工学の論文っていうのは、macro-k@品質工学(@macrok4)さんの論文ではありませんか。

もちろん、macro-k@品質工学さんの論文のタイトルは「直行表」ではなく、「直交表を使ったソフトウエアのバグ発見の効率化」です。
こちらからPDFで読むことができます。

私の話なんてどうでもいいですね。

私とにしさんの世界に接点ができた日を調べたら2000/5/30だったというだけです。

ちなみに、TEFを知ったのは、某外部セミナーの講師からでした。


TEFで、にしさんは、自身のことを「にし@お世話係」と名乗っていました。

TEFのメールより

上記は、私の先の自己紹介メールに、にしさんが返信されたメールの一部です。こんな感じで、初心者にできるだけ心の負担や壁を感じさせないように配慮されていたように思います。コミュニティ運営のお手本ですね。


さて、TEFの時代は、日本語で読めるソフトウェアテストの専門書は概ね3冊しかありませんでした。もちろんウェブサイトもありません。net newsにcomp.software.testingはあったけど、それは英語でした。

そんな環境では、人と人が直接つながるしかありません。しかし、コミュニティでつながる習慣はほとんど存在していませんでした。

さて、そんな中、おそるおそるTEFにメールした人の話をきちんと拾い上げて、その人の疑問に対応するだけではなくて提供された話題を良い方向に発展させていたのが、お世話係のにしさんでした。

キャチフレーズは、

ソフトウェアテストPRESS Vol.4 (2007年)


です。

「にし@お世話係」さんは「やさしさ3割増し」で接していたのです。

私が思うに、これはきっと、にしさん自身がお世話を焼かれたいタイプで、嘘でもいいからやさしく接してほしいタイプだったのでしょう。

そう思ったので、私は『にしさんを甘やかさないぞ、ましてや無闇にほめないぞ』と心に誓ったのでした。これは2020年くらいまで続いたような気がします。



≡ 2WCSQ

2000年9月25日(月)~29日(金)の間、横浜で第2回WCSQ(世界ソフトウェア品質会議)が開かれました。

WCSQ (World Congress for Software Quality) とは、全世界のソフトウェア品質専門家が集まって幅広く議論を行う国際会議のことです。ASQ (The American Society for Quality)、EOQ (The European Organization for Quality)、JUSE(一般財団法人日本科学技術連盟)の3団体により発足しました。

第1回会議を1995年にアメリカ・サンフランシスコで開催したのを皮切りに、第2回(2000年)を横浜、第3回(2005年)をドイツ・ミュンヘン、第4回(2008年)をアメリカ・メリーランド、第5回(2011年)は中国・上海、第6回(2014年)はイギリス・ロンドン、第7回は2017年3月20日(月)~22日(水)にペルーのリマでと、3年に1度開催されていました。
(アメリカ➡アジア➡ヨーロッパのループ)

第8回以降は、2019年5月13日に発足人の菅野文友先生がお亡くなりになったこともあり、開催されていません。

2WCSQはWCSQ提唱者の菅野文友先生のお膝元の日本で開催するということで、上を下への大騒ぎでした。

まず、会場の「パシフィコ横浜の横浜国際平和会議場」を5日間(おそらく準備用の前日を含めたら6日間)おさえなくてはなりません。そのためには、大金が必要です。

それに、2WCSQは大規模です。

出席者は、国内603名、海外117名(国と地域は29)であり、 発表論文数は、オーラル・セッションとポスター・セッションを合わせて128件もあったのでした。

少なくとも日本では空前絶後の“ソフトウェア品質イベント”と言ってよいでしょう。

菅野文友先生が企業にスポンサーシップを交渉し、お金をかき集めてきたそうなのですが、それだけでは、開催できません。運営するスタッフが必要だからです。

日科技連のSPC(Software Production Control Committee)の初代委員長(1980/5〜1994/3)だった菅野文友先生は二代目の委員長(1994/4
〜2012/3)の飯塚悦功先生に協力を頼み、飯塚先生は当時大学院生だった、にしさんに指示し、、、。
そんな感じで、にしさんは当日、スタッフとして走り回っていたそうです。

もちろん、にしさんも2WCSQに登壇されて英語で研究成果を発表されていました。

しかも、途中でブルースクリーン画面を出して(パワポのページに事前に埋め込んでおいた画面いっぱいのブルースクリーンのスクショを開いて如何にも今PCがダウンして「シマッタ  “I’m shook.”」という派手なアクションをして)笑いを取っていました。(※ 以下に追記あり)
当時38歳だった私は、大舞台で、そんなパフォーマンスができるにしさん(29歳)に度肝を抜かれたのでした。

