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自分を縛る思考の捨て方

Twitterで、捨てたら幸福度が上がった思考10個を投稿したところ、捨てた方が良いのはわかるけど、捨て方がわからない」というコメントをいただいたので、自分がどうやって捨ててきたのか、書いてみたいと思います。

俯瞰と客観を繰り返す

結論から言うと、私の場合は「一般的に考えてどうなのか?」という”俯瞰”と、「私のケースを他人が見たらどうなのか?」という"客観"を繰り返して手放していきました。
その思考の過程を例示してみたいと思います。


例1:「収入が自分の価値」の捨て方

①俯瞰して考えてみる
「一般的に考えて」収入とひとの価値は連動してるのか、考えてみる。
「ひとの価値」とはなんなのかとう問題もありつつ、そこはおいておいて、収入が高い人はすごく素晴らしい人なのか?という問いには、必ずしもそうではない、と多くの人が答えるでしょう。
もう少しブレークダウンして、収入が高い人は仕事ができる人なのか?という問いも、イコールではない、と答える人が多いのでは無いでしょうか。

実際まわりを観察してみると、特にサラリーマンの収入は、業界(や、会社)の成長性にかなり連動することがわかると思います。
言葉を選ばずに言えば、伸びてる業界のシェアNo.1の会社の正社員であれば、それほどのスキルを持っていなくても、それなりの年収がもらえますよね。
一方で、この人はすごく仕事ができるなぁ!という人でも、業界そのものの業績が良くなければ、その人のお給料はどんなに出世しても頭打ち。

つまり、人格は言うに及ばず、仕事のスキルについても、年収と完全に連動していない。
ひとつの会社の中での評価を図る物差しにはなっても、それだけのこと。

②自分の例を客観的に見てみる
①で考えたことは、自分にあてはめても言えることなのか、考えてみる。
私は、会社員をやめて、年収が下がった。これは私の価値が下がったと言うことなのか?

・会社を辞めた日とその翌日で仕事のスキルがかわるわけはない
・個人事業主として経理も営業も契約も自分でやるので、経験値は上がった
・経験を重ねることで、会社員時代には理解できなかったことが、理解できるようになった

仮に、こういう人がいた場合、私はこの人は年収が下がったから価値が下がった、と感じるだろうか?多分、感じない。

①と②を踏まえて、なるほどやっぱり収入は人の価値ではないな、と自分に腹落ちさせていく。

(余談ですが、現在私は、会社を経営する立場なので、私の収入が増えるかどうかは、私がやっていることが社会に価値を提供できているかどうかの指標ではあります。なので、大切なことだとは思っています。一緒に働くメンバーへの報酬を上げていくことも、もちろん。)


例2:「ひとの期待に応えられない自分に価値はない」の捨て方

①俯瞰して考えてみる
例1と同様、「ひとの価値ってなに?」はおいておきます。
世間一般に「すごい」と思われているひとたちは、「ひとの期待に応えているのか?」を観察してみます。

たとえば、有名な起業家さんたち。
もちろん株主の「利益出せ」という要求はあるでしょうが、それ以前に、「誰かに期待されるから」動いているでしょうか?
そもそも自分がやりたいことがあって、動いているのが最初ですよね。自分がやりたいことをやるために、ひとの期待「にも」応える必要があるだけで、ひとの期待に応えるためにやってるわけじゃないでしょう。そりゃそうですよね。期待のないところに会社作ってるわけですから。

そっか、やっぱり人の期待に応えるってことと、「すごい」かどうかは関係なくて、この例で言うならば、「自分がやりたいって思うことを実現できているか」のほうが大事っぽい。

②自分の例を客観的に見てみる
とはいえ、私はそんなすごい起業家さんとは全然違う。
凡人の私はやっぱり、誰かの期待に応えてなきゃ価値ないんじゃ無いかな・・・?
自分が人の期待に応えられないシーンを他人として見てみよう。

・上司が、我妻には来期からリーダーになってほしいと思っている。
・私は、リーダーでは無く専門職になりたいと思っている。

このシーンで、私は上司の期待には応えられないけど、それって、私の価値が下がることだろうか?
いや・・・全然関係無い。
もちろん、専門職になるならなるで、そこで価値を発揮していかなければ雇ってもらえないので、ひとの期待を全く無視していいわけじゃ無い。
となると、「自分がやりたいことのために他人の期待『にも』応えなきゃならない」という構造自体は、スゴイ起業家さんたちとなんら変わらない。共通したものだ。

ということはやっぱり、「人の期待に応えられないひとに価値がない」ということは私自身にも当てはまらない、ということで間違いなさそう。
人の期待というのは、自分のやりたいことを実現するために、必要なときに必要なだけ、応えればよいもののようだ。


1回では捨てられない

以上のような過程で「ああ、この思考はいらなかったんだな」というのを自分に腹落ちさせていくのですが、長年付き合ってきた思考なので、そうそうスッキリ離れてはくれません。
なにかあるたびに、顔をのぞかせるので、そのたびに、①②を違う事例でやってみるのです。そのうちに②だけでよくなり、次第に②も要らなくなる。
そんな過程をたどっています。

上手く付き合っていくことも大事

Twitterでは、「無理に捨てようとすると自分を追い込んでしまう」というコメントもいただきました。
本当にその通りだと思います。「この思考をもっている自分がダメ」と思ってしまうことほど、本末転倒なことはありません。
現に、私が「捨てちゃえ」と書いた10の思考の多くは、短期的にはパワーになってくれることもあると思います。
「私なんて・・・」って思うからこそ謙虚にコツコツ頑張れるシーンだってあるはずです。
なので、今すぐ全部捨てなきゃと思うのでは無く、上手い距離感で付き合い、徐々に捨てていけると、長い人生の可能性が広がっていくんじゃ無いかな、と考えています。

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