180610_2 万引き家族、世界、視野搾取

※きのう、誤って消してしまったと書いた日記を、もう一度書きました。

劇場を出たあと、風景の色が違ってみえたり目にとまるものが少しズレたりすることがある。そんな感覚が好きで、映画館にいく理由のひとつはそこにあったりする。
でも、今日ほど世界が変わってしまったように思えたのは、はじめてだった。

昼下がり、是枝監督の『万引き家族』を観た。劇場を出ると、そこにはまるで生まれ変わったかのような世界が広がっていた。

高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れそうな平屋に、柴田治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が転がり込む。彼らの目当ては、この家の持ち主である祖母の初枝の年金だ。足りない生活品は、万引きで賄っていた。社会という海の底をひっそりと漂うような家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。そんな冬のある日、近隣の団地の廊下で震えていた幼いゆりを見かねた治が家に連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることにする。だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく──。
『万引き家族』公式サイト

是枝監督は、映画の中の虚構であるはずの存在を、現実と地続きの場所に、あざやかに立ち上げていた。
画面の向こう側の彼ら彼女らが、画面のこちら側のいまこことつながっている。そう思わされた瞬間に、世界の見え方が変わってしまうのだ。

しかし、どうやったらこんなことができるのだろう。

ひとつには、食べものや家にあふれるものの繊細な表現があると思う(ふたりの間のそうめんとか、お風呂場の古さの表現とかがその典型である)。

もうひとつには、役者との関係の中で脚本を書いていく(書き換えていく)という是枝監督の映画のつくりかたが関係しているように思える(鑑賞後に『万引き家族』のメイキング映像をみて、監督の映画のつくりかたを少しだけ知った)。
ある意味「視野搾取」的に、役者の身体性や空気に寄り添っていく方法。

そういえば、昨晩聞きにいった、ABCの中山英之 × 柴崎友香 × 長島明夫トークイベントでも、たまたま同じようなことを思ったのだった。

中山さんは、人の行為を中心にした断片的なスケッチを重ねていくことで建築をつくっていく(設計が進むに連れて、スケッチの登場人物がだんだんとキャラ立ちしていくような感じがする)。

中山英之さんによる住宅「2004」と、設計当初のスケッチ

柴崎さんは、具体的な場所で生活をする登場人物を設定し、彼らの行動を想像することで小説をつくっていく。

おふたりとも、考える対象をあえて具体的に絞ることで次の一手を決めていく。そんなつくりかたをしているように思った。
そしてこれは、是枝監督のつくりかたにも共通した方法ではないだろうか。

あえて特定の人や場所に視野搾取的に接近することで、現実の世界の見えているようで見えていないことがらをあぶりだす。

そうしてつくられた映画や小説や建築は、わたしたちそれぞれにとっての現実世界の外側に、もうひとつ別の世界を立ち上げる。
かくしてわたしの目の前にあったはずの世界は二重化し、撹拌され、その都度新しくあらわれる。

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