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金華山と真備回顧①

コロナ禍ではありますが、GWは祖母宅を経由し金華山へ。

金華山はこんなとこ↓

島です!神社しかありません!最近、数回震度5の地震がありました。東日本大震災の復旧も完全に終わっていない中、また被災してしまったそうです。

以下誘ってくれた橋本さん(王子)のfacebookより引用です。

「先日の福島県宮城県沖の2回の地震で被災して、メディアでは報道される事は殆どなく今日に至ります。
今回の作業は前回の続きの作業になります。
地震でズレた瓦の全体補修。
屋上の貯水タンクが破れて大量の水が下へ流れて水浸しになった部屋の
天井や壁、畳の撤去作業。
伐採作業。
他に、神社保全作業のお手伝い。」

ということで昨年のお正月、いわきでのお手伝い以来、1年半ぶりの被災地支援です。コロナ禍で運動もしておらず体力面で不安が残ります。

当日は女川港に集合、荷物を船に積み込み出発を待っていると、緊急地震速報。

地震です!震度5。

ということで、一旦高台に避難。津波の心配なしとの情報があり、ことなきを得ました。それにしても震源地近くの地震は揺れ方が違います。下から突き上げる感じが東日本大震災の時の揺れを思い出しました。東日本大地震の時は、内陸ですが岩手県にいたため、よくも悪くも地震に慣れてしまったようで、落ち着いて避難することができました。地元の人たちの避難も早い。整然と車が一斉に高台へ移動していきました。

もう荷物を全て船に乗せていたので、荷物どうしようと一瞬思いましたが、まずは逃げるのが優先。何もなくて良かった!残念ながら今回の地震でまた神社の被害は大きくなってしまったようです。

そしてこんな感じの船で移動。

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船長。立って運転?操舵?しておりましたが立ち姿が安定していました。

島に着いて神社まで行くと、神社の方がお出迎え。安全祈願の祈祷をしていただき、着替えて作業開始です。屋根の上での作業経験はほとんどないため、屋根に上がる準備と簡単な足場を作り、室内の解体作業を行いました。区切りの良いとこで初日終了。宿泊場所と3食、お風呂と神社の方が提供してくださり、不自由なく作業させてもらいました。

2日目は、岡山より真備で活動していたときにお世話になった西岡さんが瓦の職人さん達を連れて登場。神社最大の懸案事項だった屋根の修復作業が始まりました。しかーし、天気予報にはない雨が‥ずぶ濡れになりながら区切りの良いとこまでで屋根作業は途中で終了。自分は引き続き室内の解体。2日目から参加した人もいて作業人数が増え、順調に作業が続きます。ケガなく2日目も終了。解体作業をしていた建物は屋根の作業を行っている建物の向かいだったため、休憩ごとに屋根上でどんな作業を観察していました。数日後にあんなことになるとはつゆ知らず‥

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屋根の作業はこんな感じ。応急対応というよりはきちんと修理をしていたようにみえました。

3日目も引き続き、屋根作業と室内の解体。岡山から来ていた西岡さん達ですが、アクシデントがあり、急遽帰ることに。帰りを合わせそのまま自分も岡山・真備に行く予定でしたが、後日合流ということになりました。雨もあり残念ながら作業は終わらず。またの機会となりました。瓦屋さんはまた来てくれるのでしょうか。

4日目は船の時間に合わせ、午前中で作業終了。帰る前に島をぐるっと案内してもらいました。どこもかしこも鹿、鹿、鹿。猿もけっこういるそうですが、見かけませんでした。

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作業していた建物からは牡鹿半島が見えました。牡鹿半島の先に見える島は網地島。高校の時に生物の巡検で行ったことがあり、断片的にですが記憶が蘇ってきました。泊まった民宿の名前が「マンボウぷくぷく荘」というパンチのある名前だったこと。ほんとに食事にマンボウが出たこと(たぶん)。うみうしの解説をしてくれた生物の先生が授業にはないテンションだったこと。生物の課題をよそにウニをみんなで獲れるだけ獲って民宿の人がすぐ捌いてくれたこと。あれから四半世紀。時が経つのはあっという間です。

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島のパワースポットにも連れっていってもらいました。コロナ禍で遠出をほとんどしていなかったので、いつもと違う景色がとても新鮮です。木々が神々しい。

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一緒に作業をした皆さんに見送っていただき、帰路。そのまま岡山まで行くことも考えましたが、東京を通過するので、とりあえず東京まで戻ることにしました。帰りに道の駅の女川丼を勧められていましたが、GWということもあり道の駅は遠目で見ても大混雑混。女川丼を断念し帰路へ。

多分次回に続く。





サポートは被災地の支援活動の費用にさせていただきます。