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All the best, に圧を込めて

「君に恋に落ちた。12月にパリで会いたいーーーー」

正確には、君の作品に恋に落ちた、からはじまって数行に渡り連なる口説き文句、つまり音楽と映像のフェスティバルへ出演してくれないかというオファーのメールだ。

出演者であり自分のマネージャー業もしている私は、およそ仕事の数だけこういったオファーメールを受け取ることになるが、とりわけ海外からのアタックはなかなか熱烈である。冒頭の一行はパリからであるが、あまりにもステレオタイプなパリのイメージに、パリ側が (きっと) 自覚しながらも全力でパリを演じてくるので、すっかり彼の手のひらの上で笑ってしまった。

とはいえ"「笑」や「w」のように" 笑うだけにとどまるのだ。というのも

Instagramで #perfumaniac をタグフォローしていたからか、日に1回はナタリーポートマンが「あなたは愛のために何をする?」とこちらに挑戦的な眼差しを向け、そのたびに私は「Diorの香水がほしいの?」と広告をスクロールするのだが、SNSにおいてある時期あまりにも彼女と遭遇するので、「君の作品と恋に落ちた」とくれば、「あなたは愛のために何をする?」と私の中のナタリーが返す刀でギャラ交渉をはじめるのだ。

交渉といっても、旅先で露天商と相場ちょい上くらいまでに、お互いの合意を持って値下げする微笑ましいコミュニケーションでもなければ、この小切手に好きな数字を書きたまえ、えーどうしよう〜好きなだけといってもこれくらいかな??という誰が最初に作ったのか、気前のいい謎の紳士とのやりとりからは程遠い会話だ。

スカイプもあれど、大体はメールのやり取り。日本でもそこに変わりはないのだが、なぜだか海外とのメールはメールというよりも格闘技に近い。あるリングの上で、ルールを確認しながら、予算の落としどころを見つけて意見を闘わせる。ボクシングかと思ってたらキックボクシングなのね、と、思いがけ無い打撃に戸惑うこともあれば、こちらが間抜けな反則をして謝ることもある。

もちろん、闘いなどにならず、ではそれでお願いします。ありがとう、楽しみです。というケースだって沢山あるが、全部が全部そうはいかないところが私のメールボックスである。あなたの作品を本当に好きだから、こんなに夢中なんだから、あなたも私の恋に見合った努力をして来てよ。というジャブは悲しいかな往々にして放たれる。ゴングが鳴る。つまり、予算がないけど、君が興味があれば来てほしいんだ、という態度だ。私としては、見出してくれたことと連絡をくれたこと自体が嬉しいし、なによりあなたの場所なり表現に興味もある。だけれども、あなたが、あなたの愛たるものを私の2枚の往復フライトチケットと交換したいならば、その愛を "実際に" くれないか。ドーパミンなりオキシトシンを絞り出して10mgの練り香水にしてくれたなら、もしくは "そのようなこと" をしてくれるウィットがあったなら、12月はパリに寄ったかもしれない。

今まで実際に、貨幣のやり取りなく物々交換で謝礼を「満足に」いただいた経験も幾度となくある。この交渉はさながら、かぐや姫と5つの無茶振り、のような構図ではじまるのだが、それが姫と貴族ではなく、アーティストとクライアントになった時、燕の子安貝や火鼠の皮衣というのは存在しうるということを知った。工夫をすること、という時間は大変に創造的で、こちらの創造とその時点で交換しうる形になることがある。

しかし驚くべきことに、好きと言われた時点で身を切り参加するアーティストの多いこと。まるでそのイベントに出ること、その人と関係を持てること自体が輝かしい勲章のように。バックヤードで有名人とセルフィー1枚撮る権利にアイデンティティをも委ねてしまうステータス中毒者が作り上げた空気はコツコツとある特殊なバイオームを形成し、オーガナイザーに工夫なく恋だの愛だの語らせてしまうのだ。

メールの締めくくりには、よろしくおねがいします、にあたる、All the best, や Warm regards, を添えるものだが、こんな日には形式を超えて語りきれない気持ちが乗る。イベントを立ちあげ、私を呼んでくれてありがとう、光栄に思う。ともに現実の問題と向かい合いながら戦いぬいた暁には、実現したライブのひとときに本物の蓬莱の玉の枝が芽吹くよう魔法をかけよう。文末に祈りを込めて。

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