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『青年が軽トラックを横転させるまでの話~哀しきハロウィン・ナイト~』(前編)

 この街ではいつも建設と破壊がくり返されている。

 真喜也はこの街の停滞した姿を見たことがない。それはこの国の未来への希望のようであって、また絶望の予兆のようでもあった。街はその有様を日毎、刻一刻と変えつづけているから、真喜也がそこに希望を見い出して数秒と置かないうちに、がらりとその様相は一変し、街は滅びゆく未来都市の表情を見せる。そうかと思えば、朝日に煌めくビル群が肩を並べて歌うような歓喜がふたたび押し寄せてくる。いくつかのビルの影が重なる地上の部分には、一日をとおして陽が当たらない場所ができる。そこには滅びの予感が深い陰影となって張り付いている。そこに新たなビルが建設されると、今度は別の場所にある不要になった建造物が破壊される。そしてその跡地にはまた濃い闇が漂うことになる。この街にとっての建設と破壊は自然の光と影をいたずらに弄ぶ近未来の遊戯だ。それを延々とくり返すことができるということが、この国の希望であり、一方でそれが一向に終わりを迎えそうにないという事実が、真喜也にはとても絶望的に感じるのだった。

 真喜也はその街にある、道幅が広くて人通りがやたら多い坂道を歩いていた。

 この坂道に名前があったことを、真喜也はつい最近知った。この坂は道玄坂とよばれていた。どこかで聞いたことがあるような名前だと思った、どこにでもある名前なのかもしれない。真喜也は前方から坂を上って勢いよくやってくる人の流れのただなかを、小さくなってゆっくりと歩いた。坂を上る人の数は、下る人の数の倍くらいだった。そして上る人びとはみな、あらゆる工夫を凝らしたと思われる、豪勢で派手な格好をした大人たちだった。彼らはみな「なにかになりきる」という積極的な意志をもっていて、またそのなりきった姿を誇らしげにしていた。――彼らは同一の目的地を目指して進んでいるのだろうか?  それとも、どこにも目的地をもたない人たちが、一斉に現実社会から逃避しているのだろうか?  はやくうちに帰りたい真喜也にとっての不本意な速度で、真喜也はその流れのなかをひたすら逆行した。彼らは街を建設しようとしているのだろうか、それともこの街を破壊するために今夜集ったのだろうか。坂を上る人びとの多くはいま、物理的な、運動する個体として、あるいは精神的な、意志ある主体として、自分と対極にいる人たちだと真喜也は思った。だからこそ、はっきりとしたつよい意志をもって真喜也は家に帰ろうと歩を進めていた。目の前の仮装した人びとそのものというよりも、彼の精神上の「なにか」に対して抗っていたのだ。

 ふいに額から真赤な血を流した男と右肩がぶつかった。血といってもそれは血糊をつけているということは一目で判った。そんな物騒な主張がいったいなにを意味するのか、またなにゆえの出血なのか分からないが、そんなことはこの男にとっておそらくどうでもよいことなのだろう。彼にとって大事なのは、流血した重傷者に「なりきっている」ということと、それを端的にアピールするための額の血糊という「目印」であり、またその目印を見てやってくる、この夜を心から愉しむ彼の仲間たちなのだ。その証拠にこの重傷者は血の付いた頬にうっすらと笑みを浮かべていた。重傷者の隣にはきゃっきゃと下品な声をあげて笑う女がいた。女は小動物の耳をあしらったカチューシャをしていた。重傷を負った人間に寄り添う元気な小動物。立派なシュールレアリスムだと思った。ハロウィンの夜はシュールレアリスムが跋扈する夜だ。その意味もわかっていない人たちがいの一番にそれを体現しているのだから、道玄坂の混沌は、おそらく流血騒ぎどころではないだろう。真喜也は軽く会釈をして男のとなりを行き過ぎようとした。

「おい、兄ちゃん。おいおい、待って」

 真喜也はその声を絶望的な気持ちで聞いた。聞こえていないふりをしようと反射的に考えて、真喜也は男を振り返らずに歩いた。

「おうい、兄ちゃん、待って、待てって。別に怒ってないから」

 男はたしかにそう言った。怒ってないから、と言いながら怒っている人を真喜也は短い人生でなんども見たことがある。真喜也は断固として歩を進めた。

「くっそ、こうなったら」

 真喜也は先ほどまでの世間に悪態をつきつづけた哲学者じみた思想を頭からかなぐり捨てて、一心不乱に逃げた。すでに脳裡にはハロウィンの夜の若者たちを分析する思考など一滴も残っていなかった。ただ安全無事に帰宅できることだけを願いながら、道玄坂の人いきれのなかを下っていった。

「おい、この兄ちゃん、胴上げするぞ」

 真喜也は男のその言葉をたしかに聞いた。え?胴上げ?

〈つづく〉


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