美味しい食事と美味しそうな食事

朴葉焼き、という料理がある。

こういうのだ。朴の木の大きな葉の上に味噌を載せて、主に魚介類と一緒に焼く。朴の木は火に強く、枯れ葉でも茹でておくと簡単に燃えない。その上でじゅわーっと焼けていく木の葉の香りを楽しむのが、朴葉焼きの魅力だ。

 うまいか、といわれれば、まあ、うまい。元々は飛騨の郷土料理で、寒さが厳しく漬け物が氷ってしまうのを朴の葉の上であぶって食べるのだそうだ。味噌はつけたりつけなかったりするが、付けて、焦げたところを食べるのがうまい。これは家長か、子供の特権だったという(実際には家長がツマや母親にも「分けて」食べさせる。家長は贈与をするが故に家長なのだ)。

で、どうしても朴葉焼きをたべたくなって、食べた。

焦げた。焦げた、どころか、ぐちゃぐちゃでまずかった。料理に失敗したのだ。

 失敗した料理ほど惨めなものはない。

 料理は食べる前のほうがうまい。休みの前の日に買いこんだ麦酒や、新作のゲームを遊ぶ前の高揚感。憧れとも言えるそうした期待はいつからか存分には楽しめないものになっていく。

 でも、朴葉焼きのように、ときおり料理は食べるとか栄養を補給することと異なるロマンを持つことがある。

その逆もある。

それが料理である。

 そういう料理の代表としては、「つけ麺」とか「ポテチ」とか画挙げられる。朴葉焼きなどホテルや旅館で食べさせる観光業向けのそれになったのだから。

 あとはBBQもそうか。手間暇と掃除の手間を考えるとゾッとしないものがあるが、しかし火をおこしてBBQをする、とくに鉄製の、ゴツゴツとしたフライパンなどの上の、料理。

大学生の時に、ある女の子につれて行かれた店のことを思い出す。そこは4品好きな料理をえらんでたべ、5品目は目隠しをして食べなければならないという店だった。

 どうしてそんな店を清純派の彼女が知っていたのかはしらないが、そこで白子とゴーヤチャンプルーと、酢味噌和えと、アボガドのあぶりを食べた。

 五品目がきて、店員に目隠しをされた。スプーンを渡してくれることもあれば、となりの人がよそうこともあるのだ。スプーンを渡してくれたあと、僕はそれを口に運んだ。

 なんだか、ゼラチンが潰れるような食感だった。 

 一緒にいった女の子の感想は「なんだか妙に硬い」。ぼくらは違うものを食べたのだろうと思った。そのとき「ここで、いろいろ嫌な思いをする人もいるみたい」と不意をつくように彼女はいった。ぼくはそのとき「ふーん」といっただけだったと思う。でも、いま思えばそうした「嫌な思い」をしたのは彼女だったのではないかと思った。

 そのお店は潰れてマンションになってしまった。高いビルの間で身を寄せ合って暮らす人達の間で、過去は消えてなくなっていくのだ。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

ご関心をもっていただけてうれしいです
6

みやずまみやず

休業中の休業です。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。