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日月記#2

1月6日
一晩にして登場した塗りたての横断歩道は紅白の縞模様で、パン屑のようにほろりと千切れたアスファルトがその道の上に転がっている。ぴっちりと丁寧に均一に塗装された面と、赤白黒のコンポジションが目に飛び込んでくると、こうして文章が湧き上がるよりはやく胸を打つ鮮烈さがある。

1月20日
CMの仕事をするときは、個人ではなく、クライアントからのフィードバックを受けて、世間全体の快不快を軸にして調整する時間がある。ゆえに自分の「良し」とのズレも多々生じるものだけど、自分はトカゲのマッサージ師で、人間のお客さんを施術しながら異なる箇所にあるツボを探してゆくような、そんなやりとりも気に入っている。NGの多くは粒の集合や血みたい、など。集合体恐怖症の理由の一つに、ある伝染病の症状ににているとか、人に危害を及ぼすものの様相の多くが集合していることなど、危機回避のために不安感を覚えるのでは、という一説がなんとなく腑に落ちている。絵を描く中でそういう根源的な怖さや気持ち悪さにマクロレンズで近づいて、一歩心地よさのボーダーを踏み超えた先で、神秘に出会うのが面白い・・・と胸の内でつぶやきつつ、清潔で綺麗なエネルギーだけを抽出して依頼に応えてゆくのだった。OKをもらうと、まるで異なる言語同士でも意思疎通ができたような満足感がある、けれども制作の中ではやはり抑圧だってある。そしてその反動は普段のライブパフォーマンスへ。清濁の峠を超えてゆく勇気となって絵に反映されるのだ。

1月25日
私の他にもう1人しかいない待合室、床や壁の色が見えるほど空いている病院って久しぶりかもとぼんやり思う。あたたかみのあるグレーの床は毎日清掃され磨かれる中で、一枚一枚ユニークな模様になっているのがおもしろい。遠くに見えるリハビリ室の中だけが、白い光にカラフルな花の写真や装飾が施されていて、色の鮮やかさが病院のなかで住み分けられている。外の景色も・・・ビルとビルの、ビルと空の、タイルとタイルの、隣り合った色だけを切り取って見比べてみると、ぱっと見グレートーンのビル群でも、小さい範囲で見れば匂いの立つような鮮やかさがあり綺麗だ。最近砂ばかり見ていた眼のチューニングのおかげかもしれない。X線写真を終え、うながされるままに横になってCTのドームに入ると頭の上で高速に回転するなにか。こういう力強くてハイテクノロジーな撮影機が、おもちみたいな色で包まれていると、清潔感とか、安心感とか、デザインとプロデュースを感じる。もしこれがデジタルカメラとして発売されるなら、黒くて角張ったモデルになるのではないか・・・なんて考えるうちに画像が出来上がっていた。なんて美しいのだろう・・・肋骨が綺麗に12本カーブして、背骨もきっちりと積み重なっている。博物館で骨格標本などをみる時には、人体って綺麗だなと思うけれど、今回は自分の胸部の撮り下ろしであるから、私の身体って美しいのだなと、なんだか誇らしくなる。CTの方は血管や肺の入口がはじめは点で現れて、そのあと円が膨らみながら、突然黒い空間に白い光がポンと現れる。それが心臓だったかどうだったか、頷くうちに通り過ぎてしまったが、年齢分機能してきた臓器の存在が綺麗であることに感動して、いいものみたな、としみじみ思う。美しきモノクロの世界を抜けて薬をもらいにドラッグストアに入ると、色彩が喧しく主張しあって住んでいる。色彩の生態系の変化に疲れつつも日常に戻る助走をしなければ。でも、このぼうっとした景色にもう少し佇むのもいいかもしれない。今日は無理に起き上がらずに。

1月29日
ライブに向かう道、リハーサルの音源を聴きながら歩く。なめらかで、こまかな光の粒子が離れたり、集まったり、とても美しくみずみずしい。冬でこわばった筋肉がほぐされて心身が柔らかくなるよう。
会場入り、ひとりひとりと集まってくる音楽家が、チューニングをして、わたしも同じようにLEDサイネージにどのように色が映るのか調整をして、公演がはじまる。喜びが湧き上がる。洗練され表現力豊かな演奏家たち。同時代にこんな素晴らしい人たちがいてくれてありがとうと思うのと同時に、「同時代にこの人がいる」という感覚はきっとどの時代にもあったのだと想像する。生きて切磋琢磨すること、今日のようなステージの積み重ねが、今日までの芸術史となって今まで紡がれてきたのだな。音楽家の修練のレベルに私が見合っているかというと、まだまだ磨いていかねば、厳しさも取り戻さないと、と省みるけれど、まずは今日のお客さまの拍手を宝物にして帰ろう。

