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『青年が軽トラックを横転させるまでの話~哀しきハロウィン・ナイト~』(後編)

ーー「おう、やってやろうぜ、胴上げ」

「え、まじ?」

「だって知らない人でしょ?」

「知らない人、だからだよ」

 ――その4、5人の男女のグループの会話を真喜也がはっきりと聞いたのは、すでに周囲を彼らに完全に包囲されていたからだった。逃げることを考える暇もなく、気が付けば真喜也の両脚は道玄坂の地面から離れ、ネオンライトが八方から交叉する夜空のほうを向いていた。

 そして真喜也は宙を舞った。

 血糊男とカチューシャの女、そしてその仲間たちはまるで真喜也を百年の知己のごとく、あるいは大恩人のごとく、真喜也の細身を大切に扱いながら、なんども天空へと投げ飛ばした。ビル群に縁取られた夜空にはうっすらといくつかの星が煌めいていた。真喜也は天の神への供物に、いや、真喜也自身が彼らにとっての神になったかのように、可憐に、優雅に、恭しく宙を舞った。真喜也は彼らに抵抗するどころか、その突き上げてくるいくつかの腕の力の強さを受け入れ、また彼らの意思さえ受け入れ、果ては彼らのテンションの昂ぶりにもまったく共鳴していた。

 真喜也はとつじょ道玄坂の地面に尻を強打した。血糊男たちが胴上げの手を止めたのだ。しかしいまの真喜也は、それに対しての抗議の気持ちや臀部の痛みに対する感覚をおそろしく鈍化させられてしまっていた。

 ハロウィン、サイコー!と、真喜也は叫んだ。

 真喜也を見下ろす血糊男たちのグループは、そんな真喜也をみて狂気じみた破顔を見せた。カチューシャの女がきゃっきゃと笑った。真喜也が立ち上がると、彼らは百年の知己との再会の瞬間でもあるかのように真喜也を力強く抱擁した。そして、ハロウィンサイコー!と口々に叫んだ。彼らからはつよい酒の匂いがした。真喜也も酒を飲みたくなった。

 するとそこにクラクションを鳴らして軽トラックが、真喜也の体すれすれに道路脇に滑りこんできた。間一髪接触をまぬがれた真喜也と、血糊男のあいだを、トラックから降りた運転手の中年男が眉をひそめて通っていった。酒の匂いと歓喜に沸く一座に、束の間の静けさが漂った。そして真喜也たちはだれともなく視線を合わせ、ひとつの愚かなる悪戯のひらめきを共有した。それこそが自分たちの今宵の一大事業であり、自分たちに与えられた偉大なる使命なのだと全員が一瞬にして悟ったのだ。そしてその旗振り役として、一種のカリスマ性をも帯びながら、揚々と軽トラックの傍まで歩みだしたのは、酒に酔っただれでもなく、彗星のごとく現れた今宵のハロウィンの申し子・真喜也であった。――


 ――いま、真喜也の目の前には軽トラックが、まるで木から転落した死にかけの蝉のように、四輪すべてを夜気に虚しく触れさせながら、仰向けになっていた。先ほどまできゃっきゃと笑っていた女は、そのときなぜだか泣きだしそうな顔をしていた。酒も飲んでいないのに混沌とした意識のなかで真喜也は、とんでもないことをしてしまったのかもしれない、という絶望の予感と、破壊的なほど力づよい自分の未来の建設に向けた、端的な希望の光を同時に感じていた。転倒したトラックと真喜也たちを取り囲んで、真喜也たちのグループ以外の大ぜいの仮装した男女が怒号を上げていた。いや、もしかするとそれは歓喜の声だったかもしれない。あるいは悲鳴だったのかもしれない。――

 真喜也たちは現行犯逮捕された。トラックは元通りに起こすとすぐに走りだしたらしい。故障しなかったぶん、真喜也たちの損害賠償金は少なく済んだ。が、真喜也をはじめとするグループの若者たちは、その日、トラックの何倍もの痛手を負う、人生における転倒劇を自ら演じ、意気軒昂と上りはじめた道玄坂をまっさかさまに転がり落ちていったのは、言うまでもないことである。

 この街はきょうも、若者たちによって建設され、また破壊されている。

〈終わり〉


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