ルーマニアの独裁者エレナ・チャウシェスク

ニコラエ・チャウシェスクの名は、ルーマニアの独裁政権を象徴するものとしてよく知られているが、彼の背後にいたのは、妻のエレナ・チャウシェスクであった。彼女は夫の権力の影で、自らの影響を国に及ぼしていた。

ルーマニアの政権は、秘密警察セクリタテアを用いて国民を監視し、彼らの日常の言動を厳しく取り締まっていた。恐ろしいのは、この監視網が子供たちまで及んでおり、学校の先生たちがスパイとして、家庭の情報を集めていたことである。

エレナは、始めは政治の表舞台に立つことはなかったが、中国の江青との交流を経て、自らも政治活動を活発化させた。彼女の主導で学校や孤児院の建設が進められたが、彼女の政策の中には、女性に対して出産を強制するような法律も含まれていた。これにより、多くの子供たちが街角で生きる「ストリートチルドレン」として知られるようになった。

ルーマニアの食料事情は厳しさを増しており、配給制度も十分な食糧を供給することができなかった。こうした中、ゴルバチョフのペレストロイカが始まると、チャウシェスク政権に対する不満が高まり、夫妻はついに国民の怒りの矛先となった。

新政権の発表によれば、チャウシェスク夫妻は国を窮地に追い込みながら、私的には巨額の資産を築き上げていた。そして、多くの人々を処刑したり、住居を奪ったりしながら、自らは豪華な宮殿のような住まいで生活していたという。

ギムナスチック選手のコマネチも、彼女の息子の欲望の犠牲となり、後にアメリカに亡命することとなった。エレナは、自分自身の教育水準が低いにも関わらず、多くの博士号を取得していたと伝えられているが、これらの論文は他人に書かせていたと言われている。

エレナ・チャウシェスクの存在は、独裁政権の影の中心として、ルーマニアの歴史に深く刻まれている。

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