日野富子:日本史上の策謀家

日本史に名を刻む日野富子は、足利義政の妻として知られ、その政治的な策略と財政的な欲望から、多くの歴史家に「日本一の悪女」と評されることも少なくない。

彼女の物語の中で、特に目を引くエピソードは、義政との間に子供が早世したことをきっかけに、義政の乳母を呪いの容疑で罪に問い、その結果として追放したことだ。彼女はその後も、義政の側室を次々と失脚させ、自らの地位を固める手練手管を巧みに繰り出していた。

そして、彼女の子供が将軍の座を継ぐことを望んだ時、その欲望が応仁の乱を引き起こし、その結果として戦国時代へと突入したと指摘する声もある。

日野富子の策略は経済面でも顕著であり、彼女は応仁の乱の最中、日野家の財力を背景に、金融業を展開。関所の関税を私的に流用し、その巨額の収入で個人の富を増やしていった。この行動は多くの住民の反感を買い、彼女に対する反乱も起こったが、彼女はこれを気にすることなく、さらに資産を蓄積した。

さらに政治の舞台でも、彼女は息子の死後の権力争いを巧妙に操り、明応の政変を起こして室町幕府の実権を握ったとされる。その巧妙さは、彼女が蓄積した資産が現代の価値で100億円にも迫ると言われることからも伺える。

夫・義政が銀閣寺を建設した際、彼女は一切の援助をしなかったとされ、そのため銀閣寺は銀箔を使用することができなかったとの逸話も伝わる。

多くの歴史的な評価が存在する中、日野富子の策略や欲望の深さは、他の「悪女」とされる歴史的人物と比較しても、その存在感を際立たせていることは間違いない。

世界三大悪女

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