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柏レイソルがJ1優勝した日

2011年12月3日、J1最終節、対浦和レッズ戦。勝てば優勝。私は親友と胸を高鳴らせ、アウェイ埼玉スタジアムに乗り込んだ。浦和というビッグクラブとJ随一の熱いサポーターが相手だ。燃える。舞台は整った。

とはいえ、前節終了時の順位表はこうだ。

1位 柏レイソル 勝ち点69
2位 名古屋グランパス 勝ち点68
3位 ガンバ大阪 勝ち点67点

今見ても痺れる。敵は浦和だけではないのだ。もちろん浦和に勝てば優勝に違いないが、引き分けor負ければどうなるか全くわからない。まさに三つ巴の戦いだ。この年の名古屋もガンバも本当に強かった。他力本願などあり得ない。絶対に勝って自力で決めたい。そう思い、祈るような気持ちで席に着いた。

ちなみにその日のスタメンはこうだった。(本当は全メンバーの名前を記したいところなのだが、長くなるのでスタメンのみにさせていただく。)

監督 ネルシーニョ
GK 菅野
DF 酒井、増嶋、近藤、橋本
MF レアンドロ、大谷、茨田、ジョルジ
FW 田中、工藤

ユース出身の若手と中堅、ネルシーニョが見込んだその他日本人選手に助っ人外国人選手、と非常にバランスのいい布陣だったと思う。…選手に想いを馳せすぎているので、話を試合に戻そう。(最後にこの試合のハイライト動画を貼るので、私の拙いレポを読むのがしんどくなってきた方は、そちらを見ていただければと思う。noteの意味が薄れるかもしれないけれど、あの試合の感動が伝わればそれでいいのだ。)

試合開始の笛が鳴る。いつもはまったり観戦している私だが、この日ばかりは一所懸命チャントを歌い、手を鳴らした。開始から猛攻を仕掛ける我らが柏レイソル。なかなかゴールは生まれないが、このまま行けば点は入るんじゃないか、そんな期待を抱かせてくれるチームだった。

1点目は前半29分にCKから生まれた。キッカーはジョルジ。そして彼はこぼれ玉に向かって猛然と走り、黄金の左足でゴールを決めた。魂のゴールだと思った。その年に優勝請負人としてやってきた彼の活躍に私のテンションは上がりまくり、ジョルジのチャントを熱唱した。

2点目は前半38分、これまたCKから。キッカーはレアンドロ。こぼれ球を拾ったレイソルの選手がオーバーヘッドでゴールを決めた。え、誰、誰が決めたの⁈ え、和(橋本)なの⁈ 左SBとしてプレーする彼は勿論素晴らしい選手なのだが、オーバーヘッドを決めたところなど見たことがない。加えてあの愛されキャラだ。彼のゴールは私たちをちょっとだけクスッとさせた。

その後もレイソルの猛攻は続き、浦和に一本のシュートも許さず(これは今調べ直してびっくりした。こんなに圧倒していたとは。)、前半終了。

さあ、ハーフタイム。やることはもちろん他会場の動向チェックだ。しかし、携帯がなかなか繋がらない。当たり前だ。スタジアム中のレイソルサポーターが携帯を見ている。「名古屋、0-0です!」「ガンバ、2-1で勝ってる!」と声が聞こえる。ガンバを得失点差で上回るのは難しい。もし引き分けたら勝ち点並ばれた上に優勝を持っていかれちゃう!無理無理!絶対勝利あるのみ!

後半が始まった。徐々に浦和もボールを回し始める。そして後半8分、失点。あと1点取られたら終わるかもしれない、なんだかイヤーなムードが広がる。そんな気持ちをかき消すためにも、さらに声を上げた。大丈夫、私たちが優勝するんだ。

相手に攻められる時間も増え、自分たちのゴールも決まらず…そんな時間が20分くらい続いたが、後半31分、3点目のゴールが決まった。CKの相手クリアボールを茨田がミドルシュート。そのシュートは少し優しいものに見えたが、何やら回転がかかっていたらしい。一度は相手GKの手で止められたように見えたボールだったが、ファンブルしてゴールに吸い込まれたのだ。茨ちゃん、やっぱ天才だよ!私たちのボルテージは最高潮に。後半30分過ぎて3-1なら、ちゃんと守れば大丈夫。J1優勝という大きな夢にグッと近づいた気がした。

そして15分余りの時間が過ぎ、試合終了の笛が鳴った。親友と抱き合い、周りの人たちとハイタッチ。歓喜の瞬間だ。2009年J2降格が決まったのちの悲しみのホーム最終戦、2010年の快進撃とJ2優勝、2011年の痺れるような熱い日々。全てが走馬灯のように駆け巡る。喜ぶ選手やスタッフの姿を見て、気づいたら泣いていた。ちょっと遠いし、私はバクスタにいたからほぼ背中しか見えなかったけど。

この感動を味わったから、私はレイソルサポであることをやめられないのかもしれない。

2020年、ネルシーニョ監督のもと再びJ1を戦うレイソルがどんなチームになるか本当に楽しみである。





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