2WCSQでは発表会のあとに、SIG(Special Interest Groups)がありました。

SIGでは、ホワイトボードが1つずつ用意された10のテーブルに8名ずつ分かれて、それぞれが興味あるテーマのもとに集まり活発な議論と意見交換をしたのですが、会場をウロウロしていた私をにしさんが見つけて「SIGに参加しましょう」と半ば強引に誘ってくださったのです。

にしさんとお会いしたのは、これがはじめてです。通訳もしてくださるということでSIGに参加したのですが、にしさんは、みんな(海外の6名と私とにしさん)の意見をホワイトボードにまとめてファシリテーションしていました。

外部イベントに初参加の私は『こういうところに参加する人は皆すごいんだなあ』と思いました。
今思えば、にしさんが凄い人だっただけのような気がします。

そうそう、にしさんとはちょっと離れますが、2WCSQのTom Gilbのキーノート・スピーチ(=基調講演)は、当時の私が取り組むべき課題を全て教えてくださるものでした。

あと、安達さんや榊原さんも2WCSQに参加されていたとか。しかも安達さんは、当時すでににしさんと面識があり、スタッフルームでお会いしていたようです。

私が安達さんと面識ができたのは、JaSST '08 Sapporoじゃないかなあ。東京のJaSSTで同じ実行委員としてお会いして、ご挨拶はしていたと思うけど。


◾️ 追記

スクショじゃなかったらしいです。スゴイ。




≡ TEF勉強会

翌年の2001年にTEF主催の勉強会に参加しました。NTTデータの井上康臣さんが会場を提供してくださいました。

~技法SIG主催新年会「21世紀のテストを語る」~
日時: 2001年2月23日(金)
場所: 茅場町タワー(中央区新川1-21-2)
内容: 
    ・西@東京大さんご講演
    ・太田@早稲田大さんご講演
    ・意見交換タイム

TEF MLアーカイブより

みっきーさん(鈴木三紀夫さん)や大野さんもこの日の勉強会に参加されていたみたいです。

太田さんは、スクェア・エニックスにお勤めの太田健一郎さんです。

この時は修論のテーマだったデザインパターンのお話をされていました。太田さんはこの年の4月に、日本IBMに就職され、榊原さんのところで働き、その後SHIFTに転職して技術的支柱となり、今はもう業界の有名人になってしまいました。

にしさんは、20世紀のテストと21世紀のテストをテーマに、「変わろう!」と熱く話されたのですが、当時、テストの本を一冊も読んだことがない私は専門用語が何一つ分からず、『こういう世界もあるのね』と圧倒されていただけでした。



≡ TCS翻訳プロジェクト

勉強会から少し遡ること、2000年9月28日に、前述の太田さんがTEFに「日本におけるテスト関係の書籍」という件名でメールを出されました。

そこには、「テストの本が少ない。いまだにMyers本(1980/03/15発行)が定番とは嘆かわしい。日本人が書いた本はないし、翻訳書だって最近のはない。KanerとBinderの本はぜひ訳すべきだ。」(意訳 秋山)と書かれていました。

これには、若干の誤認識があります。
日本人が書いた本として、『ソフトウェアのテスト技法』(玉井哲雄・三嶋良武・松田茂広、1988/01/21)や『The BUG』(鈴木裕信・加藤光明、1995/09/18)や『えー、全部テストするんですか?』 (山村吉信、1999/05/25)などがありました。
ただ、JaSST '11 Tokyoのときにまとめた下記グラフをみてもわかるとおり、少なかったのは確かです。大きめの本屋さんにもマイヤーズ本とバイザー本しか置いていなかった記憶があります。

ソフトウェアテスト関連書籍発行数(5年刻み)

太田さんのメールの3日後の2000年10月1日に、にしさんから「Subject: [swtest 1035] TCS 翻訳プロジェクト(Re: 日本におけるテスト関係の書籍)」というメールがMLに投稿されました。

以下は、そのメールの抜粋です。

Kaner の本 "Testing Computer Software" は、絶対に邦訳を出したいですね。
この本は非常に簡単で、かつ非常に実践的です。
多分私が上司なら、毎日このために残業させても読ませます。

TEFでチームを組んで訳すのが、今の日本ではベストでしょう。
どなたか「本気で」取り組まれる方いらっしゃいます?

