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「死にたい」と思わなくなった話

こんばんは、ako *です。

タイトル、重いですね、でも明るい話ですよ。

先日、半年かけて準備をしていた「mom loves music! and more」というライブ×雑貨販売のイベントが終わりました。
おかげさまで、満員御礼。100人弱のイベントではありますが、たくさんの方の笑顔を見ることができて、とても嬉しかったです。感謝。

子供たちも20人くらいかな、たくさんいて、お絵かきしたりペンライト振ったり、楽しんでくれたかな。

イベントの話はそれはそれで書きたいことが山ほどあるのですが、まだまだ纏まりきらないので、別の機会に…

で、ですね。
イベント準備中、企画全体進行、自分のステージの準備、他出演者とのやりとり、事務的な準備、集客などなどやっていて悩む時期があったんですね。
今回、あろうことか喉壊してしまってずっと病院通いでもあり。むむむー、と落ち込む日もあったのですが。

ふと、気づいたのです。

あれ、私全然死にたくなってないな

と。


始まりは10歳よりもっともっと手前かな、私にはずーーーっとふわふわとした希死願望があるのが当たり前で、40歳になるまでには本格的にこの世を去りたいと(あまり口にしなかったものの)想い続けていた青春時代。(暗い。)

学級委員とか部活の部長副部長とかなんとか委員長とかいろいろやって、前向きなことを人前で偉そうに言っていたけど、それはそれで本気、でも消えぬ離れぬ希死願望はもはや友達のように自然な存在だったのですが…


娘を育ててる間にすっかり消えました。


たまに、1人になりたい!!!どっかホテル暮らししたい!!!とは思いますけども。


よく聞く、娘を置いて死ねない!みたいな気持ちというよりは、
娘が大人になった時の社会、世界に残したいものを作りたい、残したくないものを変えていきたい、という自然な思い。且つ、どデカく多岐にわたる目標がズドーーーンと生まれたからかもしれません。

自分が我慢するなら、自分が傷つくなら、我慢の美徳で乗り越えられた数々のことも、愛しい他の人や娘が体験すると思うと「はぁぁ!?」となる。許せん。


女らしさって何男らしさって何
定型発達ってなんだ
長いものに巻かれろっていつの時代の話だ
なんで痴漢に遭う方が悪いんだ
無意味な伝統はアップデート
なんで保護者会ママしかいないの
このご時世に企業だけが選ぶ側だと思ってるとかどういうことよ

カテゴリを超えて山ほど思うことはありますが、そのなんとも言えない怒りに似た感情の多くは、数年前以前の私自身に対しての怒りや悲しみでもある気がしています。

恥ずかしながらあんな風に思ってたな
変な我慢の仕方しちゃってたな
とか。

今、課題多き時代、でもその時代を一人一人が変えていけるかもしれない手応えも感じやすい気がしていて、そんな日々にワクワクもしているのだと思います。

死にたくなる暇がなくなったのかな。


1人ではできることなんて少ないけど、ビジョンが近しいいろんな人と、出逢い交わり歩んでいく、そんな人生がとても愛おしいと思う今日この頃です。

娘が、「ママが寂しそうだったから、ママのところに来たよ。娘ちゃんは昔ママのママだったの」って言ってました。

そっか。ありがとう。


ふと書きたくなった話でした。


さて、娘と寝ます。
おやすみなさい。

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