1月30日
たまに通りかかるお蕎麦屋さんの暖簾が色あざやかな山吹色になっていた。

2月20日 - 3月1日
ルクセンブルク走り書き
rosport
砂岩を通った水だからおいしい
villmoos merci ありがとうございます
ドリルコア
幸せな1日だった
絶壁の上に同じ素材の砂岩ブロックを積んで都市をそのまま要塞にしている
美術館に行って建築と、遺跡と、同じ色のピスタチオのアイスとコーヒー
滞在先の建築と会場の建築も同じであること
220V
トラムに乗って
16mmフィルムが浮いて見えるリア投影
リア投影だからスモークもたけること
よくあるいて
ライブをして
墨流しの時にちびっこがルクセンブルクのかたち!といったこと
ビンでのむ。ミネラル豊富な水
日曜日だからすぐにしまる。
駅前のピザ屋で、人が落とした50セントをひろう
素晴らしい美術館
MUDAMという
岸壁の上に立っている
螺旋階段
とろけるような時間
夢で見る建築だった
夢の中でひとり訪れる美術館だった
パフォーマンス
緊張とラジオ体操
墨流しのワークショップ、囲む形でトルネードのような慌ただしさ
コッパーのアイメイク
耳が焼けそうな寒さ晴れているのに
飛行機が7機も同時に空に線を引いていること
ジプシム、石灰
砂岩とスレートの作る景色
長いバゲットを持ち帰ってくる
数学者からの質問
ドリルコア、ゼロのところだけに植物が生えている
砂岩の中に珊瑚がいる
地質のスイッチが入るとよく話すよく笑うナターシャ
チーズの種類
塩酸で泡立たせる
地層が目覚めるような
要塞の博物館
地下を進む
深めの窓
苔の色の数
石との関わり方が違うとのこと
地質学研究所
同時に塩の工場でもある
いろんな国の言葉でこんにちは愛してるさようならでルクセンブルクの砂岩とスレートを震わせる
その言葉の多様さこそルクセンブルクの特徴なのだと
MINETTという鉄鉱石が国の豊かさを作った
日本語イタリア語ポルトガル語ドイツ語フランス語英語日本語中国語ルクセンブルク語オランダ語ブルガリア語ポーランド語イラン語による
こんにちは愛してるさようならその多様さこそ今は国の豊かさに思う
帰国のすこしのさみしさと
異文化のコミュニケーション専攻の
多国籍の
多言語の
パピエパピエ紙が足りないという子供たちの呼ぶ声。その単語をおぼえて。
まえのひとは足が悪そうで
ピンクの砂岩のようなセーターをきて
振り子のように歩く
ファーストクラスのライトアームがクロスして植物のようだ
良い旅だ
シトロン 美味しいポテトサラダ野菜室は別の会場といった感じで、オリーブオイルと塩胡椒のソースは別で買って、おすすめのマーケット
イブ、ナターシャ、アノーク、ノア、ノーラ、ジョリス
ゼロ階から始まる
アドルフ橋、自殺
こんなにも豊かな国で
公共交通がタダで
トラムにのって赤やオレンジのアクリル越しの景色を見て
砂岩がくだけた粒子が車を汚す
キャロットケーキとチーズケーキでオセロ
ポットで頼むお茶
ウサギの形のアロマディフューザー
墨流し、子供たちの笑顔
硬水だとすぐに沈んでしまう
国立自然博物館
国立歴史美術館
公共交通がすべて無料である
ロバートヘンケの凄さ
お茶のボックス
jorge croweのテープの回転
Rival Consoles
220V
バックヤードの団欒が少し苦手だ
パルモンティーというカボチャの建築のようなケーキ?なのか
石器を切り出す方法の展示、まるで宇宙から、一掴みの道具をいっとき切り出して、それがまた宇宙の規模を取り戻すような感覚
ルクセンブルク大学
昔橋だった基盤の美しさ
空港の中心で人種のばらつきがあったものが、それぞれのゲートに近づくにつれて偏りが移り変わるのが面白い。浜辺の砂をみるときのおもしろさと美しさを感じる
言語もしかり
こうしていろんな人を見ていると、自分の身体の好き嫌いや性自認に関係なくいろんな身体で過ごしてみたいなと思う
この時間が永遠であると思うほど
墨を置いて帰った
少し高いキッチン
陽が差すと暑い部屋
少しゴツくて分厚い鍵に愛着
この頭がぐるってなる感じの酔いかた
最終日、もう明晰じゃなくていいから
ルーレットのようにおみせのひとの指差したワインを、それ、といってのむ
空港でキュッと白ワインを入れて、クロワッサンと水を買って、最後の思い出に。
顔が赤くならないものの、時差で程よく目が回る
このまま夢心地で空へ
20A
窓際の席、それだけを覚えていたらよい
太鼓の形を聴くことができるか?


気持ちよく起きた朝そのままの元気で、とれたての果実を絞ってジュースをつくるように、好奇心のエネルギーが頭いっぱいに溢れるまま、最近のライブの日々を過ごしてきたように思う。それはとてつもなく恵まれたことだった。今晩を生き抜く希望を、興味の果実の種を植えなければ。

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