「家族」と「他人」と「言葉」

「家族」という言葉がきらいだ。
だからずっと、「家族」を「他人」だと思っている。

わたしと、もうひとり誰かがいる時に、わたしたちの間に「家族」という言葉が横たわるだけでさまざまなものが発生する。
時に「家族」だから甘えたくなったり、ほんとうにいやなことをされても「家族」だから許さざるをえなかったり、「家族」だからわかってくれるんじゃないかと期待してしまう。
「他人」だったらそんなことはなかなかしないのになあ、といつも思っている。

高校二年生の終わり、せっかく入った高校を辞めることになった。
わたしが「高校を辞めたい」と言って頭を下げた時、両親はすぐにわたしの要求を受け入れてくれた。今までの学費のこととか、これからどうするんだとか、叱られるようなことはなかった。
高校の先生にはもちろん反対されて「あと1年頑張れないか?」と何度も言われたけれど、その質問に答えることが苦痛なくらいボロボロだった。

「2年フリーターをやって、大学に入る」
それだけがその時わたしが両親と決めたことだ。今のところ、その通りに進めていると思う。

わたしは両親にとても甘やかされている。
両親はそれを「生んだ側の義務」だとするような人だった。
「家族」じゃなければこんなに甘えていないな、と思って、だからこそそれがつらかった。
「家族」は「他人」のはずなのに、ほんとうに「他人」であればとてもかけられないような迷惑を、わたしはかけつづけている。

わたしが「家族」を「他人」だと思いたいのはそれなりの事情があるのだけれど(これはまた別の機会に)、だからと言って完全にそうはなれていない。
どこかで好きなものや嫌いなもの、考え方が似ているし、時々甘えたいし、わかってくれるんじゃないかと期待してしまう。
歯がゆくて、悔しくて、難しい。

いつか「他人」と結婚したりすることはあるのだろうか。
今のわたしには、誰かと結婚したいいう気持ちはない。
むかしは「他人」と新しい「家族」を作ることに憧れがあったけれど、今はなくなってしまった。
だけど、気の迷いで結婚することもあると誰かが言っていた。

今のところ可能性は低いけれど、そういうことが起こっても、「家族」にはなりたくないなあと思う。
「家族」だと、言葉を尽くさなくても伝わると思ってしまう日や、ひどいことを言っても許してくれるんじゃないかと甘える日や、やさしくできない日がやって来てしまいそうだから。
「家族」じゃなくて「他人」として、それでも一緒にいたいと思う人をさすための言葉をつくることができたらいいのになあ、と思う。

#エッセイ #精華人文note

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qi

SEIKA JINBUN note

コメント3件

こんにちは!なんだかいたいほど気持ちが伝わってきました。なんというか、シェアしてくれてありがとう。

●へぇ
「2年フリーターをやって、大学に入る」そっか、そんなストーリーがあったんですね。赤澤さんが秘めた思いがちょっとわかった気がしました。

●この文が好き
いろいろあるけど、一つ選ぶとすれば「「家族」じゃなくて「他人」として、それでも一緒にいたいと思う人をさすための言葉をつくることができたらいいのになあ、と思う。」かな。読者に考えさせる感じがしてよかったです。

●ひとことアドバイス
いや、ほんとに特になかったです。よく炒められたおいしいチャーハンのような文章。写真もいいなと思いました◎
なんだか、今の僕にとっても考える視点をもらえたエッセイでした。家族と他人、甘えとの葛藤。向き合うから生まれるのかもと思いながら、読み終えました。

●この文が好き
「わかってくれるんじゃないかと期待してしまう。歯がゆくて、悔しくて、難しい。」という、言葉に代え難い気持ちを、言葉にしてもらった気がしました。
●この文が好き

「家族」だと、言葉を尽くさなくても伝わると思ってしまう日や、ひどいことを言っても許してくれるんじゃないかと甘える日や、やさしくできない日がやって来てしまいそうだから。

家族ではなくて他人であってほしいというのは、ここだけ聞くとわたし自身の価値観では驚いてしまうけれど。この文のような背景があると思うと、慣れてしまって、なにかを当たり前だと思わないでいてくれる他人であってほしいのはとてもよくわかりました。
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