見出し画像

ファミリーヒストリー2 鉄道公安官を知っていますか?

母方の曽祖父の軍歴を調査しているファミリーヒストリーシリーズ。
申請した書類はまだ届かないので今回は父方の祖父について書きます。

父方の祖父は長年、国鉄の職員として新潟県内の駅で助役や駅長を歴任してきました。国鉄というのは今のJRのことで1987年に分割・民営化されてその名前はなくなりました。

今回、親戚の集まりで上映するビデオを制作するにあたり祖父の国鉄での足跡について調べたいと思い、可能な限りリサーチしました。
父やその兄弟から聞いた話だと祖父は、

1924年 誕生
1939年 国鉄入社
1948年 新潟駅 鉄道公安課に配属

ということみたいです。ここで「鉄道公安官」という耳慣れない単語が出てきました。
まず僕は鉄道公安官とは何なのかについて調べることにしました。

amazonで調査のために購入した「鉄道公安官と呼ばれた男たち」(濵田 研吾)という本によると、鉄道公安官は国鉄の中で、スリ・盗難・キセル、その他様々なトラブルに対処するために作られた組織で発足は昭和22年(1947)。
その当時の鉄道は相当に治安が悪く、電車内で集団での暴行事件やとスリは日常茶飯事で、すでにアメリカにあった連邦保安官を参考に作られました。

私の祖父は1948年に鉄道公安官になっているので発足して間もなく配属されたことになります。
補足ですが、鉄道公安官になるための条件は、数年間駅で勤務した国鉄職員で試験に合格する必要がありました。
筆記試験と面接試験で筆記試験は国語・算数・作文・運輸に関する知識・鉄道移動に関する問題が出されたそうです。

当時、国鉄職員は最盛期に40万人以上いる巨大組織だったそうなんですが、
鉄道公安官はその中で1%の人しかなれない超エリートの花形ポジションだったみたいですね。改めて、祖父の偉大さを感じました。

余談ですが、祖父が新潟駅に鉄道公安官として勤務していた時、同じく新潟駅で電話交換手をしていた祖母と知り合い結婚したと伯母から聞きました。
祖母はその時、別に付き合っていた男性がおり祖父は祖母のタイプではなかったらしいんですが祖父は祖母を落とすために彼女の家を訪ねて、父親と親しくなることで結婚までこぎつけたそうです。

話がそれました。鉄道公安官の試験に受かると半年ほどの訓練をうけます。英語や刑事訴訟法、憲法など行政知識をみっちり仕込まれ、それを経て晴れて鉄道公安官としてデビューです。
鉄道公安官は警棒と手錠を携帯します。拳銃は天皇陛下の御用列車警備など特別な場合に限って許可されました。
手錠を携帯しているということなので、鉄道や駅での犯罪は鉄道公安官が警察権を行使して
逮捕することができたのです。

ちなみに、この手錠は家に残っていたらしいです。父が教えてくれました。
父が子供のころに父の3つ上の兄(叔父さん)とその手錠で遊んでいたら、何かの拍子で叔父さんの手に手錠がカチャンとかかってしまい、
叔父さんは3日間学校を休んで、カギのある
国鉄の事務所まで行ってようやく外してもらえたという笑い話があったそうです。

しかし残念ながら、祖父の鉄道公安官として勤務していたときのエピソードは誰も詳しく知りませんでした。

次回は祖父が死後に授与された勲章とその調べ方について書こうと思います。

もしこの記事が気に入っていただけたら、サポートもお願いします。 いただいたお金で本を買います!