あくにゃん

ただのヲタク?会社員?“あくにゃん”って何者なのさ

どーも!ただの“ヲタク”ことあくにゃんですっ!
とはいえ!ぼくを知らない人もいると思うので、改めて自己紹介をします。

そして
・なぜ“あくにゃん”と名乗るのか
・バイトをしていた過去
・就活に失敗した過去
などについても、根掘り葉掘り書いてます…!
少し長いんですが…よかったら最後まで読んで下さい!


簡単な経歴 ~あくにゃんができるまで~


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1995年6月21日生まれのB型。
栃木県の日光市出身で、高校まで栃木にいました。
身長は178cmで、体重は64kg。少食です。

少し変わっている点といえば…
14歳の頃から、芸能界という不思議な世界で役者として“お芝居”をしていました。
詳しくはWikipediaを見て下さい(この先読む意味あんのか発言ww)

そして、2016年に、お世話になった会社を退社しました。
理由は色々ありますが、端的に言うと、
才能が“無い”と思ったから辞めた。才能が“ある”と思ったから辞めた。
といった感じです。(別に伝わらなくても良い)

一応言っておくと、人生はじめての挫折でした。
2016年が最悪な年過ぎて、2017年になった瞬間、
声を出して泣いて喜んだ記憶があります。

ちなみに。その時はまだ大学生で、
立教大学 現代心理学部 映像身体学科で
“仙人”や“偶像崇拝”について研究をしていました。
卒論は『なぜ人は“他人”に熱狂するのか』

“何者かにならなくちゃいけない”気がして就活もした

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ぼくは、辞めたからには何か辞める相応の理由がなければ!という焦りから、芸能人に近い?アナウンサーを受けるコトに決めました。

アナウンサーの学校にも通い、ニュースを録画して毎日見ていました。
結果は、北から南にある全国30局近くに書類を出すものの、受かりませんでした。
たった2局、“岩手“と”新潟”のテレビ局は最終まで行けましたが、
「受かっても冬は“雪かき”だよ?」って言われたときは無理って思いましたよね(笑)

『芸能界で売れなかったから、アナウンサー試験を受けている』というコトも言われました。
実際は、かなり調子が良い時に辞めているので(多分)そんなコトはなかったんですけどね(多分)ちゃんとLINE NEWSにも、Yahoo!NEWSにもなったしっ!笑

そして、散々アナウンサー試験を受けましたが、一旦区切りをつけ、一般企業にシフトチェンジしました。

マイナビで自分がやりたい『企画 立案』と調べると、“広告代理店”という職業が出てきました。
が、しかし。時すでに遅し。どこの企業もエントリーはとっくに終わっていました…。
そこで、唯一通年採用をしていた会社を受けてみたところ、内定をいただけ+超好きな感じだったので、そのまま入社を即決し、今でも週5で働いています…!

長くなりましたが、
時代の潮流を見ながら企業のSNSや、PRについて考えることは、毎日楽しいです。


リスタート ~“あくにゃん”としての人生スタート~

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今、阿久津愼太郎物語は第2章です。
芸能という世界を辞めた当時は、学費が払えるか分からなかったので、奨学金をもらいながら、普通に週に5回、スーパーでバイトをしていました。パートのお姉様方には、仲良くしてもらったりイビられたりしていました(笑)

ある日、金髪で行ったら店次長に見つかって(店長では無いらしい)
クビになりかけたけど、主任が守ってくれました。大好きです。
繰り返し作業の人生に飽きつつも(笑)生まれて初めての“時給”、そして月7万円の給料が毎月もの凄く嬉しかったことは今でも覚えています。

そして。ふいに、やったことのなかったInstagramを始めました。

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フォロワーも0からのスタートだったので、せっかくだし、なにもかもを0から始めてみよう!と思いました。どこまでいけるのか挑戦してみました。

『阿久津愼太郎』という名前には、これまでの“経歴”が詰まっているので、過去の自分とは区別をするためにも、本名を捨て“あくにゃん”という名前を選びました。
昔応援してくれていた方々が『阿久津愼太郎』で検索しても出てこないし、フォローしてくれる人たちも、インスタグラマーのあくにゃんとして見ていました。
別に過去を捨てたかったワケでも、当時を否定したいワケでもなく、ただ自分1人の力で、挑戦してみたかったという感じです。

あくにゃんの“誕生”は、阿久津愼太郎の“死”でもあったわけです。

そんなInstagramも始めてから約2年が経ち、今(2019/8/25時点)では1.7万人のフォロワーさんがいます。
その他のSNSも全部足すと、総フォロワー数は17万人を超えます。(2021/01/17時点)
※本当に本当にいつも応援ありがとうございます…!

