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もののけの好きな色

儀式の中で「白」が「代」の役割を担ってきたように、それぞれの色彩が時代によって色彩美以外の願いを持って使われてきた。

ある日、色材研究の専門家に話を聞きにいったときに、おおよそ全ての植物からは何らかの色彩が現れて繊維が染まるけれど、草木染めとして残ってきている代表的な植物には、色の綺麗さだけではなく漢方としての薬効を期待されて衣類として纏われてきたようだ。藍染めの虫除け、茜草根の滋養強壮、聞いてみればそのとおりだよなあと思うし、今まで知らなかったことを恥じつつも、合成染料育ちには新鮮なおどろきであった。

医療の進歩した現代ですら、デマやスピリチュアルに踊らされ、小麦の塊が高額で取引されたりと「少し冷静になって」と感じるようなあらゆる問題が噴出するものの、当事者の藁をも縋る想いを馬鹿にすることは決してできないし、恐怖の中で待つよりも、もし、に賭けて何かしら動いていたくなる気持ちはわかる。

新型コロナが、きっと多くの人々の予想を上回って私たちの生活に影響を与えている。案の定「これをしていれば大丈夫」というデマの民間療法が出回って→それを揶揄するリプライ、嫌気がさしてラジオをつける。ほんの半分だけ聞き取れるBBCでは深刻な声色で「...coronavirus」思わず音量を下げる。自分自身の周りでは幸い体調を崩す人がいないものの、他の職業と同じようにではあるが、文化事業に携わる友人知人はそれぞれの規模で混乱と向き合っている。おおよそほとんどのイベント、ワークショップは中止となり、決行する場合は決行するだけのはっきりとした理由を発言できなければいけないし、ある意味政治的なスタンスを表明する事態だ。

自分自身も2週間のなかで3つのイベントが中止となり、1つは延期となった。末端の私にはさして問題はないものの、主宰の関連各所には大打撃だ。芸術家であり参加者として、提案できる範囲で一番前向きな一手を探しつつ、無理のかからない中で実現してゆくことしかできないけれど、なにか飛躍的に面白い藁はないものか。

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ある日「紅花が天然痘を退ける」という噂がたった。
きっと初めはいい薬はないものかと、あらゆる噂のなかの一つだったと思うけれど、噂が広がる中で

「天然痘は赤色が好きだから、近くに赤色があるとそこに吸い付いてくれる」という話にまで飛躍したそうだ。

医療と呪術が並行して治療的役割にあった時代には、もののけ の性質を言い当てるのは飛躍した噂話ではなく、疫病の形を捉えたような情報だったのかもしれない。気を休めるような役割くらいは、果たしただろうか。

同じように、天才という考え方も近代以降は個人の中に押し込まれがちなある種の病であるが、かつては人間と天才性は分けて考えられていたそうだ。自分ではないなにか素晴らしい存在が、あるときに降りてきて作品を素晴らしいものにしてくれる。ダンスを、歌を、詩を、筆致を、言葉通りに神がかったものに押し上げる。それは気まぐれに去ってしまうからこそ、人間に戻ったときの虚無感から芸術家を守ってくれる。

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私たちはできることしかできない。日々学んでいくしかできない。自分自身では制御もできなければ説明もつかないような素晴らしい出来事も、厄災も、努力を超えたピークに差し掛かるようなときには、現代医療の支えとともに、 個人の意識のなかではもののけとして具現化し、別れを告げる儀式をするべきかもしれない。それこそ祭祓としてのイベントを。なにかわからない流動的な存在をいっとき掴んで払えないものか。冷静さを欠くような行動の根元にある、恐怖という怪物だけでも。

天然痘が赤色が好きならば、新型コロナは何色が好きか、教えて欲しい。イベント業の我々、怪異と遊ぶ才能と儀式の準備だけはいつだって整っているのだから。

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