パルミラの輝かしい女王:ゼノビアの興亡

多くの日本人にはあまり知られていない事実として、ローマ帝国が一時期三つに分裂していたことがある。その際、中東に栄えたパルミラ帝国の中心として活躍したのが、才知と美貌を兼ね備えた女王ゼノビアだった。

ローマが大混乱の軍人皇帝時代を迎える中、ゼノビアは中東の都市、パルミラの指導者、セプティミウス・オダエナトゥスと結婚。彼女の卓越した戦略眼と指揮能力で、夫婦はローマのために多くの戦いに勝利をもたらした。特に、パルティアや偽皇帝との戦いでの功績は顕著だった。

しかしながら、彼女の欲望が彼女を窮地に追い込むこととなる。夫とその息子を暗殺したゼノビアは、自らを中心にパルミラ帝国を宣言。エジプトやシリアを迅速に制圧し、短期間でその名を中東に轟かせた。

だが、その勢力拡大はローマ帝国の目にとまり、アウレリアヌス皇帝の軍に敗れることとなる。ローマへと連行されたゼノビアは、自らの行動を部下の責任にするなどの言い訳を繰り返したが、彼女自身は比較的寛大に扱われ、穏やかな晩年を過ごした。

ゼノビアは、ペルシャ語、エジプト語、ラテン語など多言語を操る知識人で、自身をクレオパトラの再来と見なしていた。その功績や影響力はクレオパトラをも凌ぐものがあったが、歴史の舞台裏に留まったのは、文学作品「ジュリウス・シーザー」などの影響が大きいのかもしれない。

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