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【舞浜戦記第2章】お祭り男が僕を呼んだ理由【前編】:スプラッシュ・マウンテン052

今日もクリッターカントリーは平和に営まれている。

グランマ・サラのキッチンの入口はお腹をすかせたゲストたちが吸い込まれていく。
滝壺は繰り返し繰り返し、ボートを叩き落としては水しぶきを上げている。
人々は奥へ歩みを進め、カヌー乗り場かチュロスを売るラケッティのラクーンサルーンへ向かう。

「キンちゃん、ちょっと」
シゲ坊が僕をそう、呼んだ。

ちょうどその日の勤務は外浮きで、屋外にいた時のことだ。
クリッターカントリーの坂道を少し下ったあたりでゲストの列を見ていたところだった。

なんの用だろう?

普段、彼は僕を苗字で呼んでいた。
周りがみんなそうだったから違和感を感じていなかったが、後から考えるとなぜアメリカ河にいた時と同じではなかったのか。
彼の性格ならスプラッシュの空気など読まずに、普段から僕をキンちゃんと呼んでもかまわなかったはずだ。

親しい仲だけで通用するニックネームを、特定の仲間うちだけで使うのもありだ。たとえば僕はマキをそのまま呼んでいたが、他の人たちは大抵苗字で読んでいた。
そんな感じで勝手に呼べばいいのに。

僕は以前キンちゃんと呼ばれていた

マークトウェイン号で勤務していた頃、僕はキンちゃんと呼ばれていた。

それは僕の名前から由来するものだったが、スプラッシュ・マウンテンに来てからはいつしか忘れてしまった。

以前、マークトウェイン号にいたシゲ坊、ヨコちゃんも、スプラッシュに来たら一切使わなかった。
僕がキンちゃんと呼ばれていたことを知っている人はスプラッシュにはいなかった。

一緒にマークトウェイン号から異動してスプラッシュに来たキャストは他に2人いたが、一人は僕より遥かにキャリアの長いS田氏で、彼は僕を名前で読んでいたし、もう一人W氏は年齢は僕より年上だったがやはり同様だった。

なのでこの名称を使ってくれる人は蒸気船にしかおらず、僕自身すっかり忘れていた愛称だった。

ニックネームは、それを使う人が一定数いないと普及しない。

彼らは「後からスプラッシュにやって来た人たち」だ。
僕と同じオープニングキャストは徐々に数を減らしていたが、まだ一定数いたし、彼らからすると後から来た人たちは後輩だ。
後輩は、郷に入っては郷に従えの通り、その職場の空気の中に入っていく。
その場で通用する流儀に従うのが暗黙のルールである。

だからその時、ちょっと驚いたのだ。
彼が僕をキンちゃんと呼んだのは、特別な意味があると言うことだから。


僕を追い抜いていく「優秀」な後輩たち


はっきりした決まりではないが、トレーナーが生まれる時期がある。
春休み前。
夏休み前。
秋に入る前。

ちょうど新人が入ってくる時期に合わせて新トレーナーを作るのだ。
トレーナーとは主に新人にトレーニングを行う役職である。ディズニーのOJT(現場でのオンザジョブトレーニング)は部署により様々だが、アトラクションを管轄する運営部では通常1対1のマンツーマンで行う。

新人さんが大勢入ってくる少し前に、トレーナーになるためのトレーニングがあり、晴れてトレーナーになったら続々と配属されてくる新人のトレーニングを受け持つ。

半月おきのスケジュールが発表される時、全員の名前が載った用紙がA4で数枚に分けて印刷され、各ロケーションに置かれる。
プラスティックの表紙は幾度も開かれめくられたおかげで自然と弓なりに癖がついて、その中に用紙が挟み込まれている。
リードが用紙を挟み込むと、それを早速もらい受けて、表紙をめくってみる。

自分のシフトを確認していく。
リストには従業員番号が古い順に名前が並んでいる。
僕は4〜5枚ある用紙の中で、だいたい2ページ目くらい。僕より前に入社した人が12、3名いた。

1ページ目はリード。
2ページ目から準社員。
以下トレーナーがずらりと並ぶ。
自分のシフトをざっと見る。今回も遅番が多いな。

あまり満足できるシフト構成ではない…。
まあそんなものだ。シフトを作るのはスケジューラーの◯◯さんだが、全員の希望を叶えられる組み方など存在しない。

他の人のシフトをなんとなく眺めていると、あるマークに気がつく。
シフトが並ぶ脇に、小さく「TR」と記号がついている。

トレーニングだ。

その人は、トレーナーではない。
つまり、トレーナートレーニングだ。
トレーナーになるためのトレーニングが入っている。
少し前に噂になっていた、次のトレーナー候補のBさんだった。

