「下手ではない」と言えるようになりたい。

特技がない。
私はこれができる、と堂々と言えるものがない。

いやいや音大に通っているのだから主専攻の楽器やら歌やらとでも言えばいいではないか、と思われるだろう。

が。
音大生だからこそ、楽器が得意と言えないのだ。


廊下に出ると、あっちからこっちからピアノの音色が聞こえてくる。
明らかに私が鳴らす音と違う。もっと1音1音考えられている。クリアで、情緒的で、つい聞き入ってしまう。

そんな演奏に囲まれると、痛いほど突きつけられる。ピンとキリ、どっちが上手な方を指す言葉なのか分からないけれど、私は下手な方に属していると。

入学して3年。これまでほとんど弾いてこなかったクラシックに着手した。最初は手も足も出ず、なけなしのプライドはズタズタになった。今までやってきたことは一体何だったのだろうと10数年間のレッスンを疑いたくもなった。それでも先生が根気強く教えて下さるおかげで、どうにか試験でコケることのない程度までに指が動くようになった。数曲レパートリーもできた。それで、やっとスタートラインに立てたところ。

演奏家になるつもりはないし、どこかで披露する機会も今のところはない。究極的に言ってしまえば、演奏が下手でも単位がもらえれば将来に支障はない。のだが。


とあるコントを見た。
オタク同士の会話を切り取ったものだったのだが、主人公が友達にダンスや歌、絵などを褒められた際、「上手いかどうかはもはや分からん」「まあまあでも下手ではない、まあ、下手ではないことは確か」と、まんざらでもなさそうに口許を緩める場面が印象に残っている。

その再現度の高さに心の奥にしまった黒歴史を刺激されながら、ふと思った。

そんな風に考えられる彼女が少し羨ましい、と。

自分ができることに一定の自信を持ち、褒められたら純粋に喜ぶ。私がいつの間にかできなくなってしまったことを、彼女はいとも簡単にやってのけるのだ。

誰かに何かを褒められると、どうしてもそれを否定したくなる。もったいない言葉だから、その言葉を受け取れる人間だと思えないから。でも、否定をすると、せっかく貰った言葉だけでなく、その言葉に込められた心までも否定してしまうことになる。

一度ついてしまったクセを取り払うのは難しく、すぐに改善に至れるわけではない。それでも、素直な気持ちを少しずつでも取り戻せたら、もっと笑顔で生きられる気がして。

そんなことないよ、と言いかけたら思い出したい。あの絶妙な表情を。