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小説執筆企画始めた

企画概要

 当執筆企画は、毎週水曜日夜23時より、小生野々村鴉蚣がTwitter(現X)にて十個のお題を投稿し、参加者は各々独自の解釈で小説を書くというものである。
 ルールとして、必ず以下のことを守ってもらう。
・小説であること
・十個の単語は必ずすべて使うこと
・公開する際に、#小説執筆テンタスク のタグを利用すること
 これらを守っていただければ、小説執筆経験の有無や、執筆する小説のジャンル、また完成した小説を公開する媒体などは一切問わない。もちろん、完成作品の著作権は著者にあるため、どのように使用しても構わない。
 公開された作品の中で、個人的に好みであったものを抜粋し、SNSにて紹介しようと思っている。

小説執筆テンタスク

 小説を執筆している時、時たまネタが思い浮かばず時間だけが過ぎ去っていくことがある。毎度のこととして思うのだが、やる気だけが先行して結局何もできず過ぎ去った時間ほど無意味なものは無い。でも、しばしばやってしまうのだ。何やろう、どうしようと悩むことにばかり時間を注いで、気づけば一日が終わってしまうという無意味な時間の使い方。
 いや、少し言い過ぎたかもしれない。無意味な時間というのは語弊がある。もちろん意味はあるのだろう。恐らく、休息という意味が。
 テスト前日になって、さてどこから勉強しようかと机に向かった途端、本棚の配置が気になったり、足元に散らばったケシカスが気に食わなかったりする。それらを片付けるのに一日の大半を注いでしまい、結局のところテスト勉強がおろそかになってしまう。そんな経験をしたことがあるという方は一定数いるはずだ。
 これにはしっかりとした理由があるらしい。どうも人間は、大きなタスクを目前にすると膨大なストレスを感じるのだそうだ。そして、そのストレスを回避するべく、小さなタスクを探す。結果として、本来やるべきことには一切手を付けられないまま細々としたタスク処理に追われてしまう。まぁ、端的に言ってしまえば、単なる現実逃避である。
 しかし、執筆をする上でこの現実という日というのは全く必要がない行為とは言えないだろう。
 本来書くべきものだと自分で定めた大きなタスクも、執筆活動を続けているうちにだんだん厄介なものへと変貌してしまう。こいつを上手く処理するために、一度脳を休ませる必要があるのだ。
 しかし、執筆活動をしている人々なら分かると思うが、一度文字を書くことから逃げてしまうと、しばらく文字が書けなくなってしまう。恐らく執筆活動というものは、走り始めるのに相当なエネルギーが必要なのだろう。一度筆を動かしてさえしまえば、後は脳内に浮かび上がる文字をただただ書きなぐっていくだけでいい。思い立った日に、一度読み返して誤字脱字や表現等の習性を入れればいい。だが、そもそも最初のスタート地点に立つことが非常に難しいのだ。
 いざ走り始めるぞと思いいたっても、最初の一文字に迷ってしまう。
 会話文から始めるべきだろうか、それとも時間表現? いや、人物紹介からの方がいいかもしれない。もしかすると、この作品で一番の目玉となる戦闘シーンか。たしかミステリーを書きたいなら、最初に死体を転がしておけなんて話を耳にしたことがあるぞ。
 そんな風に悩みあぐねていると、結局筆は進まないまま時計の針だけが進んでしまう。困ったものだ。
 そこで小生は、以前より一つの執筆練習作業を行うようにしていた。それが三題執筆法である。
 ちなみに今命名した。
 恐らく小説を書かれている諸君ならすでに何度もやったことがあるだろうが、ランダムに三つの単語を選択し、それを必ず盛り込んだショートショートを書くのだ。ジャンルは自由。SFでも、恋愛でも、どんでん返しがある作品でも、まったく山場の存在しない純文学でも構わない。とにかく目的は、今この場で示されている三つのお題を必ず使って一つの物語を構築すること。
 一度これをやって作品を完成させてから、本来書くつもりだったものへ筆を移行させる。たったそれだけのことで、案外物語が書けたりするのだから面白い。
 この度は、以前より小生が行っていた執筆練習法を一つの企画として昇華させたというわけだ。
 題して、小説執筆テンタスク。毎週水曜日の夜23時に、小生がTwitter(現X)にてお題を発表する。
 お題は全部で十単語。もちろん意味を調べても構わない。そして、執筆者は必ずその十単語全てを盛り込んだ小説を書かなくてはならない。という企画だ。
 当企画に参加し完成した小説は如何様に使用しても構わない。自身のブログや小説投稿サイトアカウントに掲載するも自由、どこかしらの出版社に応募するも自由、もちろん誰にも見せずにひっそりと処分するも自由。好きにしていただいて構わない。ともかくこの企画のかなめは、十個の単語を必ず使用し一つの物語を完成させるということにあるのだ。これは、言ってしまえば執筆練習のようなもので、身構えたりする必要はない。
 しかし、もし仮に完成した作品をTwitter(現X)にてハッシュタグ付きで公開していただけるのであれば、後日改めて小生の方で一読し、その中から面白かったものを抜粋して紹介しようと思っている。
 小説を書く上で大切なことの一つに、読んでもらうことだと小生は思う。文字がこの世に誕生した一番の理由は、不特定多数の何者かに情報を届けるということ。我々物書きは、先人たちが生み出した文字を使って、心の内に内在する世界を表現しようと躍起になっている。
 とあれば、やはり読んでもらいたいものじゃないか。これはある種の自己表現なのだ。同じ夕陽を見たとしても、人によって感じ方は異なる。感じ方が異なるということはすなわち、文学としての表現方法も異なるということだ。
 同じ十個のお題を前にして、きっと各々が独自の世界を紡ぎだすことだろう。それらをシェアし、物書き同士で読みあう。まるで文学部のような気分だな。
 それを一つ、楽しんでみてはいかがだろうか。