少し前から聞いていた、噂は本当だったか。
彼女は明るい性格の女性でありちょっと天然なところもあったが、リードからは慕われていたので順当だろう。
僕より少し遅く入社したので、スケジュール表では僕より後ろに名前があった。

もう一人新トレーナーがいた。
K四郎君だ。

彼は他のアトラクションからスプラッシュに異動してきた人だ。
彼は人気がありリードからもキャストからも慕われていた。まあ、トレーナーになってもおかしくないな。かなり毒舌で皮肉屋なのが微妙といえば微妙だが。

共通点は、どちらも僕よりキャスト経験が浅い人だ。
他のアトラクションでの経験はあるだろうが、それは僕にだってある。

彼らにあって僕にはないものは?
上の人達から信頼されている、ということか。
いや、彼らは信頼はされているが、頼りにされているかというと、違う気がする。
実力が頼れるかどうかを基準にしたら、違うと思う。

実力があることか。
実力?実力ってなんだ?
知識があることか?知識なら、僕も二人には負けていない自信がある。

なんだかんだ言っても、僕はあの二人より劣っているということだ。
少なくともリード達は、僕より彼らの方がよい評価をしたという事実は間違いない。

シフトが希望どおりではなかったことの残念さより、TRの文字が後輩についていたことのほうが、僕を憂鬱にさせた。

はあ。
「頑張れよ」とK原さんに言われた4年前を思い出してしまう。
頑張るって、何をですか?

僕は頑張っていないのだろうか。不真面目だろうか。
何か決定的に欠けている点があるのだろうか。

K原さんにもっと頑張れと言われてから何度も後輩たちがトレーナーになっていった。
僕を追い抜いて。

ロケーション全体からすると、僕は有象無象のどうでもいいキャストなんだろう。

同じ立場の専業のオープニングキャスト達はどう感じていただろう。
やはり僕と同じで、評価されないことに落胆していただろうか。それともトレーナーになんて一切なりたくないと思っていて、全く無関心だろうか。

次期トレーナーについての専業のみんなの感想を聞いてみると、だいたいは後者らしいのを感じた。
みんなトレーナーになんてなりたくないよな。責任ばかり押し付けられて、みんなの模範にならなくちゃいけなくて。
僕はどうか。

評価が欲しい?
いや、そんなものはとっくに捨てた。
諦めていた。

それがキャストとしての成長の行き着く先なら、今のトレーナー連中のダラダラした仕事ぶりやリードとの馴れ合いの気持ち悪さは耐えられない。
僕はその中に入っていく気もないしそんな空気には馴染めないだろう。彼らから評価されて昇格したとしても喜ぶどころか屈辱しか感じない。
うんざりだ。
そんな奴らと同列になるなんて、全く苛立たしい。

しかし現実は、毎年のように後から入って来た誰かが新トレーナーになるのを、僕は見守る側にいた。

まただ。
そして、翌年も。
その次の年も。

こんなことが続くなら、僕はもう用済み以外の何物でもないし、それはすなわち、ここを立ち去るときが来たのかもしれない。

あいつからは「使えない」と何度も死刑宣告されているし…

キャストとしての自分は、もう長くないのかもしれない。


ヌマさんからの、僕の胸を突く提言

ある日のこと。

「お疲れ様です!」
ブレイクエリア(休憩所)へ行く道すがら、カヌーキャストのヌマさんに声をかけられた。

ヌマさんはカヌーのトレーナーだ。小柄で華奢な体つきなのにカヌーの漕ぎ方は力強く、驚くほどタフな人だ。

僕がマークトウェイン号で勤務していた頃の一時期、ちょうどヌマさんは肩を故障しカヌーをこげなくなり、マークトウェイン号のシフトに入ってきたことがある。その際に知り合ったのだ。

スプラッシュとカヌーではローテションの回し方が違うので、小休憩に出るタイミングが合うのはとても珍しい。
一緒に歩いてバックステージへ。

「どうですか、調子は」
ヌマさんが言った。
「まあまあですね」
僕は答える。
ハハっと明るくヌマさんは笑った。

休憩所の椅子に腰掛ける。たまたまスプラッシュの子たちがいなかったので、ヌマさんと同じ席についた。

「肩は大丈夫ですか?」
僕が聞くと、
「今は大丈夫。でも今度は腰をやっちゃったかな」
こう言い、ヌマさんは腰をゆっくりひねり、具合をたしかめた。

カヌーキャストは、一生懸命で真面目な人ほど体を壊す。
「肩をかばった漕ぎ方をするとね、次は腰に負担が来るんですよ」

ヌマさんは、カヌーは故障しやすい漕ぎ方がある、と話してくれた。全身を使ってこがないとどこかしら故障するらしい。
そんなカヌーキャストならではの内輪話をしてくれる。

そして、いつものセリフが出た。

「ところで、あっくんさんはまだトレーナーにならないんですか?」


(後編へつづく)










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