にしさんのメールより

こうして、翻訳プロジェクトが発足し、2001/11/26に発行された本が『基本から学ぶソフトウェアテスト』(Cem Kaner・Jack Falk・Hung Quoc Nguyen)です。

表紙の真ん中に「テスト技術者交流会(訳)」とあります。TEFのメンバー有志34名が分担して訳しました。

有志が集まったとはいえ、翻訳出版の経験がない人ばかりでした。でも、幸運なことにTEFには、トム・デマルコの『ピープルウェア』などを翻訳された山浦 恒央さんがいらっしゃり、本TCS翻訳プロジェクトにご尽力いただきました。出版までこぎつけたのは、山浦さんのおかげと言っても過言ではありません。(「常態と敬体を混在させるな」というような超基本から教えてくださいました)

出版記念パーティーのときには、ワイン・ライターで年間500本以上のワインを飲まれる顔も持つ山浦さん(ワイン関係では、葉山 考太郎のペンネームを使われています。『神の雫』にコラムを執筆されていたりしますので、読まれている方は案外多いのではないかと思います。)が極上のフランス産の赤ワインを中心に何本も持ってきてくださいました。また、執筆中は、オーストラリアにいらした根本 雅之さんも、美味しい白ワインを持ってきてくださいました。

一緒に翻訳したといっても、全員が顔合わせしたのはこの一回だけです。
生のテストエンジニアをこんなに大勢見たのは初めて(2WCSQは品質関連の人のイメージ)だったので、『ああ、こんなに仲間がいるんだ』と感動したことを思い出します。

ところで、私はと言えば、TCS翻訳プロジェクトが始まって、しばらくはメンバーにも入らず、完全に傍観者でした。自分が本を訳すなんて想像もできませんでしたので。
TCS翻訳プロジェクトに私が入ったのは翌年の2001/1/29ですから、プロジェクトが発足して4か月後くらいです。(2001/1/25に翻訳メンバーの追加募集があり、そちらにこたえた形です)

この出版に味を占めたメンバーは次に『ソフトウェアテスト293の鉄則』(Cem Kaner・James Bach・Bret Pettichord、2003/04/21)の翻訳を行いました。

こちらは、大野さんがすごく頑張ったので、それぞれの鉄則の日本語タイトルが素晴らしいものになりました。

と、長々と「TCS翻訳プロジェクト」のことを書きましたが、当時30歳になるかならないかの、にしさんが、30人以上の社会人をリーディングして、書籍を出版するですごくないですか。

また、この2冊の本は、ずっとマイナーだった「ソフトウェアテスト」という技術を一大ブームにしたという点で、エポックメイキングでした。

先のグラフを思い出してもらうと、1998年から2002年の5年間で16冊しか出ていなかったソフトウェアテスト関連本が2003年から2007年の5年では、49冊、2008年から2012年の5年では70冊(月に1冊のペース!)となっていることが、その証拠と言えるでしょう。

そして、この翻訳仲間からJaSSTのコアメンバーが生まれました。『もっとなにかワクワクすることをしたい』って。



≡ にしさんクイズ

ALTAの連載で毎週問題を出しているので、突然ですが問題です。

《問題》
 WACATEの同人誌『Software Testing "ManiaX"』でにしさんは、『~腕利きソフトウェアテストコンサルタントが支える○○の事件簿~』という連載を書いていました。○○に入る名前はどちらですか?

1. 優理
2. 優里

答えは次回に書きます。



≡ 種を蒔く人

長くなってしまったので、最後は、にしさんのツイートで「出合い編」を終えたいと思います。こちらのツイートは伊藤さんへのリプライなのですが、にしさんをよく表しているなあと思います。

伊藤さん、このTweetを引き出してくださってありがとう!!!


𝕏より



≡ おわりに

今回はここまでとなります。それでも8千文字を超えてしまいました。

出会っただけで、お互い影響を与え合っていなかったころ(タックマンモデルでいえば形成期:Forming)の話でした。

にしさんの思い出話のはずなのに「日本のソフトウェアテスト史」になっているのはなぜ?

次回は、初めに、にしさんのビジョンと“破壊と再生の話”について書き、続いて、JaSST・JSTQB・ASTER・智美塾・テスト設計コンテスト等々のコミュニティについて書く予定です。ISO・NHKクローズアップ現代・アジャイルとテスト・AIとテストのお話は最近なので、今は書かなくてもいいかなあと思っています。

箸休め回を続けていいものか?


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