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ハチ月1日


朝四時三十分、ヒグラシを聞く。遠くから聞こえる。いくつも重なってささめいている。音は不思議。ことばを超えてやってくる。


noteを書こうとすると、胸がぐううと押されたようにくるしくなった。くるしいのをこらえて書き始めても、二行も書けずに画面を閉じる。そんな繰り返しでした。


前回から実験していることは、おおきくふたつ。

スマートフォンで打つこと。

打つときに、あたまのなかで、ゆっくり読みあげること。


パソコンのキーボードを打つとき、あたまと手と目が連動して、すいすいと書けることありませんか。わたしはあります。すいすい書けるとうれしい。でも、はやいことの裏には、いつもの通り道だからなにもかも知っていてはやい、ということがあります。その、慣れ親しんだ通り道では、行けないところがある。


あたらしい回路をひらいていきたいのです。


スマートフォンでぽつりぽつりと文字を打ちます。できるだけたどたどしく、あたまのなかで読みあげます。イメージは、日本語を覚えたばかりの妖精さんや宇宙のひとが話しているかんじで。


ここまでを読みかえして気づきました。いまこうやってスマートフォンでしていることは、わたしにとっては「打つ」であって、「書く」ではないみたい。


書こうとするから、くるしくなっていたのかも。「書く」に対して自分でつくってきた無数のルールから、自由になりたい。



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