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【舞浜戦記第2章】夏キャストたち:スプラッシュ・マウンテン043

前回のお話はこちら。


2020年は残念ながら、人と会う機会が減ってしまった。それがなければまた交流を持ち続けていたであろう、元スプラッシュのキャスト達がいる。

知る限り、スプラッシュマウンテンの元キャストで歴代最も仲の良い連中はいつの年かと言うと、間違いなく彼らだ。同期が仲良しなのは自然なことだが、彼らは別格だ。

それは、93年の夏に入って来た連中だ。

彼らは現役中は無論のこと、キャストを卒業してからも度々交流を続け、10年後も20年後も中核メンバー達が集まっていた。

一昨年の夏ごろに、「久しぶりにみんなが集まるんですよ、来ませんか?」と誘われた。
僕は彼らからすると部外者(同期ではない)にも関わらず、その当時はよく誘ってくれたし、一緒に遊びに行ったものだ。
残念ながら一昨年の際は行けなかったが、懐かしい顔ぶれが揃ったそうだ。

なぜ彼らはそんなに仲が良いんだろう。
大人数の新人が入るときに同期同士が仲良くなることは、とても自然なことだ。しかし彼らは同期の域を超えた感じさえ、する。

たまたま? と当時は不思議に思っていたが、ようやくその理由にたどり着いた。


開き直った僕が目指したのは変なヤツ

僕は自分に言い聞かせた。この職場に、過度な期待などするな。
自分が勝手に描いた理想的な職場なんぞにこだわらず、適当にやっていればいい。理想の仕事を夢見て実行するのは責任者の仕事だ。お前のやることじゃない。

いくら自分が期待しても、理想的な職場など自然とできるわけがない。
お前は言われた通りにやっていればいいんだよ。そう言われているも同然だ。仕事は誰かに気に入られるためにやるんじゃない。自分のためだ。

だから、周囲に決して期待などしてはいけない。誰かが自分が望むような職場環境を「用意してくれる」と期待するのも、間違いだ。

自分はただ、やるべきことをやれ。
やっと僕は、それに気づいた。

やがて、僕は開き直ることにした。

正しいキャストの佇まいなどクソ食らえだ。自分のやりたい作法で、誰にも似ていないスタイルの、何にも縛られないタイプの、札付きのへんちくりんなキャストになってやる。

そうだ。僕は、個性の限界を試すかのように、際どいポジションに立つ。
立ち続ける。
そこにこそ、自分の存在価値があると思い始めていた。

僕はみんなのお手本になるような模範的なキャストではない。だからこそ個性にこだわり、判で押したような典型的な平凡なキャストにはならないぞ、そんな対応をしないぞと心に誓った。

自分であることは個性的であること。誰かの手本にならなくていい。それは優秀な人に任せればいい。僕はどちらかと言うと正統派ではない立ち位置で、何だか変なやつだなと思われるくらいがちょうどいい。

でも、やるべきことはちゃんとやる。後輩達が迷わないように、道しるべにはなるけどお手本にはならない。
どこか妙で変なヤツ。それが僕の目指すポジションだ。
そう考えると、いくぶん気が楽になった。


夏キャストたちの成長速度が、全体のスキルを高めてくれた

小うるさい先輩達と一緒に勤務していても全然面白くない。彼らは取るに足らないことにこだわり、口うるさいだけの存在だ。

一方、新しく入ってきた新人達は実に楽しい。たとえ新人の態度が反抗的だとしても、一生懸命やっている子はそれだけで素晴らしく気合が入って見えるものだ。

反抗的ですら楽しいなら、素直な子達とやるのはさらに楽しい。
彼らのフレッシュなパワーに後ろから押されるように、こちらも張り合わなくてはならない。

そして、彼らとの張り合いは、そののち僕にとって驚くような発見につながっていくのだ。

人材が成長するということは、従来の人達の日常が再生産されて拡大していくこと。
常識的に行っていた業務を自然に、普通にこなす僕らに追いつこうと必死にやっている子達。そこに時間を加えれば、少しずつ全体のスキルの総量は向上していく。

その、成長の上昇気流に乗って組織全体が向上したのでは、と感じることがあった。

彼らの勢いが、僕ら既存のキャスト達にも影響を与える。そんな力を、感じていた。
教える力より学ぶ力の方が勢いがある。すると結果として全体が向上しているというわけだ。


お互いに切磋琢磨し共にスキルを高める彼ら

たとえば、朝の立ち上げ作業を、デビューしたばかりの新人の子が初めて担当することがある。しかもトレーニングで教えていない作業をやることになる。

短いトレーニング期間ではそこまで教えられないので、デビューしてからその場で教わることも多々ある。何の予備知識もない状態で。

それほど難しいわけではないが、そこで初めて教えてもらい、次回からは一人で行う。
問題は、たった一人で内部へ入っていき作業を行う時だ。

まず現場に辿り着けないことには何もできない。迷ったら連絡してくれればいいが、おそらく連絡方法が分からないだろう。戻って来れればいいが、迷ったまま、時間だけが過ぎていく。

開園まであと15分あるかどうかの時点で戻って来ないときなど、非常に困った事態だ。そんなときは、誰かが救援に向かうしかない。

ある時、今日がデビューの日の新人さんがいて、朝の作業を行うことになった。もちろん初めてだ。
注目すべきは、早く入った夏期のキャストが、後から入った同期に教えていた場面を見かけた。ついこの間まで、その子が教わる側だったのに。