違う自分になりたかった。違う自分でもいけるのか試したかった。アナウンサーになれなかったけど、他の領域では才能があると信じたかった。あ~推しが可愛いよ~。みんな輝かしいなぁ~。え~あの人も辞めたんだぁ~。
とか、色々な気持ちがうずまきながらも、日々を生きているのはそれなりに楽しかったです。

1度しまった夢だけど、叶えたくてしょうがない

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ぼくには、人一倍の自己顕示欲と負けず嫌いな気持ち、
そして少しばかりの“夢”があります。

歌を作りたい
企業の方相手に講演会をやりたい
旅先で服を買うバイヤーをやりたい
コメンテーターもやりたい
写真集的なエッセイ本も出したい
駅中の意見広告もやりたい

でも。これらの夢は、あのキラキラした世界を辞めたその瞬間から、
全て宝箱の中にしまいこみました。
傷つかないように、夢を叶えていく友達に自分を殺されないように、意図的に見ないように、夢なんてないかのように生きていました。
普通の会社員になって、普通に働いて、たまにアイドルを見ながら朽ちていこうと決めていました。

でもある日、韓国人の推しに、
『あくにゃんは、本当に会社員になりたいの?そうは見えない。なんにでもなれるなら何になりたい?』と聞かれたコトがります。
会社で働く前も、働いてからのぼくも彼はしっているので、なにかを感じたのだと思います。

そして、毎回20名しかライブに人を集められないようなその推しは、徐々に人気をつけ
昨年韓国でデビューを果たしました。

その時、凄いなぁ…
と、同時にまだ諦めたくないなぁ…って思いました。

でも、ぼくは事務所に入っているわけでもない。誰かがマネージメントをしてくれるわけでもない。バーターで何かに出られるわけでもない。
当時、持っていたモノは何もないんです。

だけど、それでも夢を叶えたいんです。
そして、なんだか叶う気がするんです。
似たような状況にいるインフルエンサーやYouTuberの方々が夢を叶えていくのを見ていると、この“SNS”があれば夢は叶うのかもって思うんです。思えるんです。

現に、今のぼくは、当時の総フォロワー数を超えています。
YouTubeのおかげで、当時の活動を知らない方々からも声をかけてもらえるようになりました。

このSNSを味方にすれば、
きっとどんな夢でも叶うんじゃないのかなって、確信しています。

会社を辞めたいワケではなく、会社にいながら面白い人間に、ぼくはなっていきたいです。

**そこで、最後にみんなへ

**

みんなにしてほしいコトは、ただ1つ

“いいね”を押して欲しい

そのたった1つの“いいね”のおかげで、誰かのおすすめ欄にぼくが表示されるキッカケになるんです。
そのたった1つの“いいね”のおかげで、ぼくが進める未来が変わるんです。
だから、“いいね”を押してほしいです。

あ、もちろんリツイートとか、ストーリーでぼくの名前を宣伝してくれるのも嬉しいよ?え?笑

ただ、現状。
みんなにいいねを押してもらう代わりに、お返しとして提供できるモノが、あまりありません。

暇つぶしになるような動画の提供や、ヲタクとしての発言で気づきを与えるくらい?です。

このお返しの部分は、追々増やしていくけど…(笑)
それでも、それを覚悟の上で、どうか一緒に夢を叶える一員になってほしいなって思います。みんなで“あくにゃん”という人間を押し出してほしいなって思います。

ぼくはワクワクするよ。
なんにも無い自分が、“みんな”だけを武器に、世の中に出ていくのって。

だから、気持ち半分でも、ガチでもなんでもいいので、
気にしてもらえて、たまに“いいね”してもらえたら嬉しいです!

今年はもっともっと“あくにゃん”を本格始動させます。
SNSを味方に、フォロワーのみんなを味方に、一緒に進んでいけたら嬉しいです。

この記事も、いつどのタイミングでもいいから
見たその日に、いいねやリツイートをしてくれたら嬉しいです。

また、あの日のみんなと共演できますように…。

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