声出し応援とはなんぞや。(声出し応援に慣れた人のストレス)

(あくまでも個人の見解です)
これを書いているのは2020年7月19日、前日行われ現地観戦してきた名古屋ー鳥栖戦をDAZNにて再視聴中でJFL鈴鹿ポイントゲッターズの2020シーズン開幕戦数時間前です。
名古屋ー鳥栖は厳戒態勢マッチということで客入れ上限5000人、集団応援なし、マスク着用マストな個人での応援も大声厳禁ほぼ拍手のみでした。JFLの開幕戦は無観客のリモートマッチです。
最近はJリーグからJFL&地域リーグ、逆にJFL&地域リーグからJリーグに移籍する選手も多く、応援するカテゴリーの線引きもほとんど意味のないものになってきていますがJリーグだけ、或いはJFL&地域リーグだけ声出し応援をする人はまだまだ多い気がします。典型的なJリーグの応援といえばゴール裏のチャントやコール。大勢で歌えば陶酔出来て気持ちいい時もあり、初めて現地観戦に来たライト層がリピーターになるのにも歌いやすいチャントの影響大です。(自分も2015年ごろまでは瑞穂のゴール裏端っこで水曜日のナビスコカップとかで声出してました。)JFL&地域リーグにももちろんかっこいいチャントとかコールはあります。ただ小さいキャパでの少人数応援の醍醐味は「届くんじゃないか?」「いやそれ届いてるよね?」「絶対届いてるやん」「試合結果、応援が届いた証やん」的な応援と選手の距離感です。2017年から鈴鹿の声出しエリアに行くようになりましたがチャントやコール以外だとサポーターの気持ちが声となり選手を後押しする風景に新鮮さを覚えました。削られた選手に「大丈夫か?」ゴールを決められた瞬間に「下をむくな!」見逃したラインズマンには「オフサイド!!」等々J1名古屋の試合ではオフサイド以外はそう耳にしない声が選手に届けられています。そして究極の応援は「がんばれ」です。突き詰めていくともうそれしか言葉が見つかりません。削られて痛んでいる選手にも、点を入れられ下を向いている選手にも、パスミスをしてしまった選手にも、シュートを外してしまった選手にも最後には「がんばれ」しか言えないんです。これを知ってしまうと声が届こうが届かまいが頑張れと言ってしまうんです。昨日の試合も何度か「成瀬、超絶頑張れ」とマスクの下で言ってました。(J1クラスだと頑張れだと失礼なので超絶頑張れと言ってます。)
前置きが相当長くなりましたがすごく短い本題に入ります。
上記のような自分にとってサッカーの試合を観戦しながら出したい声が出せないという状況はもどかしいを通り越してストレスでしかない。コールやチャントがないのは100歩でも1000歩でも譲りましょう。推してるチームの選手が削られて倒れて痛んでる状況で名前すら呼んであげらずただ見ているだけの自分が許せない。点獲ってリードして喜んでる時のチャントやコールは1000歩でも万歩でも譲りましょう。リードされて凹みそうな自分を奮い立たせるのも込みで「頑張れ」と叫びたいが出来ない自分にいら立つ。本当にもうストレス満載な状況です。
「声出し応援ってストレス発散になっていいね」なんて言われますがサッカー観戦で最大のストレスは推してるチームが負ける事です。しかしサッカー現地観戦応援で最もストレスなのは推してるチームや選手がビハインドな状況で声もかけられない事です。声が届きそうな試合のJFL&地域リーグなら尚更です。そろそろリモートマッチのキックオフで、変な閉め方になりますがそんなこんなを頭に入れて1度声出し応援に制限のある試合を経験してみるのもコロナ禍が如何に我々に影響を与えているか身に染みる機会であります。

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