小さな幸せを一つ見つけよう

 さて、本日の小さな幸せについて少しばかり語らせてもらいたい。話は昨晩に遡る。
 昨晩、小生は普段から出入りしているディスコードサーバー『あこゆか』にて、久々にVALORANTのフルパコンペティティブを楽しんできたのだ。
 存じ上げない方のために説明しよう。
 VALORANTとは、ゲーム制作会社Riot Games(ライアットゲームズ)から配信されている FPSゲームのことである。ルールは至ってシンプルの爆破ミッション。5VS5に分かれて、攻撃側は防御側の陣地に侵入、爆弾を設置し起爆させる。また防御側はそれを防ぐというものである。
 このゲームはかなり奥が深く、マップをどれだけ熟知しているか、使っているキャラクターのアビリティをどれほど鍛え上げているかなど、練度が問われてくる。もちろんFPSゲームであるから、銃の腕前も欠かせない。どんなに上手く盤面を支配できたとしても、肝心の射撃スキルが伴っていなければ敗北だ。
 チェスの駒が、必ずしも攻撃成功するとは限らない、みたいなゲームシステムなのだ。
 そんなゲームを、小生は普段一人で遊んでいる。先にも述べた通り、このゲームは5VS5。つまり、敵も味方も五人ずつだ。小生が一人で遊ぶとなると、味方に残り4人の枠が開いていることとなる。
 そこで、野良と呼ばれる人たちとマッチするわけだ。彼らもまた小生と同じように、一人、または二人以上の少人数でチームを組んでいる方たちだ。ゲームにマッチした途端、はじめましての状態からスタートするというわけだ。
 実際に試合が始まってみるまで、仲間がどんな人なのか全く分からない。盤面支配能力の高い人なのか、それとも寡黙に一つのタスクをこなすタイプなのか。はたまたものすごいエイム力を持っており、たった一人でゲームを支配できるような人物なのか。実際に蓋を開けてみるまでは分からない。
 さて、そんなVALORANT。もちろん野良マッチはつらいことがある。
 味方に暴言を吐くもの、わざと味方の邪魔をするもの、日本語が通じないもの、どんな味方が現れるのか、本当に分からないのである。
 そしてもし仮に、言い方が悪いが、ひどい味方とマッチしてしまった場合は悲惨だ。このゲームはおおよそ四十分ほど戦い続けることとなる。その長時間に渡って、暴言を言われ続けたり、妨害行為を容認しなくてはならない。
 長時間行われる協力ゲームだというのに、それを理解できず独り善がりなプレイを楽しんでいる人間が一定数存在しているというわけだ。
 今から数日前、小生はひどすぎる野良とマッチしたことがある。プレイ放棄を目的とした害悪野良だ。彼らは、わざと敵に武器を届けたり、試合中わざと音を鳴らして敵に居場所を教えたりと散々だった。しかも日本語が通じない。英語で話しかけた途端ミュートにされてしまった。
 あまりの悲惨さに心が折れかけた小生ではあったが、そんな小生を救ってくれたのが、最初に話した『あこゆか』のみんなである。
 そう、先日はフルパで遊ぶことができたのだ。フルパ、すなわちフルパーティーとは、五人全員がすでに顔見知りのフレンドだけで構築されたチームのことを指す。いつも一緒にお喋りし、ふざけあい、時に喧嘩し、そんな信頼関係を築き上げてきた仲間と戦地へ赴いたわけだ。
 結論から言おう。
 全勝だった。
 深夜だったこともあり、行った試合数は少ない。しかしどの試合も危なげなく勝利を収めることができたのだ。完璧なタイミングで攻め入り、的確な指示だしと声かけ。失敗したときも不必要な暴言は一切なく、次のプレイにつなげるためのアドバイスが飛び交う。
 これこれ。こういうゲームがしたかったんだよ。思わずそう叫んでいた。
 別にゲームに本気を出していたいわけじゃない。所詮ゲームだ。しかし、だからこそ楽しみたいではないか。プロになれなくとも、野球やサッカーをやるからには楽しみたい。バッターボックスで一度もバットを振らずピッチャーを煽るだけの味方と遊ぶより、戦略を練ってスクイズを決める味方と遊んだほうが楽しいに決まっているのだ。
 かなり満足のいく試合を経験出来た小生は、そのまま眠りについた。
 切磋琢磨という言葉が好きだ。人は真剣な時こそ、きっと磨かれる。

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