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#旅とわたし

カナダに行きました。

午前は現地の語学学校に通い、午後は一緒に来た仲間たちと観光、そして寝泊まりはホームステイ、という暮らしを2週間続けていました。仲間たちはみんな日本人ですが、英語力をつけるため日本語は基本禁止でした。母国語が通じない世界に行くのはこれがはじめて。もちろん緊張しまくり。

でも。

現地の人たち、語学学校のクラスの人たちはまだ子供の私(クラスの中ではダントツで最年少でした)に本当に優しくて、いろいろな話を聞かせてくれたり、日本のことを知ろうとしてくれたり。私が間違えたことを謝ると、気にしないでいい、と励ましてくれたり。

一度語学学校で言いたいことが伝えきれず悔しくて泣いていたら、近くにいた外国の方がこんな紙をくれました。

私たちは同じ境遇
失敗を気にしないで
一緒に学んでいるんだから。
ミスは船の部品のひとつだから
悲しまないでね。

優しく大丈夫だよ、仲間だから、と何度も言って、ハグまでしてくれました。先生もすごく心配してくれて、泣いていてうまくしゃべれない私の代わりに紙をくれた方が説明をしてくれて、間違えて当たり前だから。君はまだ高校生でしょう?むしろすごいよ、自信をもって(意訳)とおっしゃいました。

その優しさが胸に染みて、また泣き出した子供のような私を包んでくれました。

間違えちゃいけない、人前で恥をかけない、人がどう思っているのかすごく考える文化、ありますよね。

一連の出来事があった次の日に、日本にはよくも悪くもそういう文化があって、私はカナダに来ても日本人の脳のままでいたんだ、だからしゃべれなくて、悔しくて泣いてしまったのかも、なんてことを伝えてみたところ、すごく驚いていました。だからシャイな人が多いんだね、とも言っていました。

確かにそうかもしれません。間違えたくないから、恥をかきたくないから、発言する回数が減っていく。だから『シャイ』と言われる。
そして相手のことを考えて、実は間違えた自分を相手が心の中で笑っているのかも、なんて考えてしまうから余計に発言しなくなる。そうすると『シャイ』を通り越して『静か』になる。

発言できないのを文化のせいにして、学ぶ機会をないがしろにしてしまったら意味がない、そう思いました。

授業では実際間違えることもありましたが、誰も笑わず、むしろ助け船を出してくれました。

なんだ、大丈夫じゃん。

その時、考えていたいろいろなことが吹っ切れて、今まで心のどこかにあった重りがふっと消えました。残りの日数でやれることを全部やって吸収して日本に帰ろうと思えました。

滞在期間中、もちろん英会話を学びましたが、それよりももっと大切なことを、そこで出会った人たちは教えてくれました。短い時間の中で、1人の人間としても成長できた、とても思い出に残る旅でした。

一緒に行った友人と、2年後また行こうと約束をしました。その時私は何を学べるのか楽しみです。