こんなことが頻繁に起こり、互いに学び合い、共にスキルを高めていく。
同期と言っても一気に入って来るわけではなく、1名、2名と徐々に配属される。だから同じ時期とは言え、先に入ってきた子と遅い時期の子はかなり習熟度に違いが出て来る。
夏期キャストは、早いと6月の途中から入り始め、ラストは7月(もしくは8月になることも)になってしまう。その頃には最初にデビューした子はかなり先を進んでいる。

でも、そのうち追いついてほぼ差はなくなるのだが。

93年の春時点ではまだオープニングキャストの方が、人数的にも能力的にも優勢だと考えていた。最初からいる僕らが全体を引っ張っているという自負だ。

僕らオープニングキャスト達は、キャストの仕事に一通り満足し、または毎日のように発生するアトラクション停止でゲスト達の怒りを浴びせられうんざりしたのか、次々と去っていった。

そこへ入れ替わりで入ってきた新人たち。春に35名、夏に34名の布陣を揃え、スプラッシュマウンテンは申し分ない人数に増加した。

人数構成の逆転。
それが、夏キャスト達の加入によって決定的になったのだ。スプラッシュの人数構成は、常時だいたい100名前後。
夏の真っ盛りの途中で、いつの間にか、非オープニングキャストの方が多くなっていた。

その彼らの成長速度の早さが、僕に「気づき」を与えてくれたのだ。

正しいことをしていれば、自然と周りに影響を与える

ところで、僕はどう「変なヤツ」になろうとしたのか。

変という例えが正しいかは分からないが、僕はちょっとだけ他の人と異なる言い回しを用いたりした。

この頃の僕は、スピール(セリフ)一つにしても、あまり他人とかぶらないような言い回しを使っていた。先輩達がやっていた、割と雑な言葉遣いを、やや丁寧にやってみた。それは以前マークトウェイン号で使っていた、丁寧な表現を参考にしたものだ。

ディズニーキャストは、満員電車に乗る時に駅員が使うような「お詰め下さい」は使わない。人間を物扱いしないのは基本中の基本だ。近頃の電車内のアナウンスはかなり丁寧になってきたけど、舞浜では昔から、これが標準だった。

スプラッシュがまだできたばかりの頃は、超混雑状態で列も果てしなく伸びていた。その混乱に「呑まれた」キャストは、割と平気でお詰め下さいと言っていたものだ。

僕はそう言った連中とは違うぞ、という気概を持っていた。まずは言葉遣いから別物になろうと思っていた。

あんな奴らになりたくない。
では、お前はどうなんだ? そんなに立派なのか?

こんなことを思いながら。

少なくとも自分だけはあんなやり方はしたくないし、しない。ほとんどのキャストがそうすることに慣れっこになりそれが当たり前になったとしても。自分だけは違うぞ、と。

こうして僕は、誰かにアピールするでもなく一人でも構わないから、自分が信じる方法で勤務していた。
そんな孤独な闘いが始まって、数ヶ月が過ぎた頃だろうか。

ある日、ポジションに入っている他のキャストをぼんやりと観察していた。
その時、あることに気づいた。

彼は、僕と同じ言い回しを使っている…?

僕が入口についていたその彼に注目したのは、その時が初めてだった。新人さんで、名前も忘れてしまったが。

……僕と同じ言い回しを使っている。

僕が好んで使う言い回しを、彼もやっていたのだ。

それは、僕が「彼ら」の使う言葉を否定して、ああいう言い方はしないでおこうと思って工夫した表現だ。

僕が、影響を与えた(のか?)

いや、たまたま彼も、同じ考えだったのかもしれない。
しかし明らかに、彼は僕の言い回しにとても近い。
でもやっぱり、たまたまかもしれない。

それからというもの、僕は他のキャストたちを観察するようになった。
数ヶ月間の間に、また別の子が使っているのに気づいた。

少しずつ、仲間が増えている!

より「トゲの少ない言い回し」が減っていき、柔らかい言い回しをする人が増えて来た。
ほんの数日間のできごとでは、ない。数ヶ月間〜1年くらいの期間を観察していて、その結論に達したのだ。

ひょっとしたら、早く成長しなければという彼らの必死な努力が、僕の言い回しまでも貪欲に吸収していき、彼らは無意識に模倣してくれたのかも。

気のせいかもしれない。
たとえその彼が僕の影響を受けたのではなく、自分自身でいいと思う喋り方を考案したのかもしれない。
でも、それでもいい。同じ考えを持つ者が現れたのだから。

そうだ。正しいことをしていれば、自ずと仲間は増えて来る。
僕は、確信した。

自分が正しいと思うやり方を続けよう。それが本当に正解なら、人は後からついてくる。仲間は増え、みんなが使うようになる。

仮に間違いだったとしたら、きっと僕は誰にも真似されない、完璧な一匹狼となるだろう。それは僕の敗北かもしれないが、それもまた、悪くない。

良貨は悪貨を駆逐する、という言葉がある。いいものが悪いものを排除していくというたとえだ。
ご都合主義のようだが、そんなことが実際に起こっているのかもしれない。

僕は、さらに観察を続けることにした。





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