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ゴキブリが怖い

さっき部屋にゴキブリが出た
小さいやつ

でかいやつ特有の黒々しさはなくて、少し赤茶色の色をしている
動きが早い

見つけた瞬間「うああああああ」
と叫んだら
階段を降りかけていた兄が戻ってきて退治してくれた

「お金とれそうやな。あきに変わってゴキブリ退治1匹千円」
と言って去っていった。

そう。ゴキブリが世界で一番嫌い。
奴を発見すると情けない悲鳴をあげ、できるだけ高台に上がる。
畳んだ洗濯物なんかに隠れた時なんて最悪だ。

大抵は悲鳴を聞いた家族がやっつけてくれるが、一人の時は文字通り涙目でやっつける。

なぜここまでゴキブリが怖いのか

大きさなんて私の方が断然大きいし、特に奴が毒を持っているわけでもない。共生したとしても私が死ぬこともない。

考えた結果、奴を恐怖と感じる要因は動きにあるという結論に達した

奴らの動きは予想がつかない
音もなく素早く動き、なんなら飛びさえする

その自分の予測できない動きが、得体も知れなさを強調する
さらに音もなく動くゆえに、眠っている間顔の上に来られたらどうしようと、対処の出来なさも考えさせられる

視界に入っている間に殺らねば感情をより高める

人は、急速に迫ってくるものにプレッシャーや恐怖を抱くらしい

時速20キロの車が向かってきてもそう怖くはないが、100キロの車だと怖い

ゴキブリのあの素早さは人間の大きさに換算すると時速300キロ相当らしい。相当な脚力だ。

『恐怖の哲学 ホラーで人間を読む』の著者、戸田山和久によると、恐怖はおおよそ3つの要素からできているという。

⑴自分に害をなす可能性をもつ対象を認知すること

⑵いわゆる恐怖感、怖さを感じている時のあの感じ

⑶危害低減行動を促すシグナル、という動機付け

この三要素からなる恐怖の原型的なあり方を「アラコワイキャー体験」と定義している
なんと安直だが分かりやすい

この本の中で、戸川はこんな問いを立てている
「情動は非合理で、理性の邪魔になる。合理的判断を妨げると考えられてきた。だったら、どうして私たちはそんな邪魔者を持っているのだろう」と。

たしかに、もし怖いという情動が無ければ、もしゴキブリを発見したとしても
「あらゴキブリがいるわ。邪魔ね、退治しましょう。」くらいで処理できる。

私のように悲鳴をあげ逃げまどい泣く泣くやっつけた後も死骸を処理するそれぞれの動作にも怖がる感情が付いてきては非合理すぎる

それでもゴキブリをみて恐怖の感情が生まれてくる意味は、今いる状況の意味づけと、対処までの動機付けがあると思う。

つまり、無意識で怖さを感じて初めて「あいつは危険!戦闘態勢に入れ!」と身体中にシグナルが巡って、通常のメンタルから戦闘モードメンタルに変わっていく。

いわば感情は行動へのスイッチ役のようなものだ。怖さを感じるから敵と向き合うし、退治しようと頑張る。もしくは助けを呼ぶ。

怖さは邪魔者でなく、行動を後押しするものだった。

と、ここまで書いたけど「ゴキブリ なぜ怖い」で検索したら知らなくていい情報も知ってしまってなおさら怖くなりました。

私と一緒にいるときもし奴と出くわしたら助けてください
お願い申し上げます

おやすみなさい

アイキャッチの写真はアシカです。
海遊館に午後五時以降に行けば寝そべってる姿が見えますよ

スキを押すと、2/3の確率で冬にうれしい生活雑学を披露します。のこりはあなたの存在をひたすら誉めます。