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父と過ごした最後の時間

4月5日、父が亡くなりました。
80歳でした(享年82歳)。

あれから1ヶ月半が経ちました。
年老いた両親との残された時間を、ここnoteで書いているので、その時のことを振り返って書き残す事にしました。
少し長めですが、よろしければお付き合い下さい。

*****

父が最後に入院したのは2月中旬のこと。
入院していた時の事を記事にしています。

最後は集中治療室から一般病棟に移っていて、元の生活には戻れなくても、もう少し頑張ってくれるかな…と微かな希望もありました。

亡くなったその日の朝、病院から電話があり、父がいよいよ危険な状態だと。夕方くらいまでには来られないか、と言われました。
私はその頃仕事がかなり忙しく、すぐには離れることが出来なかったものの、職場に事情を話して午後に早退させてもらいました。
弟が母を迎えに行ってから病院へ、私は病院に直接向かいました。

職場から入院している病院へは車で1時間半余り。
ハンドルを握る掌に汗が滲み、心臓の鼓動が早いのを感じました。

待ってて!

そう心で念じていました。
心を落ち着けるために、持ち歩いているエッシェンシャルオイルを芳香しました。

病院には16時頃到着。
駐車場に着くと、先に着いて面会を済ませていた義妹が待っていてくれました。
簡単に状況を説明してくれて、その後、父の待つ病室に向かいました。

間に合った!

父の意識は薄っすらとあり、声掛けには僅かながら反応を見せました。
でも入院当初のように、私が握った手を強く握り返す力はありませんでした。
母と私が父の傍で手を握ったり話しかけたり。
状態は静かに、ただ静かな様子で生きている、という感じでした。

いつどうなるかわからない状態で、このまま病院に居座るわけにもいかず、一度引き上げる事にしました。
車で30分ほどの実家へ私が母を連れて帰りました。
車に乗る時に母が「いい匂い」と言いました。私が落ち着くために芳香したアロマが残っていたようです。

家について早々、別に移動していた弟から電話が入り、父の急変を知らされました。
病院へとんぼ返りです。

最期に私たち家族に会えるまで待ってて頑張ってくれたんだね。
みんなに会えて安心したのかな…

父の元に戻ると、心音を示すモニターは横一直線で、呼吸も止まっているのでアラーム音が鳴っていました。
父の体はまだ温かく柔らかかったです。

担当医が来て話を聞き、死亡確認の立ち合いになりました。

後で死亡診断書を見た弟が気付きました。
死亡時刻は午後7時22分。
母の誕生日が7月22日。

偶然とはいえ、こんな奇跡があるのか、と驚きとちょっとした感動を覚えました。

*****

ここ数年の世情で、葬儀も簡素化が主流になっているようです。
通夜を省いて、ごく身内だけの家族葬が増えているのだとか。

4月8日告別式。
だいぶ前に家の近くの霊園に父がお墓を購入していました。
そこで法要も火葬も行いました。

この家が告別式会場です
斎場には家族葬向けの戸建て住宅が数件あり
擬似的に家から送り出す形式になります
受付の飾り花にいた羽虫
父かな?とちょっと思ってしまった


遠くは父の郷里の静岡から親戚が駆けつけてくれました。
和やかでいい葬儀でした。

家の中に設えるので小ぢんまり
でも素敵に飾っていただきました
花は父が好きだったピンクを選択


最後のお別れの時。
父の腕時計をした手で母はいつまでも父の顔を摩り、なかなか父から離れませんでした。

父の入院以降、別れの時が近づくに連れて、両親が思い合っている事を感じてはいましたが、母のこの行動はちょっと意外でした。
こんなに大好きなら、なんで元気だった頃はあんなに口うるさく父に文句を言ったりしたんだろう、と。娘の私が聞いても嫌なくらい文句や父の愚痴を言ってたんですよ。
今ならちょっとわかるかな。母は父に甘えていたのかな、と。

「お父さん、私もそっちに行くから待っててね。また一緒にダンスしようね」

それが棺を閉じる前の、母から父へのお別れの言葉でした。

両親は若い頃から社交ダンスが好きで、二人で習いに行ったり、発表会のようなお披露目の場に何度も連れて行かれました。
リビングには若い頃に二人で踊っていた写真が何枚も飾ってあります。

左の大きい写真が両親
右は父とダンスの先生かな?
昭和のことなので忘れました😅


父の遺影写真を選んだのは弟です。
カメラが趣味だった父から受け継いで弟もカメラが好きで、家族の写真をよく撮ってくれました。
そんな写真の中から選んだのは2018年に家族で父の郷里へ旅行した時のもの。
父と私のツーショット写真です。

2018年8月 静岡にて
(目元はスタンプです😆)

私の顔は父似。
骨格も男女の違いはあるけど似たところがあります。
性格も、好奇心旺盛でアクティブなところも同じ。
似ているなぁと、歳を重ねるごとに実感するようになりました。

*****

四十九日の法要のタイミングで納骨をするのが一般的ですが、母の希望もあり、一年くらいは家に置く事にしました。
やはり淋しいんですね。
それなりに存在感ありますから、安心感もあるのでしょう。


最後まで読んでいただきありがとうございました😊

お父さん
ありがとう☺️

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