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新しい2週間の滞在先へゆく前に、展示プランと作品の名前を教えて欲しいと言う。そんなのわかるわけがない。何と出会ってなにが生まれるのかなんて、ありもしない思い出を捏造しながら語るようなものなんだ。と思いながらも、なにかの希望という形にして空欄を埋めてゆくんだ。喪失を先回りして想像するなんて今はできないから、500単語と指定された文章も、もはや持ちうるだけの英単語を、雑に頭からガチャガチャと落とした先で自然と繋がったものをピリオドで区切っていくだけの作業だ。精神を切り裂くようなここ最近の経験を、切実さを、ここに公式として現せるとは到底思えない。なぜできない。

芸術を運ぶための一艘の舟となって停泊した先、隣に座ったひとびとと架空の季節の話、身体を持たない一語一語は耳に届いても具体的な像を結ばずに影だけを落とす。多くの褒め言葉とさよならも、あまりにも透明で形を拾えずに、ゆえに触れることもできず、屈折して現れた仄暗いゆらぎだけが心に触る。夜中の間に舟から下ろす、かたちを成さぬひとつひとつの贈り物を。

同じ辰年の師匠は私が思うよりもずっと年上になっていて、PEACEをやめて天然の煙草を指に挟んだ。最近スライド映写機を使って作品を作ったんです、というと、自分の80年の中からあらゆるスライドの特性を教えてくれた。スライドが動かないようにすることについて、暗闇をなくすことについて、たくさん繋げることについて、へたらないようにガラスにしてみること。今私が映写機を使うようになったから、はじめて聞くことができた話だ。

「装置がちょっと不具合です」というと、いつものように「じゃあ直すからちょっと見せて」とは言わなかった。

「一生壊れないものをつくるから」

私は驚いて、そしてどうしようもなくなって泣いてしまった。笑いながら、出会った時に嫌な予感がしたんだって。あなたのやっていることは自分が職人の道に入る前にずっとやりたかったことなんだ、と。いま、一語一語単語を減らしていって、映像で和歌を詠む、最後の手続きをしながら、自分がいなくなったときにも、一生私が絵を描けるように考えていてくれる。徐々に鮮明になっていくさよならの方向をまっすぐ向いて歩みながら、カウントダウン、しかしゼロの先にも届くための愛情に。先生ありがとう。



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