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〈ライアーのおてくにっく〉5. グリッサンドと呼吸、スクーターで滑って転んだ。

冬のパリ、スクーターで走ると、
ところどころ黒っぽくなった道がある。
黒い部分は、凍っている道だから、
避けて走らないといけない。

ある日の夜、私の後ろから、
大型バイクが追い越そうとしてきた。
ちょうど家の前の一方通行の細い道。

ちっ!こんなところを慌ててさ!

と思った途端、私は転んだ。

次いで、大型バイクが私を追い越す直前に転んだ。

大型バイクボーイは、
「ちくしょー」と言葉を吐き捨て、
右手には、折れたミラーを花束のように持って、
赤いヘルメットを被り直し、去って行った。

「こっちがちくしょーだ!」
と私は心の中で叫んだ。

自分で転んだとは言え、
寒くて痛くて、鼻水も涙も出るし、
膝が擦りむけてズボンが破けた。

倒れた私のスクーターは125あり、重かった。
通りがかりのアラブ系男性が、助けてくれた。

滑るというのは、滑らなくなるまで滑っていく。
滑らない部分がくるまで、どこまでも滑る。

指で、弦の端から端までを滑らせるのを
音楽用語で、グリッサンド(Glissando)言う。

音には、生まれる予兆がある。
グリッサンドも同じだ。

ライアーを弾く人は、音に息吹を与え、
音の生まれる予兆を感じ、指と弦が触れて初めて、
ひとつ目の音が生まれる。

ライアーの弦の上を右手の人差し指で滑らせると、
低い音から高い音が鳴り響く。

音たちには命があり、生まれて死んでいく。
それが、音の一生のすべてである。

弾く人の呼吸が、音の息吹を司る。

その呼吸の呼と吸の間には、
深淵なるひとときがあり、
その時、音が生まれる。

ライアーでグリッサンドをおこなうのは、
音ひとつひとつを聞くため、
その日の楽器の鳴りと
音の一生の状態を確かめるためでもある。

最後の音を鳴らし終わったら、
響きを左から右へ、身体の中を通して回していく。

ゆえに、2度目のグリッサンドは、
力むことなく、生もうという意志もなく、
自然に生まれることになる。

グリッサンドは、
弦に触ってから始まるのではなく、
弦がない空間も既に滑って、
空気の音色が聴こえている。
弦がある、なし、は、関係ない。

自然にまかせるための自然を見つけていくことを
グリッサンドは教えてくれる。

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