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#あったらいいなこんな学校

学校の登下校過程が楽しい学校

小学生の頃、家から学校までの距離が遠くて、バス通学だった。隣の学校が近いのになぜ?と子どもながらに思っていた。現在勤めている学校がその遠い学校である。今は、校区に住んでいないが今でも校区がそのままだ。昔はバスストライキがあり、バスが運行していない日もあった。また、バスが満杯で、乗れないこともあった。その時は歩くしかなかった。

事件は用意されていたかのようにやって来た。8時15分までに教室にいなきゃいけないのに8時を過ぎてしまった。姉と友だち4人で『歩いていこう!』ということになり、私たちの冒険が始まった。

信じられないかもしれないが、歩いていくための困難な壁が3つ用意されていた。

第1弾『黄色のフォルクスワーゲンのビートルを見ること。』毎日それを見ると1日がハッピーになれるという。初めにみつけたのは、赤だった。…少し不安になりながら歩く速度が遅くなっている事すら気づいていなかった。

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第2弾『牛の糞をよけて歩くこと。』その地域に赤道(あかみち)というところがあり、闘牛場があった。(なんだかスペインみたいな感じ)    朝晩、闘牛を飼育している闘牛家たちが、牛の散歩をしていたのである。道には、牛の糞が道路の土に混ざって小学生の私には検討の余地がなかった。しかし、必ず踏んだ証拠が残るのだ。それは、靴の匂い。「灯台下暗し」とよく言ったもんだが、皮肉なことに、足元から匂う糞は、歩き続けないと落ちないのである。それに気づいた私の歩き方は、小刻みに歩いていたのを覚えている。理由は歩数を増やすことだった。

その頃にはすっかり学校のことを忘れている子どもだった。

第3弾いよいよここが生きるか死ぬかの瀬戸際だった。近道をしようということになり、裏道を通ることに決定した。友達は、「あそこ、牛がいるよ。危ないよ!」という意見に対して、当時リーダーだった姉が「急がなきゃ!!。」とみんなに呼びかけその道を進んでいた。もはや目的は学校にたどり着くことではなかった。敵はやはりそこにいた。尻尾を振りながら私たちの方をチラッと見た。その牛は縄で括りつけられていたが、どのタイミングでその側を歩いていくかが肝心だった。その時だった。・・・・『姉ちゃん、そのシャツ真っ赤!』最初から気づいていたはずなのに、さすが小学生。当時はなかなか見れないスペインの闘牛で使われていた布が真っ赤だったという。その理由は、牛を興奮させるためらしい。私たちは考えた。うーんと考えた。リーダーであるはずの姉ちゃんをみんなで隠しながら通るという作戦だ。さすがの姉ちゃんも申し訳なさそうに小さくなっていた。隠された姉ちゃんは、後ろで指示をしながら私たちは姉ちゃんを隠すだけで精いっぱい。牛がまた私たちを見た。『とまれ!』の合図が出た。牛は、また水を飲み始めた。『今だ!!!!!!。』みんな一斉に走った。『モオ~~』牛は『ギャー』と大きな声を出しながらやっと学校の塀のそばに着いた。

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息を切らせながら学校に入り、それぞれの教室に向かっていった。ついたのは、2時間目の休み時間。先生が「あっちゃんどうしたの?」と聞いてくれたが、まさか、牛と闘っていたとは言えず、『バ、バ、バスが…』先生は私を察してくれたのか、歩いてきたのね?と確認してくれた。

体育着に着替え、ドッチボールを終え、水道の蛇口をひねった。水が体の中に沁みわたった後、あれ?私学校に来てる。と気づく。帰りも楽しみだなぁと人ごとのように思い出す。私はThe小学生だった。帰りは、リコーダーの宿題が出たので、笛を吹きながら歩いた。もちろん、その頃には牛の糞は太陽に照らされ固くなっている。気を付けることは、転ばないこと。

なんていい一日だったんだろう。学校へ行く道は、ゲームの世界だ。難関突破しながら、冷や冷やしたり驚いたり。学校の周りにいろんな仕掛けをして楽しみながら通えるそんな学校あったらいいな。

プレゼンテーション1